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富士市の産業&福祉の功労者、佐野孝さん逝く

 戦後の富士市の産業界と福祉分野で多大な功績を築いた佐野孝(さの・たかし)さんが9日午前1130分死去。90歳でした。自宅住所は富士市十兵衛114−3。

 葬儀は、12日午後6時から通夜、13日午前11時から本葬を、ともに富士市松岡531−5の金華堂会館新館で。喪主は夫人の静子(しずこ)さん。

 

 自分、海野しょうぞうは、佐野さんとは親子ほどの歳の違いがあったものの前職のローカル紙の記者時代からお付き合いをいただき、人生の指南役の一人として尊敬していた方でした。

 市議に就任以降、年始挨拶に訪れていたのですが、毎年、「まあ、あがっていけ!」となるため、ここ2、3年は時間に追われる正月三が日を避け、時間に余裕を生じる1月中旬に…。今年も、「この土、日に…」と思っていた中で9日夜、「亡くなった」の訃報。昨年末から入院していたことを知らなかっただけに突然の訃報でした。

 

 葬儀参列の前に、これまでに佐野さんから受けた幾十、幾百、いや、満天の星ほどの恩への返礼の思いを込め、お付き合いで知り得た、佐野さんの人なりを『佐野孝さんへの鎮魂記』と題して、ここに記します。

 

 

 

 佐野孝さんへの鎮魂記

 

 佐野孝さんは、大正14年4月18日、富士宮市に生まれ、富士市駅南地区の十兵衛に住んでおられました。

 

 弱冠15歳で志を立て、満蒙開拓青年義勇軍に応募して満州に渡り、ハルピン農業教導校を卒業。

 しかし、大志を抱いて渡った中国大陸での戦火は、日々、激しさを増し、この事態に佐野少年は日本国の勝利を信じ、若き身をお国に捧げる覚悟を決めて帰国、昭和18年に予科練に入隊。

 翌年の昭和19年、鹿児島県内の鹿屋(かのや)海軍航空隊配属、昭和20年には福岡県内の行橋(ゆくはし)航空隊に移り、そこで終戦を迎えています。

 

 少年・青春時代は、戦争に翻弄され、心に大きな痛手を受けましたが、佐野さんは、晩年、こう述懐していました。

 

「悲しさや辛さが深ければ深いほど、やがて訪れる幸せが、たとえ、ささやかなものであっても、その尊さを知ることができるはず。希望を捨てずに、未来に向けて歩み出そう。平和国家を目指そう、そう心に刻んだ」

 

「荒廃した国家の再建には治安の維持、犯罪のない日本にすることが必要」との思いから昭和22年、警察官となるも、警察官業務に押し寄せてきたのは心が痛む戦争の傷跡でした。

 頻発する窃盗の犯人を捕らえても、その多くは未成年者。それも10歳そこそこの子供達で「生きるため、食べるために盗みをする」、そんな時代でした。

 

 警察官になって8年後、佐野さんは意を決して経済界へ転身、銅やアルミなどの非鉄金属の回収会社を設立します。

「子供達が盗みをしない社会にするには経済の発展が必要。資源のない日本では資源のリサイクルが必要」、そう思っての転身、会社の設立でした。

 

 とはいえ、裸一貫での会社の設立。社員の陣頭に立ち、額に汗をして働き続ける艱難辛苦の毎日。その労苦によって会社『ニット―』を軌道に乗せたほか、住工混在を解消して中小企業の発展に結び付けるために大渕地区に計画された富士グリーン工業団地の設立に参画し、その理事長に就任しています。

 

 経済人として確かな歩みを続ける中では昭和41年に国際ネットワークの社会奉仕団体である富士岳南ライオンズクラブに入会。この入会は、佐野さんの、経済人と、民間サイドからの福祉向上役という二足の草鞋を履いての人生のスタートでした。

 

 ご子息が成人になられ、事業の後継を担う中、佐野さんは福祉分野の活動に、なお一層、力を注いでライオンズクラブの会長を担ったほか「太陽が、すべての人に一様(いちよう)に光を届けるように、すべての人に福祉の光を。そのためには、行政に求めるだけでなく、我々市民には一市民一ボランティア活動の実践が必要」など福祉の本質を的確にとらえた発言と行動力が福祉関係者の注目を集め、昭和51年、富士市社会福祉協議会の理事の委嘱を受けています。

 

 そして平成6年に富士市社会福祉協議会の会長に推し出され、富士市の民間サイドからの福祉向上の大黒柱として活躍。確かな実績を築き上げる会長活動に対して「余人をもって代え難い人材」の賞賛があがり、会長職は実に6期12年間に及んでいます。

 

 この福祉分野の活動の中では、10代の頃、中国大陸に赴き満州開拓に加わるも戦火が激しくなって帰国、その壮絶な人生と、戦後処理のご自身のケジメとして中国残留孤児帰国問題にも意欲的に取り組んできました。

 

 平成19年に会長職を退くも、各方面から「人生の指南役」として講演依頼が相次ぎ、忙しい日々を過ごしていました。

 

 これまで、経済人としては日本商工会議所会頭表彰、福祉功労者としては知事表彰や市長表彰に輝いているものの、その輝かしい人生を決して自慢することなく歩んでこられた佐野さん、昨年4月、卒寿の90歳を迎えたものの、今後も、ご健康で、そして常に市民目線で、ユーモアセンスにあふれた語りで私達に夢と希望を与え続けて下さることを信じ、願っていた中での突然の訃報。ただただ残念で、無念。そして寿命という人の世の無常を思い、ぽっかりと空いた心に虚無の風が流れています。

 

 そのご霊前に、こんな手向けの言葉を届けたいと思っています。

 

「世のため、人のための生涯、ご苦労さまでした」

 

合掌

| - | 20:37 | comments(1) | - |
コメント
佐野孝様にお世話になった者です。あの声、あの姿を再び聞くことができない、見ることができない。残念でなりません。
| お世話になった市民です | 2016/01/11 8:52 PM |
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