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哀悼、望月武君への鎮魂記

 富士市出身、富士市在住のシナリオライター&小説家の望月武(もちづき・たけし)さんが5月14日、急性心筋梗塞により急逝、46歳でした。自宅住所は富士市松本170−3。葬儀は、通夜が16日午後6時から、本葬が17日午前10時から、ともに富士市松岡531−5の金華堂で…。喪主は父親の照介(しょうすけ)さん。


 今年3月の『ふじ市民文芸』第51号の表彰式後に行われた

                      『文芸フォーラム』で講演する望月武さん

 

 このブログでは、“武君”と呼ばせていただきます。武君との出会い、そして、あまりにも短すぎた武君の人生、それを、ここに…、哀悼の鎮魂記として…。

 

 武君は、自分、海野しょうぞうが勤務していたローカル紙・富士ニュース社の社員でした。もう20数年前、武君は20代前半、小説家志望でしたが編集部に空席がなかったこともあって配属は営業部でした。

 

 残業中の事、「編集長、読んでもらえますか?」。400字詰め原稿用紙、50枚程度の作品。確か中学校が舞台の、いじめを題材にした作品だったと思います。

 

 当時、富士ニュース社は自主文化事業として『小説・随筆コンクール』を開催。審査員は、『戦艦武蔵』で記録文学に新境地を拓き、『関東大震災』」などにより菊池寛賞を受賞した吉村昭先生(2006年7月31日没、79歳)。日本を代表する歴史小説家がローカル紙主催のコンクールの審査を担う。この“不思議”は吉村先生の厳父が富士市出身、そんな縁があってのことでした。

 

 自分がコンクールを担当しており、「…読んでもらえますか?」となったもので、独学で文章の基本を習得したらしく読みやすく、内容も破綻のないものでした。

「コンクールに応募してみては、どうか。選評をもって吉村先生のアドバイスを受けられるから」、そんなことを伝えたことを記憶しています。

 

 富士ニュース社に勤務すること数年、その間、武君は富士ニュース社のコンクールのほか富士市教育委員会主催の『ふじ市民文芸』や、静岡県教育委員会主催の『県民文芸』などの小説部門に応募、入賞・入選を重ねていました。

 

 そして、「退社することになりました。どうしてもプロになりたくて…」。上京してシナリオライターの養成学校に入学する、とのことでした。

 

 自分は、武君の「小説家志望」に対し、「厳しい道。趣味の範囲でやったら」とアドバイスしてきたものの、その真剣な眼に圧倒され、「挑戦できるのは今しかない。頑張ってみな」、そう激励して送り出しました。多分、挑戦を重ね、プロへの道の厳しさを知り、それでも挑戦したことへの満足感を持つなら、それも悔いを残さない青春だ、そんな思いで…。

 

 うれしい誤算の朗報は、それから2、3年後、テレビニュースが「今年の読売テレビシナリオ大賞は富士市出身の望月武氏の『フレンチポテトカップ』に決定」と伝えました。1998年でした。

 読売テレビのシナリオ大賞は、文学界でいえば芥川賞や直木賞にあたる価値あるもので、大賞受賞作品として2時間のドラマ化され、テレビ放映されています。主演は室井滋さんでした。

 この作品でシナリオライターとして中央デビューを果たし、続いて1999年には作品『炎天』で日本シナリオ作家協会新人賞を受賞しています。

 

 以後、日本シナリオ作家協会に所属してテレビや映画、舞台など幅広いジャンルで作品を手掛け、テレビの人気アニメ『名探偵コナン』や『花田少年史』の脚本も担当しています。

 

 シナリオライターとして円熟期に入った中でバイク事故により右手足を複雑骨折し4ヶ月の入院生活を送るも、この入院期間中を充電期間として推理小説を読み漁り、それを糧にして執筆した400字詰め原稿用紙で600枚を超える長編小説『テネシー・ワルツ』が2008年の第28回横溝正史ミステリー大賞で「大賞の該当なし」の第二席、事実上のトップ賞であるテレビ東京賞に輝き、シナリオライターに続いて小説家としても社会的に認知を受ける受賞でした。

 この『テネシー・ワルツ』も2時間のドラマ化され、テレビ放映されています。

 

 しかし、確かな実績を築き上げながらもシナリオライター&小説家として食っていける状況ではなく、富士市に居住し、アルバイトで生活費を稼ぎながら書き続けていました。

 それは“物書き”としてのポリシーを貫いていたためです。「書くことに追われることなく、自分が書きたいことを書く」、そういったポリシーです。

 シナリオライターにおいては視聴率至上主義、小説においては奇抜さや、バイオレンス(破壊、暴力)を求める出版界とは一線を画し、今後も人間の深層心理を見詰め、人としての真の幸福とは…、それを世に提示する作品を書き続けていく、そう受け止めていました。

 

 武君なりの執筆活動を続ける中では、富士市教育委員会の『ふじ市民文芸』の小説・児童文学部門の審査員や、かつて勤務した富士ニュース社の紙面、名画紹介シリーズ『シネマいま、むかし』の執筆を担い、富士市の文芸文化の振興にも貢献していました。

 

 最後に会ったのは、今年3月で、『ふじ市民文芸』の第51号表彰式に合わせて行われた『文芸フォーラム』でした。彼の執筆活動と、その執筆姿勢にエールを送る思いも込め、フォーラム主催者として文芸講演会の講師を依頼したもので、武君は1時間余にわたり「ひとつのアイデアから作品が完成するまで」と題して作品づくりのコツを参加者に伝授しています。

 

 講演終了後、「最近、どう…?」と聞くと、満面に笑みを浮かべながら「新たな長編小説を執筆中です」との返事がありました。それが自分が聞いた武君の最後の言葉でした。



       講演会終了後の記念撮影(左が武君です)

 

 あまりにも早すぎる旅たち、ただただ、無念ですが、彼が遺した作品は時空を超えて生き続けていく、そう確信しています。

                                                   合掌

 

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