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クリスマスのプレゼントです

 きょう1224日はクリスマス・イブ。外来行事であるものの、その宗教的背景とは関係なく、日本では、すっかりと正月と並ぶ祝い行事に定着。サンタ帽子にトナカイの鼻飾りを付け、夜の町中を千鳥足で徘徊して気分よろしく誰彼無しに「メリー・クリスマス」と声を掛けるオッサンサンタ族は少数派となっているものの、今宵も「メリー・クリスマス」が交差することになります。

 このクリスマス・イブに、時空を超えての心温まる話を、プレゼント代わりに一筆啓上。

 

 自分、海野しょうぞうも、このクリスマス・イブ、毎年、知人であり、友人であり、そして恩人である富士市津田にお住まいの辻村晴男さん宅のクリスマス・パーティーに招かれ、中年オッサン族でクリスマス・イブをエンジョイしています。

「何、中年オッサン族が…」と思われる方があるかと思いますが、辻村さんの誕生日が1224日で、誕生祝いを兼ねてのクリスマス・ホームパーティーです。

 

 今年も辻村さんから「24日の夜、空けといて…」の電話。「はいよ!」と二つ返事で答えたものの「場所は自宅ではなく市内のホテルで…」。聞けば、「今年、創業20周年を迎えた、代表を担う『辻村・音楽企画店』の感謝の集いにする」とのことでした。

 

 辻村さんは、世界最高峰のピアノコンクールである『ショパンコンクール』を支える調律師を数多く輩出しているカワイ(河合音楽製作所)に勤務していた調律師。社団法人日本ピアノ調律師協会認定会員の資格を有し、その調律歴は45年に達しています。

 

 カワイ勤務時代には、ピアノ製造に携わり、出荷最終段階の検査も担ってきたことから単に音を合わせる調律を超えてピアノの再生も手掛ける調律師。20年前に独立して『辻村・音楽企画店』を起業。調律のほかピアノ再生、さらに調律師の養成や音楽イベントの企画も手掛けています。

 

 辻村さんの奥さんは、声楽家で富士市少年少女合唱団の主宰者。さらに富士市文化連盟の重鎮でもある辻村典枝先生。

 前職のローカル紙の記者時代、辻村典枝先生と知り合い、取材を重ねる中でご主人の辻村とも知人、友人に…。記者時代は「飲み友達」といったところでしたが、そんな中、華々しいスポットライトを浴びるステージに立つ人には多くの支えがあり、調律師も、その1人。決して表舞台には出ないものの、そうした陰の人達の存在を見落としてはならない、その人生指針を受け、今では知人、友人を超えての大恩人です。

 

 さて、冒頭に記した「時空を超えての心温まる話…」。

 

『辻村・音楽企画店』は、今年10月末、代表の辻村さんと技術主任の臼間雅代さんの2人で、山梨県中巨摩郡昭和町にある風土伝承館『杉浦醫院』に残されているピアノ再生作業にボランティアで取り組み、山梨県のテレビや新聞で紹介されました。

 

 昭和町の『杉浦醫院』は、約3,300平方辰良瀉呂紡臉気ら昭和にかけて建てられた木造2階建ての病院。杉浦家は代々医師の家系で、この病院で地域医療に携わっていた杉浦健造、三郎父子は甲府盆地を中心に山梨県内に蔓延していた日本住血吸虫症の研究と治療に生涯を捧げています。

『杉浦醫院』8代目の健造博士(1866年〜1933年)は、日本住血吸虫症発症の用水路には共通して宮入貝が生息していることを突き止め、9代目の三郎博士(1895年〜1977年)は、その発見をもとに動物実験を繰り返して宮入貝を中間宿主にした寄生虫セルカリアが皮膚から侵入する感染ルートを突き止め、その予防と治療に大きく貢献。杉浦父子は日本住血吸虫症の世界的権威者となっています。

 

 昭和町では平成22年に杉浦父子の業績を顕彰し、地方病である日本住血吸虫症の終息に至る、その足跡を伝承していくために『杉浦醫院』の土地・建物を購入し、杉浦家から全ての収蔵品の寄贈を受け、風土伝承館『杉浦醫院』として公開しています。

 

 この昭和町の『杉浦醫院』と富士市の関係は深く、三郎博士の兄、杉浦秀宜氏も医師で、大正時代、旧東海道沿いの吉原伝馬町(現在の中央町1丁目)に地域医院の『杉浦医院』を開業。西洋風建築で、開業以来70年余、二代にわたって地域医療に貢献してきたものの二代目が大病院の院長に招請されたことから昭和63年に閉院。

 その後、歴史を語る西洋建築物であるとともに地域の医療史も語る貴重な建築物であることから富士市は指定有形文化財に指定、杉浦家からの寄贈を受けて市立博物館の野外資料館群(広見公園内)に移築復元しています。

 

 辻村さんにとって閉院前の『杉浦医院』は「一家のかかりつけ医」。昭和町の『杉浦醫院』の存在と富士市の『杉浦医院』との関係も知っており、そうした中で伝え聞いたのが風土伝承館として新たなスタートを切った『杉浦醫院』には、昭和8年に皇太子生誕記念としてヤマハが受注生産、昭和9年7月20日に甲府の内藤楽器から『杉浦醫院』に納入されたピアノが現存。「風土伝承館『杉浦醫院』の事業活動として由緒ある年代物のピアノを使用してのコンサートを計画。しかし、そのためにはピアノの再生が必要で、再生を手掛けることのできる人を探している」という話でした。

 

 これを知った辻村さんは、かつて一家のかかりつけ医として富士市の『杉浦医院』にお世話になったことへの返礼も込め、『辻村・音楽企画店』の社会貢献事業として再生を引き受けることを決意。それを昭和町の風土伝承館『杉浦醫院』に申し出、今年10月末、辻村さんと技術主任の臼間雅代さんの2人が手弁当でピアノ再生作業に取り組んでいます。

 

 作業中には昭和町の町長もお礼と激励に訪れ、この模様は、山梨県のテレビや新聞に取り上げられ、さらに風土伝承館『杉浦醫院』が開設しているホームページのブログに『杉浦醫院四方山話〜ピアノ再生物語』の題名で5回シリーズで作業中の写真を組み込みながら詳しく紹介されています。

 ホームページアドレス(http://www.sugiura-iin.com/)。

 

 時空を超え、見えない糸で結ばれ、実現したピアノの再生。知人から、辻村さんらの取り組みを聞き、辻村さんに「心温まる話であり、会社のPRにもなることから富士市のメディアに売り込んでは…」と進言したものの、「会社のPRが目的でなく、調律師として生活してこれたことへの、ささやかな社会貢献」、そんな返答でした。

 

「ならば…」と、このプライベートブログに一筆啓上したものです。「メリー・クリスマス」の言葉を添えて…。

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