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曽我八幡宮の例大祭が開かれました
 

 日本三代仇討ちの一つ、曽我兄弟ゆかりの地である富士市鷹岡厚原地区の曽我八幡宮(河野昭治総代長)で、きょう7月28日、恒例の例大祭が開かれました。

 

 郷土の貴重な歴史の継承や、地域のふれあいづくりを狙いに、毎年、7月28日に開催しているもので、所在区の市議会議員にも招待状が届いていたことから午前11時からの式神事に参列、先ほど、自宅に戻り、このブログを打ち込んでいます。

 

 朝刊では、きょうの天候は「くもり」となっていたものの、朝から降りみ降らずみの生憎の天候。

午後1時30分から同9時まで「わんぱく相撲」「女子腕相撲」「少年剣士による居合道」「投げ餅」「詩吟「大正琴」「フラダンス」「舞踊」「太鼓演奏」「カラオケ大会」などが次々と繰り広げられることになっているだけに、式神事後、会場を去る際、「入念の準備を重ねてきた氏子の皆さんの熱意が天に届き、午後から夏の陽射し、戻ってこい」と祈ってきたのですが…。


 

      本殿の前で一礼して式神事が開始


 

       雨の中、露店が準備を


 

   「わんぱく相撲」が行われる土俵の清めの儀

 

 

   〔曽我八幡宮の歴史〕

 
 曽我兄弟は、兄が十郎祐成、弟が五郎時致。父親は河津領主の河津三郎で、三郎は安元2年(
1176年)年10月、奥野からの狩りの帰路、領地争いをしていた伊豆領主工藤祐経の家来に殺されている。


 その後、兄弟は、父の仇を討つため精進を重ね、建久4年(
1193)年5月、源頼朝が富士の裾野で巻狩りを開くことを聞き付け、頼朝に随行した祐経の陣屋に討ち入って父の仇を討っている。


 しかし、仇を討ったものの兄の十郎は伊豆の後家人仁田四郎忠常と渡り合いとなって、その場で討たれている。

 弟の五郎は御所五郎丸に取り押さえられ、翌日頼朝の面前で取り調べを受け鎌倉へ護送される途中、首をはねられている。その場所が鷹岡といわれ、曽我八幡宮西側には五郎の首を洗ったといわれる井戸がある。
 時に十郎、
22歳。五郎は、まだ20歳だった。


 曽我八幡宮は、兄弟の仇討ちから四年後の建久8年(
1197年)に、兄弟の勇気、孝養、忍耐に感激した源頼朝が供養のために家臣の岡部権守泰綱に命じて建てたといわれる。

天文年間に武田、今川、北条抗争の場となって炎上。その後、慶長14年(1609年)に伊奈備前守が検地と称してこの地を訪れ再建している。


 応神天皇と曽我兄弟を祭神とし、厚原地区の守護神社として、また、諸願達成の霊験あらたかな神社として広く信仰を集め、毎年、関係地区が一致協力して、この時期に大祭を開き、歴史を継承、さらには地区のふれあいづくりの場としている。


 曽我八幡宮の南西
200値召砲老残錣眠る鷹岳山曽我寺があり、曽我八幡宮と鷹岳山曽我寺は、曽我兄弟の歴史を伝える兄弟ゆかりの地として広く知られている。

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