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春分の日、実家のシモクレンが満開でした

 春分の日のきょう3月20日、あれこれ私用が重なる中、その合間に実家に行ってきました。「春分の日」だからです。

 

 自分の実家は富士市岩松地区浦町区。住所は富士市松岡784番地で、長兄が跡を継いでいます。

 飛び込んできたのは、門脇の道路に面した場所にあるモクレン(木蓮)科のシモクレン(紫木蓮)。あまりの見事さにバックから小型カメラを取り出し、ショット。そして、しばし、普段は、どこかに追いやっている思い出をたぐりよせてきました。


 

     実家にある、満開を迎えたシモクレンです

 

 このシモクレン、自分が中学二年の時、実家の改築が終了した際に母が植栽したもの。すでに30数年前のことですが、植栽時、すでに大人の背丈ほどあったことから樹齢は40年以上だと想定されます。

 

 母は第二次大戦時に舅、姑、そして小舅・小姑がいる大家族の農家に嫁ぎ、三男二女の五人を出産。復員した父が心身双方に戦争の傷を負っていたことから稼業である農業の大黒柱となって土と闘ってきました。

 母の記憶といえば、いつも額に汗を浮かべて働く姿しかなく、夕刻、野良仕事から帰ってくると休む間もなく裸電球一つの薄暗い土間で被っていた手拭いをとって顔を拭き、その所作一つで日中の仕事の苦労をすべてを拭き取り、甲斐甲斐しく無言のまま夕餉の支度に取り組んでいました。

 

「昔の女性は、それが当たり前だった」、そういう人もいますが、自分には子ども心にも「偉大な人」と映り、口答えどころか甘えることもできない人でした。

 

 そんな母が満面に笑みを浮かべたのが家の改築時でした。不便極まりない生活を余儀なくされた農家然とした家の改築。「長年の苦労が報われた」、そんな思いだったのかもしれません。

 この改築、新居誕生時に母が購入、植栽したシモクレンは母にとって初めての鑑賞花木でした。


 戦前、そして終戦直後の農家は、限りなく自給自足に近い生活。自分の実家も同様で、屋敷内に植えられている樹木はビワやカキ、ミカン、イチジクなど食料となるもので、敷地の境界線を示す樹木はお茶の木でした。


 そんな中での家の改築、新居誕生に合わせての母の鑑賞花木の購入、植栽は、家を守り、子どもを育てあげたことによって許された母のたった一つの贅沢だったのかもしれません。

 

 以後、毎年、3月から4月にかけてのわずかな期間に満開となるシモクレンは、道路に面した場所に植えられていることから道行く人たちの鑑賞花木ともなり、母は立ち止まって見入る人たちの姿に目を細めていました。そして「みんな喜んでくれるからうれしいよ」とも。

 

 晩年、母は、シモクレンの手入れを続け、そして老人クラブに入会して地域清掃などボランティア活動にも取り組むなど、ようやく訪れた人生の春を楽しんでいたのですが、古希を前に病に倒れ、あっけなく黄泉の国に旅立ってしまいました。

 

 10数年前、実家は長兄が改築、母の新居は取り壊され、敷地も大きく変わったのですが、母のシモクレンは、そのまま残してくれ、手入れは兄嫁が担ってくれ、そして今年も満開に…。兄嫁は「ここ数日、暖かいので一気に満開になったよ。多くの人が見に来てくれるよ」。自分にとって、ありがたいことです。

 

 6年前、ローカル紙の記者生活に終止符を打ち、「子育てが終わった残りの人生、世のため、人のために…」、そんな野望を抱いて市議会議員に挑戦、その職を仰せつかることができたのですが、母が残したシモクレンのような結果を出すことができているのか…、裏切ることなく毎年開花するシモクレンのように頼られる議員であるのか…。


 母が残したシモクレンに花言葉があるとするならば「もっとガンバレ」。裏切ることのない満開を母の叱咤と受け止めています。

 

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