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齊藤和可子さん、逝く

 富士市を代表する政治家、齊藤滋与史氏の夫人、和可子さんが8月29日死去。88歳。葬儀は9月1日に近親者で行われ、後日、偲ぶ会が開かれる予定。その訃報に接し、「尊い人生とは…」に思いを巡らしています。

 

 自分が和可子さんに初めてお目にかかったのは、前職のローカル紙の記者時代、それも駆け出し記者の30数年前でした。

 以後、記者の目に映る和可子さんは、笑顔を絶やさず人と接し、選挙では内助の功を発揮…。「政治家の妻の鏡」、そんな思いを抱き続けてきました。

 

 しかし、その人生は決して平坦ではなく、ある意味、波瀾万丈でした。

 

 “世界のトヨタ”の創業者である豊田喜一郎氏の二女として出生。大昭和製紙創業者である齊藤知一郎氏の二男、滋与史氏と結婚し、大企業の重役夫人としての生活へ。


 その生活は1964年(昭和39年)に一変します。


 大昭和製紙の副社長だった滋与史氏が吉原市長選挙に出馬して市長に…。その後、滋与史氏は国政に進出して衆議院議員に連続6回当選、1986年(昭和61年)からは静岡県知事に…。


 滋与史氏は、1993年(平成5年)に病気のために知事職を辞任しましたが、その後も和可子さんは滋与史氏の後任として衆議院議員となった甥の齊藤斗志二氏の活動・選挙を支援。最後にお会いしたのは、2009年(平成21年)8月の斗志二氏最後の戦いとなった第45回衆議院議員選挙の運動最終日、選挙事務所前広場での運動打ち上げの時でした。

 

 その時、和可子さんは闘病中。両脇を抱えられながらの会場入りで、多くの支援者の最後尾から檀上の斗志二氏を見詰め、支援を送っていました。


 帰り際、「覚えてますか?」と声を掛けると、「覚えてますよ、海野さん。市議会議員になられたそうで…。頑張って下さい」、そんな激励の言葉を受けたことを記憶しています。

 

 自ら道を切り拓き、功成り名を遂げ、歴史に、その名が残る人生が“尊い人生”ならば、自ら選択したわけでない波瀾万丈の人生であっても笑顔を絶やさずコツコツと歩み続けてきた和可子さんの人生も、また“尊い人生”です。

 

 その“尊い人生”に万斛(ばんこく)の思いを込めて合掌。

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