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社明運動&青少年の非行・被害防止に向けての『朗読と講演の夕べ』が開かれました

 所在区の富士市鷹岡地区で、昨日(7月6日)夜、第66回社会を明るくする運動(略称・社明運動)と平成28年度青少年の非行・被害防止強調月間の記念事業とする『朗読と講演の夕べ』が開かれました。スタッフの一人として企画・運営に関わってきたのですが、会場の鷹岡まちづくりセンターのホールは満席とはならず、来場のターゲットとした小中高校生の保護者の割合も少なく、正直のところ「ガックリ」です。

 

  更生保護女性会による奈良少年刑務所の詩集の朗読です

 

 記念事業は、富士地区保護司会鷹岡支部(鷹岡・天間)と更生保護女性会、鷹岡地区生涯学習推進会、天間地区生涯学習推進会が協調しての取り組み。

 

 富士市内では、今年に入って「高校生男女による新生児遺棄事件」「中学生を含む親子覚せい剤使用事件」という、未成年者による、そして未成年者を巻き込んだ重大事犯が相次いで発生。改めて青少年の非行防止、健全育成は古く、そして今日的課題であることを私たちに突き付けています。

 こうした状況下、今年の記念事業にあたって真正面から青少年問題と向かい合い、「非行や犯罪を防止し、立ち直りを支える地域力とは…」をテーマにしての『朗読と講演の夕べ』を開いたものです。

 

 自分は、保護司会鷹岡支部に所属する保護司の立場で企画・運営に関わってきました。参加を呼び掛けるチラシの作成と、その配布。『朗読と講演の夕べ』の演出効果を図るためのパワーポイントの作成。当日は、そのパソコン操作や講師紹介、その他あれこれ雑用を担当。終わってみれば「これしきのこと」と思うのですが、投じられる時間が少なく、ちょっと大変でした。

 

『朗読と講演の夕べ』のうち“朗読”は、更生保護女性会のメンバー10人が担当、奈良少年刑務所詩集『空が青いから白をえらんだのです』の詩を読み上げ、感情移入タップリに作者の思いを伝えました。

 

 一方、“講演”は、35歳から実に40年間、ボランティア活動で取り組む保護司を担い、犯罪や非行に陥った人の更生や社会復帰の支援にあたってきた富士地区保護司会前会長の太田昭道さんに講師を依頼。

 太田さんは、『社会を明るくする運動と地域の力〜非行や犯罪を防止し、立ち直りを支える力〜』と題して講演。任期中には保護司会の覚せい剤対策部長として再犯率の高い覚せい剤事犯者の更生、社会復帰にあたってきただけに、講演の中では、富士市が依然として県内で覚せい剤汚染都市ワースト1であることや、覚せい剤の怖さも伝えながら、その撲滅には、家族や知人・友人だけでなく地域の協力も重要であることを力説しました。

 

  覚せい剤の怖さ、撲滅の必要性を語る講師の太田さん

 

終了後、講評を述べる

    鷹岡まちづくり協議会の松田幸雄会長

 

 冒頭で記した「ガックリ」は、厚生保護女性会の熱意が会場に流れ、そして、太田さんの講演は市民生活の中に覚せい剤の魔の手が押し寄せていることを具体的に伝え、その魔の手に警鐘を鳴らした極めて意義深いことだったことも含めての思いです。

 

 以下に、スタッフの一人の立場から今年5月末をもって保護司を定年退任した太田さんへの返礼の思いを込め、講演に先立って自分が担当した講師紹介を記します。

 

 

 

             講師紹介

 

 講師の太田昭道先生を紹介します。

 保護司としての経歴は、受け付けでお渡ししました本日のプログラムに記してありますので、私からは太田先生の保護司以外の面を紹介させていただきます。

 太田先生は、比奈にある曹洞宗玉泉寺の住職だった長谷川明徳氏が立ち上げた社会福祉法人「誠信会」に長谷川氏の右腕として長く勤務しておられました。

「誠信会」創立者の長谷川氏は、アメリカで児童福祉を学び、昭和37年に玉泉寺境内に児童養護施設の「誠信少年少女の家」を開設。これに続いて大淵の岩倉の地を“福祉の里”とすべく昭和45年に児童養護施設の「岩倉学園」、続いて昭和50年に市内初の特別養護老人ホームの「富士楽寿園」を開設、さらに重度障害者の更生施設である「富士和光学園」と「富士本学園」を開設しています。

 昭和63年に創立者の長谷川氏が夢半ばにして54歳で逝去された後、「誠信会」を支えてきた方です。

 今でこそ、福祉の重要性が叫ばれ、権利を掲げる方もいますが、社会福祉法人として「誠信会」の草創期には、まだ福祉に社会の目が向けられず、補助制度も確立しておらず、当時、ローカル紙の記者だった私が太田先生と初めて出会ったのは駆け出し記者時代、今から40年も前、岩倉の地で市内初の特別養護老人ホーム「富士楽寿園」の建設時でした。

 建設中の状況を取材で訪れたのですが、何と、太田先生は長谷川氏とともに山林を伐採していました。山を自らの手で切り拓く、それほど福祉事業には社会の光が差し込んでいない時代でした。

 後で知ったのですが、現場にテントを張り、野営しながらの作業だったと聞いております。

 私は、そんな太田先生の背中を見続けてきました。知り合ってから40年余の歳月が流れましたが、自分に残された人生、これからも太田先生の背中を見続け、人生の手本としていきたい、そんな方です。

 私からの講師紹介は以上です。先生のお話しをお聞き下さい。

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