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岩山勝先生逝く、事実は小説よりも奇なり
 

『事実は小説よりも奇なり』という表現があり、「この世に実際に起こる出来事は、フィクションの小説以上に不思議な巡り合わせや複雑な変化に富んでいる」といわれますが、4月1日に葬儀が行われた岩山勝先生との出会いと別れは、まさに『事実は小説よりも奇なり』でした。

 

 きょうのブログは、岩山先生との出会いから別れまでを記そうと思います。追悼、哀悼の思いを込めて…。

 

 岩山先生は、自分が岩松小学校5、6年時の校長でした。もう半世紀も前のことです。先生は、運動テストの際、遠くから見学。そして運動会が近づくとランニング姿で運動場に訪れ、子供達と一緒に走っていたことから、多分、専門教科は体育だったのかもしれません。

 

 担任ではなく、校長でしたが、6年時の運動テストの際、「君、君…、踏み切りの時はもっと強く地面をたたくように…」と声を掛けてきました。走り幅跳びのテストの時です。
 声を掛けたのは全員ではなく、自分にだけで、「?」でしたが、次の「君は中学に入ったら陸上やんなよ」の言葉で、子供心にもなんとなく理解できました。

 小学時代、背が高く、スポーツ万能(今は、その面影は全くありませんが…)で、とりわけ走ったり、跳んだりするのが得意でした。岩山先生の声掛けは、それを知ってのことだったのかもしれません。

 

 中学に進学。部活を選ぶ際、岩山先生が掛けて下さった「…陸上やんなよ」を思い出し陸上部に入部。専門はハードルでしたが、中体連と呼ばれる中学総合体育大会は学校対抗戦でもあり、市内大会では、ハードルのほか短距離、走り幅跳び、走り高跳び、そしてリレーにも出場。ゴール付近の観客の中に岩山先生の姿があり、ゴールすると「よし、よし」といった感じで首を縦に振り、やさしい眼差しで拍手を送ってくれました。

 多感な中学時代、駆け寄り、お礼を述べるようなことはしません、いや、できませんでしたが…。
 

 専門のハードル、2年時に全国ランキング5位となり、「来年は全国1に…」の周囲の期待が「いやだな」と思いながらも練習を重ねていたのですが、3年時の夏、市内大会直前の練習で足首を折り選手生命を絶たれました。

 

 これが原因で、以後、「非行の道へ」ではなく「普通の中学生に…」、そして進学した高校では陸上部に入部。骨折は完治したものの、以前のようなバネを失い、「その他大勢の選手」となっていながらの入部は、周囲の期待を受けての中学時代の練習はイヤイヤながらで、「心身を鍛えるスポーツは自分のためである」を掴みとることができなかったからです。

 

 高校時代も専門はハードル。足首の骨折でバネを失ったこと、そして背が伸びなかった中で中学時代に比べて高校ではハードルが格段に高くなったことなどから1、2年時は東部大会で準決落ち、決勝に進むことができませんでした。

 

 そして迎えた高校最後の大会となる3年時、満足感をもって大会に出場。苦しい練習に自ら立ち向かい、大会に臨んだからです。

 東部大会を勝ち抜き、県大会では予選、準決を通過して決勝のスタートラインに立つことができました。結果は、確か4位か5位。東海大会、そして晴れの全国大会への道は県大会で閉ざされましたが達成感があり、悔いは残りませんでした。

 

 高校時代は、「その他大勢の選手」で終わったものの、3年間の陸上競技生活では多くのものを得ることができ、これも岩山先生の「…陸上やんなよ」の一言があったからだと思っています。

 

 歳月は流れ、結婚により岩松から配偶者の出身地である鷹岡の居住。再び岩山先生の名が飛び込んできたのは4年前です。

 

市議会議員となり、居住地区内にある学校法人渡辺学園「たかおか幼稚園」の入園式に来賓と招かれた際、資料に「創立者、岩山勝」とあり、理事長も園長も姓が「渡辺」であったことから「?」。

園長に聞けば、「岩山勝は私の父です。退職後、私の嫁ぎ先の鷹岡地区に幼児教育機関がなかったことから一念発起、『たかおか幼稚園』を創立し、初代園長に就任しました」。さらに「間もなく100歳を迎えます。自宅は川成島ですが、今は市内の老人専門病院にお世話になっています」。

 

 それを聞いて「エッ!」。しばらく次の言葉が出ないほど驚き、落ち着いてから岩山先生が小学校5、6年時の校長であったこと、陸上を勧められたこと、そして中学時代には大会に応援に来て下さったことなどを伝えると、園長も「縁って不思議ですネ」と目を白黒、最後は、その不思議さに共に笑い合ってしまうほどでした。

 

「いつかお見舞いに…」、その一方で「自分の事、覚えているかな」の不安もあって躊躇。歳月は流れ、そして届いた訃報。

 お見舞いに行きそびれたことに忸怩(じくじ)たる思いを抱いて参列した葬儀の場で、さらに驚くことがありました。
 祭壇に置かれた遺影は、享年104歳を示すものでしたが、岩松小校長時代の岩山先生の面影が残っていました。葬儀開始前、岩山先生の一生の紹介があり、その中で「岩山先生は、陸上競技の選手で、走り幅跳びとハードルで二回、国体にも出場しました」。

 

 まさに『事実は小説よりも奇なり』です。同時に、人は多くの人の支えによって生かされていることを改めて自覚、『一期一会』であっても人との巡り会い、出会いを大切にしたいと思っています。岩山先生から受けた人生訓として…。

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