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視察研修報告(平泉〜東日本大震災被災地)パート

 自分、海野しょぞうが所属する富士市議会の会派「耀(かがやき)」は、8月26日から28日までの三日間、視察研修で世界文化遺産の岩手県平泉と岩手県下の東日本大震災の被災地を訪問しました。

 視察研修は、富士市の発展、そして安心・安全に結び付く全国各地の取り組みの把握が目的。報告書にまとめ議会事務局に提出しましたが、このブログで、その内容をお届けます。

 

 ただ、報告書が長文であることに加え、ブログはプライベートブログのため、内容の一部を省略しているほか、視察研修所感は海野個人の所感とさせていただきました。

 

 以下、


第1章 世界文化遺産・平泉の観光施策について


第2章 東日本大震災の岩手県三陸海岸の復興現況の把握


第3章 岩手県大槌町の復興施策と課題について


に分け、三回シリーズでお届けします。


 

第1章 世界文化遺産・平泉の観光施策について


【目的】


 霊峰、そして麗峰の富士山は、静岡県(富士市、富士宮市、裾野市、御殿場市、駿東郡小山町)と山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)
にまたがる標高3,776叩日本最高峰の独立峰で、その優美な風貌は日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ、芸術面でも大きな影響を与えた。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。

 古来から零報とされ、特に浅間大神が鎮座するとされた山頂部は神聖視され、噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。

 

 また、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の側面が築かれ、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。


 現在、富士山麓周辺には観光名所が多くあるほか、夏季には富士登山
が盛んである。


 日本三名山(霊山)
や日本百名山、日本の地質百選などに選定され、1936年(昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

 その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25年)6月22日には関連する文化財群とともにユネスコの世界文化遺産に登録された。

 日本の文化遺産としては13件目、4件の自然遺産と合わせ日本の世界遺産登録は合計17件である。

 

 富士山の世界文化遺産としての正式名称は『富士山―信仰の対象と芸術の源泉―』で、その対象となった構成資産は山頂の信仰遺跡群や富士山本宮浅間神社、白糸の滝、富士五湖など25カ所である。

 この世界文化遺産に登録された霊峰、そして麗峰の富士山を真っ正面から仰ぎ見る(と富士市及び市民の多くは、そう解釈)富士市は、残念ながら構成資産が皆無。

 

 しかし、富士市には、富士山観光の玄関口となる東海道新幹線の新富士駅や東名、新東名それぞれにインターがあり、さらに海の玄関口となる田子の浦港もあるだけに、いまだ試行錯誤の域にとどまるものの、ここ10年来、「観光を富士市の新たな産業に…」と、あの手この手の観光振興施策に取り組んでいる富士市にとって富士山の世界文化遺産登録は千載一遇のチャンスであることに間違いない。

 

 このチャンスを、どう生かすか。2011年(平成23年)に世界文化遺産に登録された岩手県下の平泉(ひらいずみ)の地を訪れ、登録を観光振興に、どう結び付けているか、それを探った。

 

【視察研修内容】


[平泉の世界文化遺産登録とは…]

 平泉は、岩手県南西部にある古くからの地名で、現在の平泉町の中心にあたる。

 この地域一帯には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうちの中尊寺(ちゅうそんじ)(もう)越寺(つうじ)観自在(かんじざい)王院(おういん)(あと)量光院(むりょうこういん)(あと)(きん)鶏山(けいさん)の5件が、平泉の世界文化遺産を構成する遺産となっている。

 

 平泉は、世界文化遺産の登録前から全面に金箔を張り、柱や須弥壇には蒔絵(まきえ)螺鈿(らでん)、彫金をふんだんに使った国宝の中尊寺・金色堂が有名だったことから登録対象を建造物ととらえ、「登録は国宝の中尊寺・金色堂」と誤解されることも多かったが、登録の正式名称は『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』。ユネスコの世界遺産リストへの登録は2011年(平成23年)6月29日。日本における12件目の世界文化遺産登録であり、東北地方では初の世界文化遺産となった。

 

 正式名称が示すように、平泉の世界文化遺産は、平泉が仏教に基づく理想世界の実現を目指して安末期に造営された政治・行政の拠点で、その寺院建築や庭園群は、現世における浄土世界を表現した顕著な空間造形の傑作であり、さらに、その背景を成した精神性は、宗教儀礼・行事を通じて現在にも確実に継承されていることが高く評価されての登録録である。

 

 ここでいうところの現世における浄土世界とは、戦乱で亡くなった者を敵、味方の区別なく慰める仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)であり、その建設の一翼を担い、中尊寺を建立した藤原(ふじわらの)清衡(きよひら)1056年―1128年)の「戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡の非戦の決意が込められている」といわれる。

 

つまり、平泉は、現代社会に痛烈なメッセージを放つ、人間としての本来の姿、思想、そうした無形の貴重な遺産でもある。「その深淵なる無形の貴重な遺産も体得しなければ…」、そんな気負いをもって平泉町役場を訪れる前に、代表的な構成資産である中尊寺と毛越寺、そして町内にある平泉文化遺産センターを視察した。


 

代表的な構成資産である藤原清衡が建立した中尊寺の門前、世界文化遺産の登録前から平泉を代表する観光スポットだったことから観光客を迎える商業施設が整備されていた


必要以上の手に加えていないことに
より、長い歴史を体感できる参道



中尊寺の本堂前で…


 

覆堂の中にあるガラスケースで保存されている国宝の金色堂
(写真・ビデオ撮影が禁止されているためパンフレットから)

塔山を背景に築造された毛越寺の庭園の中心を成してい
大泉ケ池(おおいずみがいけ)に注ぐ清流


 

この庭園では盃を浮かべ流れに合わせて和歌を詠む平安時代の遊び、「曲水の宴」が行われたという(再現を掲載したパンフレットから)


 

世界文化遺産センターの外観、入場は無料だった



[平泉町の登録までの取り組み]


 世界文化遺産の登録を観光振興に、どう結び付けているか、それを探るために中尊寺などの視察後に訪れた平泉町役場は、車で中尊寺から15分、毛越寺から10分、世界文化遺産センターからは、わずか5分程度。まさに世界文化遺産群の中にある。

 

 約束時間に到着すると、玄関口には議会事務局の職員が待ち受けており、案内された議会フロアの会議室では、すでに入室していた青木幸保議長と斎藤清壽議会事務局長が、我々を迎えてくれた。

 早速、青木議長から「熱烈」と形容できるほどの歓迎の挨拶を受け、それを受け我々会派「耀(かがやき)」は代表の海野庄三議員が視察研修の受け入れの返礼と、視察研修の目的を伝えた。

 

 このあと、世界遺産推進室の及川司室長と観光商工課の千葉多嘉男課長から、世界文化遺産登録までの取り組みと、登録後の観光振興の取り組みの説明を受けたが、これまでの視察研修では、議長においては公務多忙により、歓迎の挨拶が終わった時点で退室。ところが、青木議長は、そのまま在室。職員の説明を聞きながら議会を代表してのコメントを発した。

 驚きとともに、観光振興に向けての議会側の熱意が伝わってきた。

 さらに“二元代表制”における地方自治体の議会のあり方、その実践例を教訓的に突き付けられた思いであった。


 

歓迎の言葉を述べる青木議長



観光振興の取り組みの説明を受ける

 

 さて、世界遺産登録までの取り組みについてであるが、平泉町は2002年(平成14年)4月に教育委員会内に世界遺産推進室を設置。登録実現は2011年(平成23年)6月29日であり、10年目にしての夢開花である。

 

 その間、町として庁内横断的組織の世界遺産関連調整会議の場を設けるとともに、平泉の文化遺産にかかわる構成資産の保存及び活用を住民と行政が一体となって推進するための世界遺産地域協議会を岩手県にも参画を求めて設置。

 そうした組織体制を経て資産(コアゾーン)の確定やバッファゾーンの設定、景観条例の制定、保存管理体制の整備、普及啓発事業などに取り組んでいる。

 このほか、世界遺産推進室を設置した2002年(平成14年)の12月には、史跡整備や推薦書作成など世界遺産推進にかかわる経費に充当を掲げての「平泉町世界遺産推進基金」を設置している。

 この基金には、2011年(平成23年)3月現在で個人、法人から146件の寄付が寄せられ、その総額は9,1156千円となっている。

 平泉町の人口は約8,500人で富士市の30分の1に過ぎない。寄付件数及び、その総額を、人口をもとに富士市に置き換えれば件数は約4,400件、金額は約27億円で、驚くべき数字である。

 

 一方、民間サイドでも2001年(平成13年)1月に平泉町世界遺産推進協議会が設置され、2003年(平成15年)8月には古都ひらいずみガイドの会が設立されている。

 そのうち平泉町世界遺産推進協議会は、年会費個人1千円、団体3千円の会費制で運営、民間サイドから会報発行や講演会、会員への情報提供などに取り組んでいる。

 会員数は約600人(団体)。これを富士市に置き換えれば約18,000人という数になり、これらの数値からも平泉町では官民が協調して世界文化遺産登録に取り組んできたことが明確に浮上している。

 

 

[世界文化遺産登録後の観光振興の取り組み]


 登録後、平泉町では、「観光客の大幅な増加が見込まれる」と、「誘客推進」「情報発信」を強化するとともに「受け入れ態勢の整備促進」などに取り組んでいる。

 

 そのうち「誘客推進」の強化では、平泉町のほか一関市、奥州市、岩手県で世界遺産連携推進実行委員会を組織して観光キャンペーンや誘客キャラバンを実施しているほか平泉世界文化遺産登録&東北復興祈願イベントも開催。

 

 このほかにも、平泉町、中尊寺、毛越寺、観光協会、商工会で平泉町観光推進実行委員会を組織して首都圏での観光キャラバンに取り組み、修学旅行の誘致海外エージェントの誘客活動にも取り組んでいる。

 説明を受け、職員に「海外エージェントの誘客でターゲットとしている国は…?」の質問を提示、返ってきた国は「韓国と台湾」だった。

 この「韓国と台湾」からの誘客は、「岩手県の空の玄関口で、福岡、大阪、名古屋を結ぶ同県唯一のローカル空港・いわて花巻空港の利用を前提にしたもの」とのことだった。

 

 つまり、空の交通の便からのターゲットの設定ということになる。

 

「現世における浄土世界を表す平泉の文化は欧米人も強い関心を示すのでは…」を投げ掛けると、職員は「その通り。今後は欧米の方々にも紹介、平泉を訪れてもらえたら」と満面に笑みを浮かべながら答えた。

 そこには、平泉の地に脈々と伝わる文化への誇り、そんなものを感じ取ることができた。

 

「情報発信」では、外国語のリニューアルを図った観光協会のホームページの再構築事業をはじめ、平泉町待合室に大型液晶モニターを設置しての町内の観光情報案内と、中尊寺、毛越寺、無量光院跡に固定カメラを設置してライブ映像を発信するデジタルサイネージシステムの整備、外国メディア旅行商談会への参加、さらに外国人観光客に対して光ステーションエリア内において14日間、無料でWi−Fiインターネットが可能なカードを提供するWi−Fiサービスなど。

 

「受け入れ態勢の整備促進」では、800台収容の町営駐車場に加え満車時に対応する1,200台収容の臨時駐車場の整備、無料休憩所の設置や固定ガイドを配置するおもてなし対策、多言語化も図った巡回バスの充実、タクシーガイドの養成と語り部タクシーの運行、JR東日本の支援による平泉駅のリニューアルなどが示された。

 

 観光客の入込数について、世界文化遺産登録前も平泉は岩手県を代表する観光地であったことから年間160万人から200万人で推移。NHK大河ドラマで『義経』が放映された2005年(平成17年)には、その大河ドラマ効果で221万人を数えている。

 世界文化遺産登録年の2011年(平成23年)は、飛躍的な増加が期待されたものの登録三カ月前の東日本大震災の影響による、生活全般の自粛ムードで192万人にとどまったが、登録二年目となった2012年(平成24年)の入込数は264万人で過去最高を記録している。

 この264万人を平泉町の約30倍という人口の富士市に置き換えた場合、実に7,920万人という驚くべき数字となる。

 

 しかし、入込数が264万人を数えた2012年(平成24年)の平泉町の宿泊者は46,098人で2%にも満たない。

「観光を産業としていくには宿泊者の確保が重要」とされている中での2%をとらえ、「観光の産業化を目指し、富士山の世界文化遺産登録をチャンスとする富士市では、その振興策の一つとしてホテル・旅館の誘致を打ち出しているが…」を投げ掛けると、宿泊比率が極めて低率な理由として「平泉から車で1時間程度のところに鳴子や松島、花巻などの温泉地があるので…」をあげ、その上で「平泉町の景観条例により、建物の高さ規制もあるため誘致は考えていない」、これに「平泉町内にはホテル・旅館が6施設あり、その収容人数は400人余。しかし、稼動率は4割から3割であり、既存の宿泊施設のフル稼働を目指し、宿泊施設の拡大は農家民泊を目指している」とのことだった。

 

 この返答を受けての感想は、「平泉は世界文化遺産登録前から観光地方都市として成立しており、町の景観を大きく変えることになる新たなホテル・旅館を誘致する必要もないのでは…」だった。

 

 今回の視察研修では、時間的に町財政に踏み込むことはできなかったが、多分、人口8,500人にして観光入込数が264万人という点から宿泊比率が極めて低率であっても健全かつ優良な観光地方都市ではないか…と推測され、視察研修の最後の職員が述べた「今後、目指すのは高止まりの観光入込数」の言葉も、その推測に符合するものだった。

 これはまた、この地に生まれ、生きる人たちが、来訪者(観光客)は歓迎するものの、現世における浄土世界を表す平泉の文化に誇りを持ち、大きな変革は求めない、といった風土が“地方の力”となることの証左ともいえる。

 

 観光とは、「その地に住む人が住み続けたいと思い、それを光として放ち、訪れる人が相次ぐこと」とされている。平泉の地を訪れ、観光の本質を教えられた思いである。

 

 

【視察研修所感】


 平泉町役場の議会会議室で、2時間余、あれこれ説明を受け、質疑応答の後、お礼を述べて退室。

 すると、青木議長をはじめ視察研修の場に臨んだ職員全員も正面玄関口まで同行、車に乗り込み、役場を去るまで見送りをして下さった。


 

右端が平泉町議会の青木議長、正面玄関口前で…

 

 観光都市を目指す上では、観光の本質を理解するとともに、ホスピタリティも大きなウエートを示す、それを実感する場面であった。

 さらに、富士山の世界文化遺産登録をチャンスととらえて富士市も、あの手この手の観光振興施策を打ち出しているものの、富士山の世界文化遺産としての正式名称が『富士山―信仰の対象と芸術の源泉―』であり、その名称命名の意図を、いま一度、見詰め直す必要性も感じる今回の視察研修であった。

 学者知事である本県の川勝平太知事が登録決定時、テレビキャスターに感想を問われた際に放った「富士山は自然遺産でなく、文化遺産、これは凄いことですよ」とコメント。視察研修後における、その知事コメントは「頂門の一針ごとく」である。

 

ホスピタリティ=心のこもったもてなし

 
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