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富岡製糸場の世界文化遺産登録が決定!

 きょう6月21日夕刻のテレビニュースのトップは、サッカーワールドカップではなく、カタール・ドーハで開催中のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会が日本政府推薦の「富岡製糸場と絹産業遺産群」を文化遺産として世界遺産に登録を決定、でした。

 この朗報、連日の商業ベースに乗った「これでもか…」という感じのサッカーワールドカップ関連のニュースラッシュにうんざりしていた、というわけではありませんが、感慨深いものがあり、自分の住む地(静岡県富士市)とは遠く離れた群馬県富岡市の世界遺産であるものの、「よかった」、その思いが募っています。

 

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、西欧からの最新技術を導入して1872年(明治5年)に設立された富岡製糸場と周辺の養蚕関連施設の計4件で構成。富岡製糸場のほかの関連施設は、近代養蚕農家の原型である「田島弥平旧宅」、養蚕技術の教育機関「高山社跡」、岩の隙間から吹く冷風を利用して蚕の卵を貯蔵した「荒船風穴」。

 革新と、海を越えて絹産業の発展をもたらした歴史的価値が世界に認められての世界遺産登録であり、日本の世界文化遺産の登録決定は昨年の「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」(山梨、静岡県)に続いて14件目、自然遺産も含めた世界遺産全体では18件目。

 日本での世界文化遺産としての産業遺産の登録は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」(2007年登録)以来、2件目ですが、近代化の産業遺産は今回の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が初めて。

 

 この「富岡製糸場と絹産業遺産群」、2012年(平成24年)8月に世界遺産センターに正式推薦されるまで、訪れたことがなかったこともあって詳しくは知りませんでした。が、正式推薦以降、その産業遺産としての価値の高さを伝える情報に接し、「関係者の保存に向けての熱意と労苦が報われてほしい。世界遺産に…」、その思いを抱き続けてきました。

 

 かつて絹は高価な繊維とされ、明治以前、欧米では貴族階級のドレス、日本では武家や朝廷、そして一部の富裕層でしか使用されない、使用できないものでした。

 明治に入っての西欧からの最新技術を導入した富岡製糸場は、絹の大量生産時代へのレールを敷くものであり、大衆に絹が普及、さらに絹産業は外貨獲得の輸出の基幹産業に発展。

 

 しかし、太平洋戦争以降、数奇な軌跡を刻んでいます。

 

 1941年(昭和16年)3月公布の蚕糸事業統制法によって富岡製糸場も統制経済に組み込まれ、同年5月に設立された日本蚕糸統制株式会社に賃貸され航空機関連の軍需生産へ。製糸工場として操業を続けるものの、生産する絹は軍需用の落下傘向け。輸出も皆無に…。

 

 戦後、GHQは経済の民主化を進め、1946年(昭和21年)3月に日本蚕糸統制株式会社も解散となり、民間経営としての富岡製糸場が復活。経営会社の片倉工業は、1952年(昭和27年)から自動繰糸器を段階的に導入し、電化を進めるために工場内に変電所を設置。その後も最新型の機械へと刷新を繰り返し、1974年(昭和49年)には生産量373,401kgという富岡製糸場史上で最高の生産高をあげています。

 

 戦争に続いて富岡製糸場を襲った時代の波は、和服を着る機会の減少などの社会情勢の変化と、1972年(昭和47年)の日中国交正常化による中国産の廉価な生糸の増加で、富岡製糸場の生産量は減少に向かい、1987年(昭和62年)に操業を停止、同年3月に閉業式が挙行されています。

 

 しかし、です。ここからが世界遺産に値する富岡製糸場のすごいところ。

 

 経営会社の片倉工業は、富岡製糸場閉業後も、その産業遺産としての価値を認識する形で「貸さない、売らない、壊さない」の方針を堅持。富岡製糸場は巨大さゆえに固定資産税だけで年間2,000万円余、その他の維持・管理費用も含めると最高で1年間に1億円以上かかったこともあるとされ、さらに片倉工業は修復工事をするにしても、コストを抑えることよりも、当時の工法で復原することにこだわったといわれ、これにより富岡製糸場は良好な保存状態で保たれ、関係者の間で片倉工業の貢献は非常に高く評価されていた、といわれます。

 

 富岡製糸場保存に向けての片倉工業の取り組みとともに、操業停止後、市民レベルでも、その価値を伝えていこうとする学習会「富岡製糸場を愛する会」が1988年(昭和63年)に発足。

 この会社、市民の活動は政治を動かし、富岡市長だった今井清二郎氏は、その在任中(1995年〜2007年)、富岡製糸場の保存に向けての交渉を開始。そんな中、2003年(平成15年)に群馬県知事の小寺弘氏が富岡製糸場について「ユネスコ世界遺産登録するためのプロジェクト」を公表。翌年の2004年(平成16年)12月には県知事、市長、片倉工業社長の三者での合意が成立し、富岡製糸場が富岡市に寄贈されることが決定。2005年(平成17年)9月30日付けで富岡市に寄贈され、翌日から市がボランティア団体との二人三脚で管理を行っています。

 

 2005年(平成17年)7月14日付けで「旧富岡製糸場」として国の史跡に指定され、これに続いて2006年(平成18年)7月5日に1875年(明治8年)以前の建造物が国の重要文化財に…。2007年(平成19年)1130日には経済産業省から「近代製紙業発展の歩みを物語る富岡製糸場などの近代化産業遺跡群」の構成資産に認定されており、今回の世界遺産登録は、これまでの保存活動と、その価値評価の最終段階でした。

 

 あれこれ資料をもとに記しましたが、「友人を誘い、一度、富岡製糸場へ」と思って旅行社に問い合わせところ、「世界遺産登録が確実となった春以降、観光客が大挙して訪れ、すでに11月まで団体見学が平日も満杯で、予約を受け付けていない」とのこと。続けて「1年前、富岡製糸場の駐車場は観光バスが1、2台に過ぎなかったのですが…」。

 で、しばらく団体として訪問、見学はお預けになりますが、世界遺産への登録を契機に、その訪問動機が薄ぺらな観光であっても、富岡製糸場に込められた保存活動と、その価値が広く日本人の間に広がることは間違いありません。

 

 1年前、富士市のシンボルでもある富士山が文化遺産として世界遺産に登録され、その登録日である、あす22日には市内各所で登録1周年記念イベントが行われますが、「富岡製糸場の登録までの歴史に学び、富士山は信仰の山で、古くから人々が畏怖の念を抱いてきた文化遺産としての世界遺産の登録である、それを今一度、見詰め、保存に向けての施策を考えなくてはいけない」、そんな思いを強く抱いています。「これでいいのか…」、その視点をもって…。


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