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日本舞踊の若柳吉以智先生が引退

 きょう1014日、富士市蓼原町のロゼシアター中ホールで開かれた『第47回富士市総合文化祭』の邦楽の舞台、そのラストを飾った『滝の白糸』『秋の風』『磯のかもめ』『雨やどり』『浄瑠璃舟』の五つの舞踊で構成された『米寿に香る端唄の彩』を感慨深く鑑賞してきました。

 

 この舞台は、若柳吉以智社中と藤本秀八社中によるもので、若柳先生の米寿祝いを兼ねた引退舞台。「若柳先生の振付で舞うお弟子さん達には、若柳先生の魂が乗り移っていた」、そんな感じの感動的な舞台でした。


 

 終演時、邦楽関係者に囲まれ、引退にあたって
              感謝の言葉を述べる若柳先生(中央)

 

 若柳先生は、日本舞踊家として70年の長きにわたり活躍。富士市に日本舞踊の伝承と普及、そして邦楽文化を育てあげ、文化連盟の重鎮として芸術文化全般の振興にも尽力された方です。

 指導者としての活躍だけでなく、数年前まで現役の舞踊家として舞台にも立ち、日本歌曲や童謡など近代音楽とのコラボレーションにも取り組むなど舞台で輝き続けていました。

 

 自分が若柳先生の面識を得たのは、前職のローカル紙の記者時代、もう30年以上も前です。日本舞踊、そのイロハも分からなかった駆け出し記者に、あれこれ教えて下さったのが若柳先生でした。

 

 記者生活を続ける中、筆が進まなくなった時期がありました。福祉にしろ、芸術文化にしろ、自分が取り組まなければ書けない、実践がなければ書けない、そんな悩みで、「エィ!」とばかりに仕事の合間をみて挑戦。芸術文化面では、書くことを生業としている線上で企画や演出に取り組み、幾つかの舞台も手掛けてきました。

 

 とはいえ全くの素人からの独学での挑戦。四苦八苦する自分を支えてくれた一人が若柳先生でした。

 

 あれは高村光太郎の詩集『智恵子抄』をテーマにした近代音楽と日本舞踊のコラボレーションステージに取り組んだ時のことです。

 周囲から祝福されなかった光太郎との結婚、そして洋画家としての挫折や実家の没落、貧困な生活、あまりにも激動の人生から智恵子は心を病み53歳の若さで亡くなる。その智恵子を若柳先生は近代音楽の旋律に同化するように舞い、狂気の場面では「怖い」、それを感じさせるほどの熱演。舞台終演後、「久しぶりに、いい舞台でした」と深々と頭を下げられました。

 すでに古希を過ぎた年齢でしたが、「芸術文化の道に終着駅はない」を実践。同時に、その舞いを通して「日本舞踊とは心の表現である」を教えてくれた人でした。

 

 二、三年前、体調を崩されて車椅子使用となり、それが今回の引退決意になったとは思いますが、まだまだ指導者として輝きを放ってほしいと思っています。「日本舞踊とは…」、その本質を語り続けてほしいと願っています。

 
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