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家庭紙のパイオニア、佐野廣彦氏逝く
 

 富士市の地場産業である製紙、そのうち古紙リサイクルの家庭紙のリーダー企業である丸富製紙の会長、佐野廣彦氏が828日に自宅で死去、密葬を経て917日にJA富士市やすらぎ会館で社葬をもっての本葬が行われました。享年80歳でした。

 

日本の経済成長が続く中、中小が多い古紙リサイクルの家庭紙企業は、バージンパルプを原料とする大手の家庭紙に、そのシェアを奪われ、苦戦、そして廃業・倒産も相次いできました。

最大の原因は、消費者の「高くても、ソフトな高品質のバージンパルプを原料とする大手の家庭紙を…」といった意識と感覚によるものでした。

 

 そんな厳しい社会情勢の中で廣彦氏は、「リサイクルが難しい」とされていた紙加工品である牛乳パックのリサイクルを実現、「牛乳パックの廣彦さん」と呼ばれる家庭紙のパイオニアでした。

安く、そして環境にもやさしい古紙リサイクルの家庭紙の商品価値を消費者に認めてもらえない。中小の経営者が、いいようのない失望と諦観を抱いて製紙業界から去る中、廣彦氏が陣頭指揮に立つ丸富製紙は高い技術力をもって品質の向上につとめて市場での評価を高め、廃業・倒産寸前の中小を吸収して失業の不安にわななく勤労者の雇用継続にも結び付けてきました。

 

「丸富さんは、金の力で廃業・倒産寸前の中小を吸収して大きくなった」、そんな批判めいた声も聞きますが、ローカルの記者だった自分は、その記者活動を通じて、廣彦氏、そして、現在、社長を担う廣彦氏の子息、武男氏の経営方針や人柄を垣間見る程度とはいえ知っていたことから、相次ぐ吸収は、ただ単に企業規模の拡大を目指したのではなく、古紙リサイクルの家庭紙の製造に高い誇りを持ち、平和産業である紙のまち・富士市であり続けたい、そんな思いの発露であり、時には社運を賭け、英断をもって吸収、結果として現在の丸富製紙があるのではないか、そう受け止めています。

それは、廣彦氏が企業経営だけでなく静岡県紙業協会や富士商工会議所の要職、さらには富士市環境審議会の委員などを担ってきたことからも窺い知れる、そう判断しています。

 

17日の社葬に、一市議として長年の産業功労に敬意と感謝を表するために参列。古紙リサイクルの家庭紙のリーダー企業の会長の社葬、これに加えて廣彦氏の長年にわたる産業功労の功績を立証する形で物凄い数の参列者の数でした。

葬儀場であるやすらぎ会館の四つのホールをすべて使用。幾度となく、やすらぎ会館に出向いていますが、これほどの規模、参列者の葬儀は初めてでした。

 

廣彦氏を支えてきた明美夫人は、富士市を代表する書家の一人であり、短詩系文芸でも活躍。文芸講演会などでご一緒することが多く、笑顔を絶やさない人でしたが、焼香後の参列者に謝意を示すために祭壇横に並ぶ遺族の中にいた明美夫人は「いまだに夫の死を受け止められない」といった暗い表情で、一回りも二回りも小さく見え、何か胸に迫るものがありました。

自分は、その他大勢の焼香者の一人。立ち止まって声を掛けるほどの立場、身分ではないことから一礼のみで、その場を立ち去りました。できるものなら、こんな言葉を掛けたかったのですが…。

 

「ご主人は、『満足できる人生だった』、そんな思いを抱いて旅立ったと思いますよ」


                            合掌

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