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富士市の鷹岡地区で殉国者慰霊祭が開かれました

 きょう10月17日、富士市鷹岡地区の入山瀬神社境内に建立されている鷹岡殉国者慰霊塔で慰霊塔奉賛会(渡邊威理事長、以下、奉賛会)主催による「第62回慰霊祭」が開かれ、参列しました。


         渡邊理事長による慰霊の辞です


          遺族の方々による献花です

 

 旧・鷹岡町では1953年(昭和28年)の町制20周年の際、殉国者の慰霊塔建設計画が持ち上がり、その推進団体の奉賛会が発足。慰霊塔完成年の1955年(昭和30年)に「第1回慰霊祭」が開かれています。

 1966年(昭和41年)に二市一町(旧・富士市、旧・吉原市、旧・鷹岡町)合併により現在の富士市が誕生した以降も旧・鷹岡町の事業として継続、今年で第62回を迎えたものです。

 

 旧・鷹岡町の戦死者が348柱を数えていることから今年も多くの遺族が参列、改めて「戦争とは…」を考えさせられました。

 

 渡邊理事長をはじめ来賓として参列した小長井義正市長や影山正直市議会議長、富士市遺族会会長、遺族代表などが慰霊の辞を述べ、渡邊理事長の「決して戦争の史実を風化させてはならない」の言葉には重い響きがありした。

 その言葉は、奉賛会役員と遺族の高齢化をとらえたものであり、「今後も慰霊祭を続けなければ…、続けてほしい」との次世代へのメッセージと受け止めてきました。

 

 慰霊祭では、英霊に捧げるご詠歌や慰霊の歌、詩吟などの披露も行われました。


          碧雲寺有志によるご詠歌です


 静岡愛吟国風会鷹岡教室有志による詩吟、

   西條八十の『日本人』と乃木希典の『富岳』を披露しました

 

 慰霊祭参列後、次の予定地に向う車中、「後世に、意義の高い、この慰霊祭を、どう伝えていくか、伝えられるか…、戦争の悲劇を形とした慰霊塔の保存も含めて考えていかなければならない」、その思いが募ってきました。

 戦後生まれの自分にとって重い課題ですが、「誰かが…」ではなく、所在区の市議として来賓として招かれ、参列を続け、慰霊祭に寄せる奉賛会の熱意を受け止めている者の責務として「自分が…」、それを胸に刻んで模索、行動に移していかねば…です。

 

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