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生涯、人生の挑戦者! 勝又武一先生逝く

 きょう1月8日夕刻、自宅にかかってきた電話、元・参議院議員、勝又武一(かつまた・ぶいち)先生の夫人からで「主人が亡くなりました」。


 お住いは自宅近くの富士市鷹岡地区久沢。夫人と二人暮らしで、元旦に年始に出向いた際、お留守でしたが、高齢世帯ゆえ樹勢にまかせるままだった庭の樹木がきれいに刈り取られており、何か、いやな予感を抱いていました。


 先生は89歳。歳に不足があるわけではないものの、前職のローカル紙の記者時代から人生の師と仰いでいた方だけに、訃報の知らせに寂寥感が澎湃と…。「このままでは駄目だ」と気を取り直し、受けた恩への返礼の思いを込めて、追悼の、この一文を書き始めています。

 

 先生は1924年(大正13年)年6月9日、富士市に生まれ、県立富士中(現・県立富士高)から横浜市立経済専門学校(現・横浜市立大学)に学び、卒業後、民間会社勤務を経て小中高校の教諭に…。その後、県教組委員長、県評議長などの要職を担い、1977年(昭和52年)年6月に行われ参院選に静岡選挙区から社会党(当時)公認で出馬し当選。

 国会議員時代は参議院通信委員長などを担い活躍。当事の党の勢力と政治家としての力量、さらに年齢的にも「次期参院選も当選間違いなし」といわれながらも体調を崩し、一期(6年間)をもって退任、その後は県教育公務員弘済会理事長などを担っています。

 

 マイカーは自転車。80歳を超えてからもマイカーを駆って遠方で開かれる会合にも外出していたようですが、寄る年波に勝てず、ここ数年、体調を崩されていました。

 

 7年前、自分が32年間の記者生活に終止符を打ち、富士市議会議員選挙に挑戦する際、ご自宅にご挨拶に訪れると、開口一番、相好を崩しながら「ようやく決心してくれたネ」。続けて「市議を第一歩にして大きな政治の舞台を目指してほしい」。


 この注文には、「市議ですら自分には荷が重いほどの重責。それに当選する自信もない」の言葉を返すと、態度を一転、「そんな弱気で、どうする」と叱責、締めの言葉は「政治家の評価は人様が決めて下さるもの。市議に当選したら、それを胸に歩み、人様が期待する道を突き進んでほしい」。自分にとっては意味深長な、キツ〜イ一発でした。

 

 市議就任以降、選挙公約に基づく政治活動の一環として所在区のまちづくりセンターを会場に年2回ペースで開いている「市政・議会報告会」には必ず訪れ、会場の片隅でじっくりと聞き入って下さっていました。
 報告会終了後には、あれこれアドバイスを下さり、「先生のためにも頑張らねば…」、その思いを胸に刻み続けてきました。

 

 先生は、生活者の視点で政治活動をはじめ教育、労働運動に取り組み、気さくな人柄から〃ブイチちゃん〃と呼ばれ信望を集めてきた人で、その人なりは、80歳を迎えた2005年(平成17年)に自費出版した著書『歴史と風土と人間』に示されています。


 この出版時、自分はローカル紙の記者で、出版をニュースととらえて取材した際、同書の寄贈を受けており、訃報の知らせに書庫から取り出して、今、目を通しています。


 

著書『歴史と風土と人間』

 

『歴史と風土と人間』はA5判、450ページ。「80年のわが生涯を振り返り、この時点で区切りをつけて往時を省み、まとめてみることと、81歳以降の人生の生き方と研究目標を見つけ出すことに一つの意義があるのではないのか」としての執筆で、先生の人生は激動の戦後そのものといえるだけに、同書は自叙伝を超えて本県の教育や労働を中心とした貴重な戦後史の重さを有しています。

 

 五部門に区分。その第1部は随想編として、新聞や雑誌、機関紙などに依頼されて執筆したエッセイや論文などを掲載。第2部は自伝、第3部は参議院議員時代、第4部は参議院退任後の20年間の社会活動、第5部は付録として居住する旧・鷹岡町の歴史や産業、祖先と家族など。

 

 第2部の自伝では、「私は何回となく生死の境をさまよい、警察留置所と未決拘置所に拘留され、破産状態も再三体験、火災の類焼で無一文になったこともあった」。そんな波乱に満ちた人生の中でも佐藤一齋の『春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら肅(つつ)しむ』を生涯の座右の銘として歩み続けてきただけに、同書からは人にやさしく、自分に厳しく、不条理な社会に立ち向かい続けた〃ブイチちゃん、その人〃が友人らの手記も絡まりながら浮き彫りに…。

 

 さらには1965年(昭和40年)7月に行われた参院選後の県警VS静教組という対立構造では、家庭の主婦でもある女性教諭が授業終了後、夜おそくまで強制的な取り調べを受け、その中には産休中や妊娠中の人もいたことに激怒、所轄署に取り調べの終了と逮捕者の釈放を条件に「私が出頭、逮捕に応じる」と談判、留置場・拘置所で22日間も拘留されたことを「浜松事件(秘話)」として記載など、これまでの史実に新たな一ページを加える部分も随所に…。

 

『歴史と風土と人間』は、自伝・回顧にとどまらず、第4部の「参議院退任後の20年間の社会活動」の中では、『今後の課題』と題してアジアを中心とした日本の安全保障問題や日本の未来、市町村合併と地方主権(富士山麓都市構想)などの私見を記して「今後の私の研究課題にしたい」、『あとがき』でも「本書の発刊を一つの道標として次の記念塔を目指して精進していきたい」と記し、先生がライフワークとしてきた平和国家・民主主義国家の構築に向けて今後も果敢に挑戦していく意気込みが示されています。

 

 今、先生の著書『歴史と風土と人間』を改めて目を通し、「このブログに表紙とともに、今となっては遺影となる先生の写真を…」とページをめくったのですが、顔写真どころか活動中のスナップ写真も一枚すら掲載されていません。

 80歳を節目に自費出版した『歴史と風土と人間』は、単なる”自叙伝”ではなく、新たな挑戦に向けての先生の”決意文”と受け止めるべきかもしれません。

 

 生涯、人生の挑戦者であった勝又先生の葬儀は、通夜が10日(金)午後6時から、本葬が11日(土)午前9時から、ともに富士市青葉町540、セレモニー富士で…。喪主は夫人の昭子さん。   
                           合掌

 
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