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むのたけじさんの訃報、そして落合巳代治さんの思い出

 反戦・平和を訴え続けたジャーナリスト、むのたけじ(本名・武野武治)さんが8月21日午前0時20分、老衰のため、さいたま市内の自宅で死去、101歳でした。

 今年5月の憲法記念日の護憲集会で「憲法9条は70年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった。道は間違っていない」と語ったのが公の場での最後の姿でした。

 

 史上初めて南米で開かれた第31回夏季オリンピック・リオデジャネイロ大会の閉会式の記事が満載された22日付け朝刊に掲載された、むのさんの訃報記事、自分にとってオリンピックよりも重く、そして衝撃を受けた記事でした。

 

      むのさんの訃報を伝える記事です

 

 かつて、富士市をホームグランドに活躍した、落合巳代治さんというジャーナリストがいました。

 

 落合さんは、富士市に生まれ、戦後直後から民主化運動の線上で労働組合運動に入り、吉原市議を担い、そして労働争議の敗北により解雇された後の1955年(昭和30年)、ローカル紙の岳南市民新聞を創刊。1980年(昭和55年)に営業権を譲渡するまでの約25年間、常に大衆に軸足を置き、労働組合、政治改革、人権、反戦・平和などをテーマに、さらに富士市独自の分野として公害追放や市民主役の革新市政、乱開発などをテーマに書き続けてきました。

 その後、1982年(昭和57年)に富士生活協同組合の理事長に就任、今度は食の安全確保に情熱を燃やし、生協退任後の1992年(平成4年)から、自分、海野しょうぞうが市議に転身するまで勤務していたローカル紙・富士ニュース社編集部の客員としてコラム『ペン横丁』を書き続けてきた方です。

 

 しかし、2004年(平成16年)7月2日、突然、人生の幕を閉じています。87歳でした。

 

 男性の平均寿命を超えていたとはいえ、健康で、元気そのもの。予想だにしなかった突然の訃報で、その死を受け入れることができなかった中、落合さんと同世代の、むのさんの存在を知り、以後、メディアが伝えるむのさんに落合さんの面影を重ね合わせてきました。

 

 むのさんと、落合さん、その生い立ちや活躍したグラウンドは違うものの、大衆に軸足を置き、ジャーナリストとしての最大のテーマは反戦・平和、その点では同じだ、自分は、そう思っていました。

 

 むのさんの訃報記事で、きょうは何か落ち着かず、午前中、議会の会派室での会派会合の際、新人議員のS君に「かつて富士市に落合巳代治さんというジャーナリストがいたのを知っている?」と問うと、返答は「知りません」でした。

 死去から、すでに12年を経過しています。若い人たちの「知りません」は、むしろ当たり前の事であり、これに、むのさんの訃報を重ね合わせ、「一つの時代が終わった」、それを思っています。

 

 しかし、です。

 

 富士市は昭和60年(1985年)11月19日に「核兵器廃絶平和都市」を宣言。この宣言は、落合さんが人生を賭して取り組んだものです。

 

 人は、いつしか去り、歳月とともに人々の記憶が薄れ、そして、存在したこと自体も「知らない」という人が増えていくのが世の常であるものの、世のために何かを遺すことは可能です。

「世のために何かを…」、一つの時代の終わりを受け入れるにあたり、今後の自分の人生の最後の課題にしたい、そう胸に刻んでいます。自分には過負荷な課題かもしれませんが…。

 

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