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2016年、夏の思い出、登山の思い出

 我が家は、騒音をまき散らす孫2人を含めての7人と室内犬1頭の大所帯。静穏タイムは「就寝中だけ」といった状況の中、8月中旬、若夫婦らが「ディズニーランドに1泊2日で行く」と外出、夫婦2人だけとなる夜があり(正確には夫婦2人と犬1頭)、ある出来事をきっかけに久々に夫婦間で会話を弾ませました。それは今夏の思い出となるものでした。徒然なるままに、久しぶりに雑感を…。

 

 ある出来事とは、同じ会派に所属する新人議員のS議員が2日間、連絡が取れなくなったことです。

 大事な議会関係書類を控室に取りに来ないことから連絡を入れると携帯電話は通じず、自宅に電話を入れれば「山に行ってくるとだけ言って出掛けました。昨夜、帰ってきませんでした」。心配げな家人の声でした。

 後で分かったことですが、8月11の“山の日”をとらえ、大学時代の山岳同好会の旧友と南アルプスの鳳凰山に挑戦。宿泊するか、どうか迷ったものの最後まで挑戦、よって宿泊となり、山岳地帯であることから電波が届かず、2日間、連絡手段がアウトに…とのことでした。

 

 S議員には、「家族を心配させるなよ」で一件落着となったのですが、帰宅後、「遭難でもしたかと心配した」と妻に話すと一気に山の思い出話に…。

 

 妻は、二人の娘が小学生だった30代、大病を患い、かなりの期間、手術・入院生活を送っています。

 退院後、保育士の仕事に復帰したのですが、体力と健康に自信を失い、そうした中、野外活動家を養成する講座を受講。「自分に自信を取り戻したい」、そんな思いからだったと思います。

 

 受講後、30代から40代の受講者10人余が野外活動ボランティアサークルを結成、妻も仲間に入れてもらい、休日には富士山こどもの国などでボランティア活動に取り組んでいました。

 

 野外活動家のサークルとあって、ほぼ全員、登山が趣味。ボランティア活動と並行して登山に出掛け、妻に、その趣味はなかったのですが、誘われて、あちらこちらの山に挑戦しています。

 自分も、その輪に加わることもあったのですが、休日も出勤が多い記者という仕事柄、もっぱら懇親会などへの参加で、二次会を我が家としたことも、今では楽しく、懐かしい思い出となっています。

 

 さて、山の思い出話の中で妻は、「一番大変、死ぬかと思ったのは北アルプスの焼岳」といい、アルバムを取り出して、当時を振り返っていました。焼岳は別名を硫黄岳と呼ぶ活火山で、常時、噴煙をあげる独特の色彩を放つ難易度の高い山として知られています。

 

 

 一気に山の思い出話に…、そして、一番大変だった登山を妻が取り上げたのは、今、サークルの仲間の一人、Yさんが厳しい病と闘っているためでした。「また、会いにきてほしい」、それに応えて暇を見つけては病院に出向いています。

 

 妻が焼岳に挑戦した際、Yさんを中心にサークル仲間がサポート、その恩を思ってのことで、焼岳山頂に立った時、多分、妻は体力と健康への自信だけでなく、今後の人生への自信も得たはずです。さらには、人のやさしさの尊さも知ったはずです。

 

 

 山の思い出話を交わす中、自分は前職のローカル紙の駆け出し記者時代の愛鷹連峰登山が最も思い出に残っていることを話しました。

 

 登山ではなく、正確に言えば取材。須津川ルートから1,500探蕕了魁垢連なる愛鷹連峰での救助訓練と位牌岳や越前岳の頂上に向けての登山ルートの点検を行う関係機関で組織された山岳救助隊の同行取材。上司から「一日かけて取材を」の厳命を受けたものの、登山経験なし、加えて愛鷹連峰の登山は、かなり難易度が高いことすら知らず、軽装、運動靴、手にするのはカメラだけでした。

 

 

 この無謀ともいえる駆け出し記者に救助隊員の方々が気を使って下さり、中でも消防本部に勤務されていた方は、途中、飴玉と水を下さり、登山中の注意事項も、あれこれと。終盤、息も絶え絶えに最後尾から着いていくのがやっとの自分の腕を抱きかかえて歩を進めるサポートをして下さり、「死ぬのでは…」と思うほど体力的に辛かったものの、そうしたサポートにより、どうにか取材を済ませ、無事、下山。当然、「登山の素晴らしさを実感」などは全くありませんでした。

 

 その方は、甲田さんという名で、この同行取材以降の記者生活でも協力をいただき、消防業務のあれこれについて教えを受けています。

 

 愛鷹連峰の救助訓練とルート点検を取材した、その駆け出し記者当時、自分は経済学を学び、国際商社マン志望であったものの、第1次オイルショックの影響で商社が一斉に採用の門戸を閉ざし、マスコミ志望が全くなかった状況下で縁あってローカル紙の記者に…でした。

 

 故に、将来について迷いがあったのですが、愛鷹連峰の救助訓練とルート点検取材を通して「人は必ずしも希望する道を歩むことはできない」、それを知り、「人のやさしさの、ありがたさ」、そんなことも教えられています。さらには、厳しい登山を伴う取材を通して、今後に向けての自信と、「もう少し、この道、記者の仕事を続けてみよう」、そんなことも掴み取った気がします。

 

 甲田さんは、すでに鬼籍に入られていますが、受けた恩の返礼は、今の自分に与えられた道を日々、全力で歩むことだと思っています。

 

 ひょんなことからの山の思い出の夫婦の会話、最後は共に還暦を過ぎた身、焼岳や愛鷹連峰に再び挑戦することは「体力面から無理」となったのですが、登山の魅力、それを共有することができました。「なぜ、人は山に登るか」、その回答です。

 

 会話ジ・エンドとなる時、妻が、こう言い放ちました。

 

「もしかしたら焼岳や愛鷹山連峰の山頂に、再び、行けるかもしれない」

 

 夫婦同志で長年、お付き合いしているW夫妻のご主人、最近、ヘリコプターの操縦免許に挑戦。「免許を取得したらプライベートヘリを…」というほど入れ込んでおり、「ヘリで山頂に連れてってもらおう」という得手勝手な期待です。

 もし、実現したならば、病床に付しているYさんの思い、そして今な亡き甲田さんとの思い出も一緒に…、そう決めています。

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