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我が友、鈴木正己さん逝く
 “マサキちゃん”と呼ばせていただいた我が友、鈴木正己(すずき・まさき)さんが5月15日午前11時20分死去、自分より少しばかり年上の、まだ65歳でした。
 訃報を購読紙の死亡欄で知り、驚き、ある悔恨で、きょうは落ち込んでいます。
 きょうのブログは、謝罪の思いを込め、マサキちゃんを偲ぶ一文を…。
 
 自分がローカル紙の富士ニュースの記者となったのは20代前半。市政・議会の取材も多く、その中では多くの同年輩の市職員と知り合いになりました。
 さらに、あれこれと富士市の未来について語り合う中、ローカル紙の記者と地方公務員という職業を超えの友人関係も出来、時にはプライベートで飲む機会もあり、マサキちゃんは、その1人でした。
 
 知り合った方々、友人達は、10年前、自分が「書くだけでは社会は変わらない。発言と行動が必要」の思いから32年間の記者生活に終止符を打ち、市議会議員に挑戦するか、どうしようか迷っていた際、「公務員だから選挙の応援はできないけど」と言いながらも「挑戦しろ!」と背中を押してくれました。
 
 しかし、その中にマサキちゃんはいませんでした。
 
 10数年前、確か選挙管理委員会に配属され、多忙を極める業務中に脳疾患で倒れたためです。
 マサキちゃんは、当時、そして今でも数少ない公務員の立場で消防団員も担い、責任感の強い性格もあっての過労が原因だったのかもしれません。
 
 手術、闘病生活に入り、「やがて元気に職場に復帰してくるはず」、そう信じていたのですが、入ってくる情報は「重い後遺症が残り、話すこともままならない」でした。
「見舞いがてら会いにいこうか」との思いを抱き続けたものの、リハビリ中の本人の心情を察し、「会いにいくことは、いかがなものか」、そんな思いもあり、歳月が流れてしまいました。
 
 そして10数年、目に飛び込んできたのが今朝の死亡欄に記されていたマサキちゃんでした。
 
 マサキちゃんの自宅は富士市鈴川中町。同じ市内に住みながら、加えて逝去を知って友人に電話すれば、「杖を使用するも歩けるようになった」「たどたどしい文字ながら孫が生まれた喜びを記した年賀状をもらった」など。会いにいかなかった悔恨。マサキちゃんの罵声が飛んできそうです。
 
「お前は薄情な奴だ!」
 
 自分に残された人生、そう永くはありません。巡りあった全ての人を大切にし、悔いが残らない人生を歩んでいこう。そう心に決めています。
 
 マサキちゃんの通夜は18日午後6時から、告別式は19日午前10時から、共に富士市青島200−1、JA富士市やすらぎ会館で。「ごめん」、この一言を届けてきます。

 
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