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岩手県雫石町での少年交流事業など視察・調査

 7月28日から30日まで会派研修で秋田県秋田市と岩手県雫石町、31日には議員研修で静岡市民文化会館を訪れました。

 長文になりますが、ブログを休んだ分、まとめて、四日間を、ここに記します。

 

 28日から30日にかけての会派研修での秋田市訪問は義務教育の取り組みの把握、雫石町訪問は富士市と雫石町の少年交流事業の把握と今後の事業の在り方の考察が目的。

 

 

秋田市の教育とは…

 

 秋田県は義務教育における全国学力テストで常にトップまたはトップクラス。

「静岡県は…?」といえば平成25年度の全国学力テストで小学6年生の国語Aが都道府県別最下位。

 とりわけ、最下位の結果に怒り狂った感じで昨年9月に川勝平太知事が国語Aで全国平均を上回った県下86校の校長名を発表した際、富士市では、その該当校がなかっただけに教育関係者は深刻な問題と受け止めているようです。

 市議会も同様。先の2月定例会の一般質問では学力向上に向けての取り組みをただす質問がありました。

 

 この学力問題、結果は静岡県が都道府県別最下位、その最下位の中で全国平均を上回った富士市内の該当校が皆無ですが、対象とする学力テストの結果は小学6年生の国語Aで、いってみてば望遠鏡で見た部分的な問題。

 とはいえ、改善の必要があることには間違いなく、「議会・議員の立場から意見を発信していくには結果を出している教育委員会の取り組みの把握を…」となったもので、訪れた秋田市は、「全国トップの秋田県の中でも模範的な義務教育の取り組みしている」とされています。

 

 秋田市庁舎内の会議室で教育委員会学校教育課の指導主事2人から、あれこれ説明を受け、その説明に質問。説明、質問、それに対しての回答のトータルは2時間余。感じ、思ったことは、教育のプログラム化が徹底しており、「新規採用の教員であっても一定レベル以上の授業展開が可能ではないか」でした。

 児童・保護者にとって「新規採用であろうと、ベテラン教員であろうと、その経験年数や指導力によって授業の質に軽重があっては困る」という中、その不安を解消していく教育力、そんなものを感じ取ってきました。

 

 

雫石町との今後の交流に向けて…

 

 一方、雫石町を訪問しての富士市と雫石町の少年交流事業の把握と今後の事業の在り方の考察は、事業の推進と拡大の面からの取り組みでした。

 

 昭和46年(1971年)7月30日に雫石町の上空で航空自衛隊の戦闘機と全日空の旅客機が接触し、両機とも墜落。自衛隊機のパイロットは脱出に成功したものの全日空機は機体に損傷を受け空中で分解、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となり、そのうち125名が富士市の吉原遺族会の北海道旅行団でした。

 この事故は、当時、国内の航空事故としては最大の犠牲者数。事故後、遺体や機体の残骸が落下した山中の頂上付近に関係者によって「慰霊の森」が整備され、事故発生日に慰霊祭が行われてきました。

 

 その慰霊祭は、公式のものとしては平成15年(2003年)の三十三回忌をもって終止符が打たれていますが、当時の富士市長、鈴木尚氏は「富士市民の間に飛行機事故の史実を後世に伝えるために…」と次代を担う少年交流事業を提唱、翌年の平成16年(2004年)からスタートしたのが富士市と雫石町の少年交流事業です。

 隔年で相互の市町を訪問。本年度は富士市が雫石町を訪問し、公募で申し込んだ小学5、6年がバス1台で事故発生日の7月30日に慰霊行事を組み込むことが可能な7月28日から同31日の日程で訪れています。

 

 市政の監視機能を担う議会・議員の視察となると「廃止や縮小など事業の見直しのために…?」と受け止められそうでが、今回の視察は、その逆。

 自分、海野しょうぞうが所属する会派「耀(かがやき)」では、この富士市と雫石町の少年交流事業がバス1台態勢で、毎回、定員を上回る応募があることから、その事業の有意義性を踏まえ、「定員を拡大、バスの台数を増やすことはできないか」が会派の一致した意見でした。

 

 しかし、富士市、雫石町、それぞれの滞在中は、市民・町民の理解と協力を得てのホームステイを基本としていることから、会派主張にあたっては町側の意向や受け入れ態勢の許容量の把握が必要であり、今回、秋田市の義務教育の取り組みを把握する研修の準備を進める中、時間的、距離的にも可能だったことから「少年交流事業実施に合わせた期間に雫石町訪問」となったものです。

 

 富士市と雫石町は平成25年(2013年)7月30日に災害時相互応援協定を締結、同年11月1日には友好都市も締結しており、その相互応援協定及び友好都市締結の今後の在り方を探ることも今回の訪問目的としていました。

 

 秋田市から雫石町に向かうレンタカーの車中で「少年交流事業は練り上げたプログラムを実施中であり、迷惑や、担当者の負担をかけずに…」を確認。まず慰霊の森の現地調査→河川と農園での交流視察→雫石町役場での聞き取り調査→雫石町中央公民館でのホームステイ受け入れ式の視察という流れのスケジュールを消化してきました。

 

 慰霊の森は、富士市でいえば岩本山のような場所。「大型バスが通行できるだろうか」の不安を抱くほどの林道を登り、中腹あたりから階段を徒歩で…。その数は550段余。時間にして登りは30分、降りは15分程度。

 これ、移動は車が中心、運動は「体力消耗の無駄な行動」と決め込んでいる横着人間からとらえた所要時間。訪れた子供たちは、その半分程度の所要時間だったのかもしれません。


     災害復興工事が行われた慰霊の森の入口部分


     延々と階段が続いていました

 

「航空機事故発生日の7月30日には、公式の慰霊祭に終止符が打たれた以降も全国各地から遺族などが慰霊に訪れていることから、今もなお雫石町の町民の皆さんが清掃活動に取り組んでいる」、事前に聞いていた通り、慰霊の森の階段をはじめ慰霊碑周辺は掃き清められ、ごみ一つ、雑草一本すらなく、熱いものがこみ上げてきました。


        花と線香を持参して慰霊の思いを


             碑文の全文です


              慰霊碑の前で…

 

 我々が訪れたのは事故が発生した7月30日の前日の29日。事故発生日の30日には少年交流事業の一行が、この慰霊の森に訪れることになっていたことから、「あれこれ現地を調査。よって厳粛な慰霊行事に支障があっては…、慰霊に訪れる方々の顰蹙を買っては…」と前日の29日に…。訪問時、人影はなかったのです、調査後、階段を降っていると目に飛び込んできたのは息を切らせながら登ってくる喪服姿の初老の男性。「まだ、事故がもたらした悲劇は続いている」、それを実感した一場面でした。

 

 河川と農園での交流視察では、子供たちの喜々とした姿にふれ、中央公民館でのホームステイ受け入れ式では、富士市、そして受け入れる雫石町の子供たちは双方ともに少し緊張気味でしたが、それを察してか雫石町の吉川健次教育長は、子供たちにソフトな、語り掛けるような口調で歓迎の言葉を伝えていました。


     雫石町の山間部を流れる葛根田川での川遊び


  川遊び後には雫石町スタッフが河原で焼き上げた

                ヤマメの塩焼きをプレゼント


  チョット緊張気味の子供たちにソフトな、語り掛けるような

          口調で歓迎の言葉を述べる吉川教育長(中央)


         雫石町役場の正面玄関前で…

 

 その間に訪れた雫石町役場では、まず、2階の復興整備課へ。

 

 昨年、平成25年(2013年)8月9日に岩手・秋田を襲った豪雨で雫石町も河川や山林に大きな被害を受け、その復興に向けて災害時相互応援協定に基づき富士市から雫石町に派遣されている土木職2名の職員との面会を申し出、その際、職員は、「慰霊の森も大きな被害を受け、参道は登れる状態ではなかった。雫石町では、今もなお多くの人が慰霊に訪れる30日に合わせて最優先で復興に取り組んだ」。

 これを聞き感激。課長は不在だったことから「健康に留意して頑張って下さい」と激励、立ち去ろうとした、その時、幸運にも米澤衛課長が戻り、直接、感謝の気持ちを伝えることができました。

 

 2階から3階の議会棟。階段を上がろうとした時、階段前のオープンスペースにソファがあり、その奥にはデスク。座っていたのは初老の紳士。座席表示をみれば『町長 深谷政光』。

 我々が富士市の市議一行と知るや駆け寄ってきて、「まあまあ、休憩を」。気さくな町長であり、町長室のオープンスペース化については「私は民間出身の町長で、民間感覚で、このようにした」とのことでした。

 

 3階の議会棟に出向くと議会事務局の千葉昇局長の出迎えを受け、通された会議室には、すでに猿子恵久議長と石亀貢副議長が待ち受けており、歓迎の言葉を受け、それを受け、会派代表者として、以下のような、訪問目的の狙いを伝えることを絡めた挨拶を述べてきました。

 

「全日空飛行機事故は、もう40年以上も前の極めて悲惨な事故。当時、自分は、学生だったが、知人の父親が犠牲になられたこともあって、事故後、しばらく経ってから富士市で行われた合同葬儀にも参列。その際、遺族の方々は、『私達は現地に急行。雫石町の山中で遺体探しの真っ最中。炎天下の作業でありながら、その作業にあたる人達を全日空と自衛隊関係者と思い込んでいたことから言葉を荒げて怒りをぶつけた。後に、作業にあたる中には多くの雫石町の方々がおり、私達の怒りに反論することもなく、黙々と作業にあたって下さったことを知った。その恩を生涯、忘れない』と話していた。しかし、それを知る人は時の流れとともに1人、また1人と去っている。三十三回忌後にスタートした少年交流事業は、次代を担う富士市の子供たちに、そうした貴重な、後世に伝えたい史実の継承も期待しての取り組み。我が会派としては、この事業の定員を拡大、台数を増やすことはできないか…、それを願い、その実現の可能性を探るため、さらには、災害時相互応援協定及び友好都市締結の今後の在り方を議会・議員の立場で探ることも目的として、今回、訪問させていただいた」

 

 少年交流事業を実施中、また、慰霊の森を管理する財団の会合もあって、視察・調査目的に対しては教育委員会や総務部署など町の担当者の代理人という立場で千葉局長から説明を受けたのですが、少年交流事業の定員の拡大について「ホームステイ以外の宿泊施設は…?」の質問には、「雫石町にはスキー場があり、民宿も多い」との回答でした。

 

 そのやりとりの中、猿子議長から、こんな提案がありました。

 

「多少、費用がかかるもののグリーンツーリズムによる宿泊先確保を検討しては、どうか」

 

 グリーンツーリズムとは、農山漁村を訪問して、その自然と文化、人々との交流をありまのままに楽しむ余暇形態。物見遊山型の観光的余暇とは違って比較的安価に、ゆったりと過ごすところが特徴。

 猿子議長によれば、雫石町は観光振興の線上でグリーンツーリズムの推進を図っており、議長自身も花卉(かき)農家としてグリーンツーリズムに取り組み、「6人を一グループにして受け入れている」とのことでした。

 

 一方、災害時相互応援協定について猿子議長、石亀副議長とも富士市への訪問実績をもとに「富士市は防災の先進都市。学ぶべきことが多々ある」。

 また、友好都市締結の今後の在り方については、一部の関係者による儀礼的な友好交流ではなく、雫石町が10年前から取り組み、富士市では今年3月に富士商店街が初めて開いた軽トラ市などを事例にあげて、さまざまな分野で交流、相互の都市発展に連動する友好交流に向けての意欲が語られました。

 

 この雫石町の訪問、視察・調査を目的としたものの、「議会・議員という立場での市政への参画は、どうあるべきか。情報入手や情報発信は現状のままでいいのか」、そんな重い課題を突き付けられるものでした。

 

 

静岡県市町議員研修

 

 31日の静岡市民文化会館での議員研修は、静岡県の市議会議長会と町村議会議長会が年一回開いているもの。

 

 原則、県内の市町村議員が全員参加。正式には平成の大合併で静岡県の村が消えたことから市町議員が全員参加。講師には政治関係の著名人を招いており、今年の講師は元NHK解説委員で、前学習院女子大学特別専任講師の平野次郎氏。演題は『世界を読む、日本を読む』。

 

 平野氏は1940年生まれ。通信情報技術の先端会社であるNHKに勤務していたニュース番組の看板キャスター。その時代を知っていたことから、NHK時代との比較において講演会の進行スタイルや語り口が講演の内容以前の問題として「エッ!」。驚きと戸惑いが交差する中、その自己整理がつかないまま時が過ぎ、気がつけば講演が終了。

 自分にとって、放たれる言葉の意味深長の深度が深すぎる講演だったのかもしれません。

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