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中丸浜区の平松墓地で中国人殉難者慰霊祭が開かれました

 きょう7月7日朝、富士市田子浦地区にある中丸浜区の平松墓地へ。午前9時から開かれる「中国人殉難者慰霊祭(以下、慰霊祭)」に参列。慰霊祭は、地元の中丸浜区と日中友好交流を目的とした市民団体である富士市日中友好協会が田子浦地区仏教会の協力を得て、毎年、この時期に開いているもので、自分、海野しょうぞうは日中友好協会の副会長としての参列でした。

 

 富士市内では、第二次世界大戦の末期、昭和19年ごろ、田子浦地区で飛行場の建設が進められ、日本の占領下にあった中国から500人余が強制連行され建設業務に従事。想像を絶する過酷な労働環境により52人が亡くなったといわれます。

 

 慰霊祭は、その史実を風化させずに後世に伝え、反戦・平和の輪を広げていくことを狙いに開催。中丸浜区の皆さんがテント設営や椅子などを準備、日中友好協会が受付や進行などを担当。今年の慰霊祭には、鈴木尚市長や、市議会を代表して望月昇副議長、さらに田子浦地区の区長会代表や周辺の住民の方々も参列して下さいました。


 

  田子浦地区仏教会の僧侶による読経が流れる中でのご焼香


 

           慰霊祭の全景です


 

   慰霊祭で式辞を述べる日中友好協会の渡辺敏昭会長


 

    地元の取り組みを伝える中丸浜区の区長さん



 

   市民を代表して追悼の思いを述べる鈴木市長

 

 この日、朝から蒸し暑かったものの、慰霊祭終了時、何か清々しい気分でした。慰霊祭参加を通して、ささやかではあるものの反戦・平和運動を実践できたことの自己満足があったからかもしれません。

 

 慰霊祭終了後、改めて二つの慰霊碑に見入っていると、そこから浮かび上がる記憶に清々しい気分は一転、少しばかり感傷的な気分となり、そして、いいようのない寂寥感に包まれました。

 

「二つの慰霊碑」は「?」ですネ。

 

 その一つは、「中華民国人興亜建設隊故歿者之碑」と記されたもので、飛行場工事請負人であった熊谷組が殉難者の霊を慰めるため昭和23年(1948年)7月に建立したもの。


 

「中華民国人興亜建設隊故歿者之碑」です

 

 もう一つは「中国人殉難者慰霊碑」と記されたもので、その建立は平成2年(1990年)7月です。


 

      「中国人殉難者慰霊碑」です

 

 昭和23年の「中華民国人興亜建設隊故歿者之碑」の建立後、関係者や地元の方々で慰霊祭が行われてきたものの、年を重ねるごとに「中国の人達が強制連行されて飛行場建設に従事、過酷な労働環境により亡くなった人もいた」という戦争史実を体験、そして直接的に見聞した人が少なくなり、「史実を伝える副碑的なものが必要」、さらに中国大陸に中華人民共和国が成立した以降、「中華民国」の国名は台湾を指すのが一般的となった、などから平成2年、関係者の熱意の結集で「中国人殉難者慰霊碑」の建立となったものです。

 

 この平成2年の「中国人殉難者慰霊碑」の建立時、自分はローカル紙の記者で除幕式を取材。確か、市も、その建立に向けて動き、費用は飛行場請負人であった熊谷組に求め、除幕式には中国大使館の関係者も列席、盛大に行われたことを昨日の出来事のように鮮明に記憶しています。

 

 しかし、間違いなく23年余の歳月が流れており、今年の慰霊祭参列者で建立時を知る人は、ごく少数。当時の富士市日中友好協会の会長で元・富士市長の渡辺彦太郎氏をはじめ亡くなられた人も多くいます。

 

で、「感傷的な気分…、寂寥感に包まれて…」となった次第ですが、「歳月は流れても、こうして慰霊祭が地元の皆さんの理解と協力で続いていることに感謝しなくては…」、そう思いながら見上げた空は、どんよりとした中にも光が差し込んでいました。

 

「梅雨明けは間近」、今は、もう会うことができない恩人、友人のエールのように思えたから不思議でした。

 

 以下に史実を伝える「中国人殉難者慰霊碑」の碑文を記します。


 

中国人殉難者慰霊碑

 

 太平洋戦争の末期、中国から強制連行されてきた504人が旧富士郡田子浦村に陸軍が建設中の富士飛行場へ到着、「興亜建設隊」に編入され、作業に従事させられた。

 当時の劣悪な食料事情と荷重な労働の中で、52人が故国にはせる想いも空しく現地で亡くなられ、この中丸共同墓地へ埋葬された。

 遺骨は昭和29年(1954年)5月、市内福泉寺において地元関係者による盛大な慰霊祭が行われた後、同年11月に懐かしの祖国へと送還された。

 なお、この「中華民国人興亜建設隊故歿者之碑」は、飛行場工事請負人であった熊谷組が殉難者の霊を慰めるため昭和23年(1948年)7月に建立し、以後、関係者が手厚く供養してきたものである。

 このたび、悠久の日中友好を念願し、あらためて殉難者の冥福を祈りつつ建立の経緯を記したものである。

             平成2年(1990年)7月

 

 
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