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永井利夫さん、逝く
 

富士市厚原にお住いだった永井利夫さんが92日に死去、6日に葬儀が行われました。享年87歳。

 

永井さんは、昭和25年に旧鷹岡町役場に奉職。若くして議会事務局長や総務企画課長を担い、昭和41111日の二市一町合併にあたっては、旧鷹岡町が規模の小さい地方自治体であったものの総務企画課長として合併作業の先陣に立ち、旧吉原市と旧富士市に臆することなく意見を主張、当時の鷹岡町民が納得できる合併に結び付けた功労者でした。

 

合併によって誕生した現在の富士市の企画課長、公設地方卸売市場長、都市整備部長、環境部長などの要職を担い、昭和55年、定年まで二年を残して退職。その後、社会福祉法人誠信会が運営する特別養護老人ホーム「富士楽寿園」の施設長に就任。さらに、人権擁護委員や民生・児童委員、富士市社会福祉協議会の心配ごと相談員などを担い、これら福祉のグラウンドだけでなく富士市選挙管理委員会委員や富士市個人情報保護審議会委員、富士市自然環境保全会議委員、富士市行改革市民懇談会座長なども担ってきた方です。

 

自分、海野しょうぞうが永井さんと知り合ったのは、前職のローカル紙の駆け出し記者時代、昭和50年代の前半です。初対面時の印象は「怖いおっさん」でしたが、取材に対しては、今でいうところの情報公開を実践。富士市政を取材した掲載記事に対しては、「取材不足」「事実の羅列で真実に踏み込んでいない。ローカル紙の使命を発揮すべき」など厳しい指摘を受け、記者対市役所幹部職員という関係を超えた自分にとってアドバイザー的な存在でした。この関係、自分だけが決めていたものでしたが…。

 

定年前に退職。それも突然に…。永井さんは、退職理由の詳細は語らず、「何故?」の質問に「生活には困らない状況。筋を通したかった。先の事は何も考えていない」だけでした。

 

その後、民間福祉施設の施設長になったことや各種役職を担ったことから、市役所退職後も、あれこれとアドバイスを受け、すべての役職を去ったここ数年も市役所OB有志の親睦会に招かれた席でお会いしていました。

 

自分が4年半前に富士市議会議員選挙に初挑戦する際、ご自宅に挨拶に出向くと、「やっと決心したネ。期待している」と激励を受けたことを昨日のように記憶しています。

 

体調を崩されていたことを知ってはいたのですが、訃報の通知に「エッ!」で、「満足感をもって人生を閉じられたのでは…」の思いの一方で、「また一人、人生の師を失った」の寂しさが澎湃として湧き上がり、落ち込んでいます。

 

永井さんの訃報通知を受け、市役所で知り合いの職員に「永井さんが亡くなった」と伝えたところ、永井さんの存在は、すでに忘却の彼方となっていました。すでに退職から30年余を経過、仕方がないことです。

 

最近、自分が齢を重ね、還暦近くになってきたこともあって人生の師と仰いできた、市政や市議会のみならず教育、福祉、芸術文化、産業などで活躍し、今の富士市を築き上げてきた方が次々と亡くなっています。

その中で強く感じるのは、人物に視点を当てた郷土史の作成と継承の必要性です。戦争の語り部や女性史などの分野で市民団体が、その史実の発掘と継承に取り組んでいますが、全方位的に取り組み、後世に残すことが必要だと考えています。

「できるものなら老後のライフワークにしたい」、そう思ってはいるのですが、一個人では限界があり、それを、どうクリアすべきか…。官民協調で取り組むことができればいいのですが…。

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