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富士市の福祉の父、廣瀬巖さんを偲ぶ会
 “昭和の日”の、きょう4月29日、富士市蓼原のロゼシアターレセプションホールで“富士市の福祉の父”といわれた廣瀬巖さんを偲ぶ会が開かれ、感動のひと時を過ごしてきました。
 
 偲ぶ会は、廣瀬さんが急逝だったことを踏まえ、親交のあった政策提言集団・関サロン代表の関政雄さん、富士市社会福祉協議会会長の松本玲子さん、NPO法人ハイネット・ふじ理事長の鈴木澄美さん、福祉をすすめるみんなの集い代表の金刺美津子さんらが発起人となり、会費制の実行委員会方式で開催。
 
 出席者は90人。自分は、「偲ぶ」というよりも「指導を受けた恩人への追悼」という思いから参加させてもらいました。


  ロゼのレセプションホールで開かれた偲ぶ会の様子です
 
 出席者の顔ぶれは、幼なじみ、職場の同僚・部下、仕事上での付き合いなど多彩で、偲ぶ会で語られた出席者それぞれの立場から語られる廣瀬さんとの出会い、思い出の数々、そして人柄は改めて「滅私奉公の人生を歩んだ人だったのだ」の思いを強くするものでした。
 
 その中では、利用対象を高齢者・母子家庭・障害者に限定し、宿泊を認めていなかった社会福祉センターの利用を運営の委託を受けている指定管理者の長として小学生を対象とした通学合宿の利用にも開放への英断を下したことも知ることができました。
 
 廣瀬さんは、口癖のように「お役所は『先例がない』を口実に市民の願いを拒否することが多いが、先例がなければ先例をつくればいい」といったことを述べていました。その実践が社会福祉センターの通学合宿の利用開放だったのです。
 
 案内状を送付し、出欠席の返信を求めての開催。事務局は、「出席と返信のあった全員が参加してくれました」と笑顔を広げていました。
 故人の年齢からして出席者には高齢者が多かった中での全員参加。「ここにも廣瀬さんの偉大さが示されている」、自分は、そう思うのです。
 
 終了後、偲ぶ会に参加できたことで急逝への無念さが氷解、同時に、澎湃(ほうはい)と湧き上がる「自分は、これから、どの程度、生きられるかわからないが、廣瀬さんから受けた指導を胸に、廣瀬さんの歩んだ道を目指そう」の思いに、偲ぶ会で不謹慎とは承知しつつも幸福感、そんなものを抱いていました。
 
「いま一度、廣瀬巖さんという人を胸に刻もう」、この思いをもって、以下に、偲ぶ会で参加者に配布された“その人なり”を記します。 

     
廣瀬巖(ひろせ いわお)さん
 富士市役所奉職時代は主に福祉・保健分野を歩み、福祉課長、市民福祉部長、福祉保健部長などを担う。定年退職後は富士市シルバー人材センターに勤務。センター退職後は私費を投じて福祉先進諸国を視察して福祉の本質を伝え、実践。その一つが高齢者福祉の向上を目指すNPO(特定非営利活動)法人のハイネット・ふじの設立で、理事長を担うなど市民活動のリーダーとして活躍。
 その活動と指導力が注目を集め、行政福祉を補完し、民間サイドから福祉の向上役を担う富士市社会福祉協会の理事に推し出され、さらに市職員出身者としては異例の会長に就任、2年前に後進に道を譲って退任するまで三期6年にわたって会長職を担った。
 肺疾患の病気療養中の平成26年2月13日、富士市立中央病院で死去。享年82歳。
 自宅住所は富士市鮫島592番地の5。自宅近くの林正寺に眠る。
 
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