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あす7月28日に「曽我八幡宮例大祭」が開かれます

 あす7月28日(木)、日本三大仇(あだ)討ちの一つ、曽我兄弟ゆかりの地である曽我八幡宮で「例大祭」が開かれます。

 

   あす28日に「例大祭」が開かれる曽我八幡宮です

 

境内には兄弟の幼少期の像も

          建立されています

 

 曽我八幡宮の所在地は自分の所在地である富士市鷹岡厚原西区。毎年、所在区の市議会議員を来賓と位置付けて下さって招待状が届き、「例大祭」に出向いています。

 神事だけでなく、氏子総代会(為田幸雄総代長)が一致団結して昼から夜にかけてふれあいイベントを繰り広げ、今では地域のコミュニティづくりの場となっている、素晴らしい「例大祭」です。

 

    歓迎看板も設置されました

 

 境内が会場となるため駐車場がありませんが、多くの来場を願って「例大祭」のプログラムと、曽我八幡宮の所在地図、歴史などを紹介します。

 

 

 

 

 

 

    【曽我八幡宮とは…】

 

 曽我八幡宮の祭神である曽我兄弟は、兄が十郎祐成、弟が曽我五郎時致。父親は河津領主の河津三郎で、三郎は安元2年(1176年)10月、奥野からの狩りの帰路に領地争いをしていた伊豆領主の工藤祐経の家来に殺害されている。

 

 その後、兄弟は父の仇を討つために精進を重ね、建久4年(1193年)5月、源頼朝が富士の裾野で巻狩りを開くことを聞きつけ、頼朝に同行した祐経の陣屋に討ち入って父の仇討ちを果たしている。

 

 しかし、仇を討ったものの、兄の十郎は伊豆の御家人、仁田四郎忠常と渡り合いとなり、その場で討たれ、弟の五郎も御所五郎丸に取り押さえられ、翌日、頼朝の面前で取り調べを受け、鎌倉へ護送される途中、首をはねられている。

 五郎が首をはねられた場所が鷹岡といわれ、曽我八幡宮近くには五郎の首を洗った井戸が史跡として保存されている。

 

 時に十郎22歳、五郎は、まだ20歳だった。

 

 曽我八幡宮は、兄弟の仇討ちから4年後の建久8年(1197年)、その時代における御霊(ごりょう)信仰を背景に、兄弟の勇気、孝養、忍耐に心を打たれた頼朝が家臣の岡部権守泰綱に命じて建てたとされている。

 

 その後、戦国時代の武田、今川、北条の抗争によって社殿は炎上するも、慶長14年(1609年)に、検地で、この地を訪れた伊奈備前守によって再建され、現在に至る。 

 

 所在地区である厚原地区の各区有志で氏子総代会が組織され、今回の「夏季例大祭」をはじめ「初詣神事」などを通し、その伝統をしっかりと受け継いでいる。

 

 昭和31年(1956年)に劇場公開された映画『曽我兄弟 富士の夜襲(やしゅう)』は、日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の生涯を描いたイーストマン東映カラー作品。複数の脚本家によるペンネーム五都宮章人の原案をもとに『ふり袖太平記』の八尋不二が脚本を書き、『忠治祭り 剣難街道』の佐々木康がメガホンをとっている。

 出演は、十郎役が東千代之介、五郎役が中村銀之介(当時名)、頼朝役が片岡千恵蔵、頼朝の重臣である畠山重臣が大友柳太郎と、当時の時代劇を支えていた名優が名を連ね、売り出し中だった北大路欣也も頼朝の子、頼家役で、大川橋蔵も頼朝の腹心であった梶原景時役でスクリーンに登場。

 撮影は、東映京都撮影所を本拠地としたものの、兄弟ゆかりの地でロケが行われ、曽我八幡宮も、そのロケ地の一つとなった。

 氏子総代会が基軸となってロケ隊を受け入れ、ロケ終了後にはロケ隊から寄贈を受けた映画ポスターや脚本をはじめ小道具などを神社の宝物として大切に保管、毎年、「例大祭」などで公開している。

 

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