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富士市が核兵器廃絶平和都市宣言30周年を迎えるも…

 今年、富士市は核兵器廃絶平和都市宣言30周年を迎え、その記念式典が1129日にロゼシアターの中ホールで開かれ、記念式典に合わせて『30周年記念誌』が発行され、記念事業として市民に広く参加を呼び掛けての非核・反戦映画『アオギリにたくして』(2013年製作、中村柊斗監督)も上映されました。

 

 都市宣言の普及を担う総務部広報広聴課と核兵器廃絶平和富士市民の会(以下、市民の会)が協調しての開催。自分、海野しょうぞうは、議長とともに市議会総務市民委員会委員長の立場で式典に臨みましたが、市民の会メンバーのリードで来場者が都市宣言文を唱和した際、瞬時、脳裏に、ある方が浮かび、都市宣言文と重ね合わせて、いいようのない寂寥感に襲われました。

 

 ある方とは、常に大衆に軸足を置き、不条理な権力と戦い続けてきた富士市在住のフリージャーナリストだった落合巳代治(おちあい・みよじ)さんです。

 

 落合さんは、労働組合の戦士から地方議員に…。その後、ローカル紙『岳南市民新聞』を創刊。舌鋒鋭い記事を書き続け、60歳を過ぎた頃、「体力的に限界」と『岳南市民新聞』を譲渡して生活協同組合の理事長に…。

 

 波乱の人生を過ごすも落合さんは、非核・反戦運動をライフワークとし、生活協同組合理事長時代の1985年6月3日に発足した非核平和都市宣言を求める実行委員会の委員長に就任して署名運動を展開。

 実に、当時の市人口の3分1にあたる72,902人の署名を集め、市議会に核兵器廃絶平和都市宣言の採択を求める請願書を提出。同年9月5日に市議会は満場一致で採択しています。

 この採択を踏まえて1119日、市議会11月定例会本会議に市長提案による核兵器廃絶平和都市宣言が満場一致で可決されています。

 

 その都市宣言可決の場面を市議会本会議場の傍聴席で見詰めていた落合さんは、「人生、最高の日」と話し、双眸(そうぼう)には光るものがありました。

 

 晩年はローカル紙『富士ニュース』の編集部客員としてコラム『ペン横丁』を執筆していましたが、2004年に人生に終止符を打っています。87歳でした。

 

 落合さんの熱意と努力が結実した都市宣言は、官民協調によって都市宣言の具現を図る活動が進められ、そして迎えた都市宣言30周年。記念式典が行われ、都市宣言までの経過や、これまでの市や市民の会の活動を詳細に記した記念誌が発行され、記念事業として反核・反戦映画の上映も。満席ではなかったものの記念式典と記念事業には300人余の市民の皆さんが来場しました。


 かつて、ローカル紙の記者、そして一市民の立場で落合さんが提唱した都市宣言運動に参画した者として喜ぶべきことでありがならの「いいようのない寂寥感に襲われ…」、それは唱和した都市宣言文の、この部分に進んだ時点でした。

 

「…平和に対する 深刻な脅威と 戦争の危険は後退していない…」

 

 世界は30年前と何も変わらない。そして「平和国家ニッポン」も揺れる時代となっています。落合さんが生きていたならば、嘆く時代となっています。

 

「でも、諦めてはいけない。都市宣言を理想としてはいけない。1人はちっぽけな存在であるものの、大河も一滴から成る、それを信じて非核・反戦のために何ができるか、何をすべきかを見詰め、行動に移さなければ…」

 

 寂寥感に向けて、つぶやく、もう一人の自分がいました。

 

 以下、富士市の都市宣言の全文をアップします。



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