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富士市の元助役、影山辰男さん逝く

「現在の富士市の都市基盤を築いた人」、そう言っても決して過言ではない元助役の影山辰男さんが3月24日午後6時50分、肺化膿症により市内の病院で死去。92歳。通夜は28日午後6時から、本葬は29日正午から、ともに富士市青島200番地の1、やすらぎ会館で…。葬儀委員長は書家の久保田花鵬さん、喪主は夫人の栄さん、施主は娘婿の悦男氏。

 

 影山さんは1922年(大正11年)8月31日、岩本の旧家に生まれ、1943年(昭和18年)に関東軍野砲兵聨隊に入隊。印度洋カーニコバル島上陸など南方戦線で戦い、復員は終戦から1年後の1946年(昭和21年)7月でした。

 

 1948年(昭和23年)に富士ニュース社の記者となり政治・経済を担当。1951年(昭和26年)に岩松村議会議員、1954年(昭和29年)に旧富士市議会議員に当選。20代で挑戦した岩松村議選挙ではリヤカーにマイクを乗せて選挙運動を繰り広げたといいます。

 

 1958年(昭和33年)には、その政治力を買われて旧富士市職員に…。二市一町合併後の1970年(昭和45年)に筆頭部長である総務部長に就任。そして1975年(昭和50年)に助役に起用され、3期12年にわたって当時の渡辺彦太郎市政を支え、1987年(昭和62年)に退任しています。

 

 自分、海野しょうぞうにとって影山さんは、富士ニュースの大先輩ですが、直接的にかかわったのは助役時代で、市の特別職×ローカル紙の記者という関係でした。その主張と行動から学ぶことが多く、自分にとって影山さんは仕事を超えた人生の指南役でした。

 

 助役退任後も電話や手紙で、あれこれアドバイスを下さり、時には(海)のサインで執筆したコラムに注文や苦言も…。それは、ありがたい物事の本質を見失わないための注文、苦言でした。

 さらに、あれこれ述べた後、「海野君、書くだけで満足していてはダメだ。書くだけでは世の中は変わらない。政治の道を目指せ!」でした。

 

 期待に応えることができずにいたのですが、8年前、富士市議会議員への挑戦を決意。それを報告すると、相好を崩して発した言葉は「うれしい。天に舞い上がる気分」。応援弁士も担っていただき、投票日には深夜にもかかわらず選挙事務所に訪れ、当選が決まると真っ先に「バンザイ」を叫び、「選挙に立候補したのは誰…?」と戸惑うほど喜んでくれました。とても80歳を超えた老人とは思えないほどに…。

 

 しかし、ここ数年は足腰が弱くなり、外出を控え、自詠歌をもっての書道に励む日々を過ごしていました。

 

 訃報の知らせを受け、影山さんが1989年(平成元年)に自費出版した自叙伝『わが軌跡』を読み返しながら、その人生を改めて見詰めています。

 助役時代は革新市政の少数与党。市長の女房役である助役として市政の円滑な運営に向けては大変なご苦労があったはずです。

 さらに、その助役時代、住民の反対運動や職員の不祥事も相次ぎ、その対応にも大変なご苦労があったはずです。

 そんな中でも着実に現在の富士市の基礎を築き上げてきました。


助役時代の影山さん(自叙伝『わが軌跡』から)

 

 富士市を語る上で忘れてはならない人、その偉大なる人生を後世に伝えていくのが自分の役目、今、それを胸に刻んでいます。合掌

 

 


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