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富士市戦没者追悼式&平和のための富士戦争展
 

 66回目の終戦記念日を迎えた8月15日、富士市でもロゼシアター中ホールを会場に市と遺族会による「戦没者追悼式」が開かれ、参列しました。


 

           戦没者追悼式で…

 

 市議会議員としての参列は今年で5回目でしたが、1回目以降、感じてきたことは「年々、参列者が減少している」です。

 

当然です。遺族の高齢化が進み、現在の参列者は遺児が中心。その遺児も60歳後半以降。「今後も確実に遺族が減っていく5年後、10年後、反戦・平和の誓いの場である戦没者追悼式は、遺族中心から新たな取り組みが必要になってくる、それを今から遺族会の人たちと話し合っていくべきではないのか…、声を出さなくては…」と思っています。

 

この「戦没者追悼式」の始まる前、ロゼの展示室で開かれていた「平和のための富士戦争展(以下、戦争展)」へ。

 実行委員会方式で開かれているもので、その委員長は弁護士の小長谷保氏、今年で24回目となる反戦・平和の展示会です。

 

 このスタート時、自分はローカル紙の記者で、その取り組みを取材していたことから「実行委員に…」の誘いを受けたものの断りました。理由は、「さまざまな人たちが反戦・平和に取り組んでおり、自分のやるべきことは、それらを取材し、書くこと」、その思い、さらに戦後生まれで、戦争未体験の者が戦争の悲劇を伝える運動に当事者的立場でかかわることに戸惑いがあったことも事実です。

 

 そうした中にあっても戦争展には、実行委員会の取り組みに一市民として敬意を表する思いも込め、毎年出掛けています。

 

今年の展示期間は810日から15日。会場を訪れたのは最終日の15日で、多くのコーナーが設けられ、多くの市民が訪れていました。


 

       親子連れも目立った戦争展

 

今年は、例年とは違って一目散に「アジア・太平洋戦争で散った富士市の兵士たち〜戦争が若者たちの未来を奪った掘繊廚離魁璽福爾悄事前に実家の兄から「今年3月に実行委員会の方が自宅に訪れ、叔父さんたちのことを取材、それが紹介されているよ」との連絡を受けていたためです。

 

岩松村の海野稔、満24歳、1945年(昭和20年)、フィリピンルソン島で交戦中、生死不明となる。のち戦死と認定。

岩松村の海野勝、満21歳、1944年(昭和19年)、内大西洋で戦死。

 

海野稔、海野勝とも父の弟、叔父さんで、出身地や所属部隊、戦死地と戦死年齢などが模造紙に記され、さらに遺影も。

 

自分は戦後生まれであるものの、長く、叔父二人の遺影は実家の仏壇の上に飾られていたことから脳裏に焼き付いていました。

その遺影は50回忌を迎えた以降、実家の改築もあって整理されたものの、再び、このような形で叔父二人に再会できたことに感動し、実行委員会の熱意に頭が下がり、ただただ感謝でした。

「叔父二人が戦死したこと、それを忘れてはならない」、その思いを込めて持参したカメラで撮影、それが、ここに掲載してあるものです。


 

 
 戦後
66年、反戦・平和のために何ができるか、何をすべきか、それを、これまで以上に考えている2011年夏です。

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