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『駿河湾に沈んだディアナ号』、本も、どこかに沈んで…

 今、時計の針は深夜零時を回り、「きょうもダメだった」、落胆の思いを抱きながらパソコンに向かっています。

 このブログを読んで下さる方は、「何、それ!」と呆れること必定とは思うのですが、自分にとって深刻な問題。ある一冊の本探しに、ここ一週間、没頭、さして広くもない我が家を探しまくっています。

 昨日も昨日で、午前9時30分からの富士市議会9月定例会文教民生委員会の付託議案の審査に臨んだ後、午後は他の公務業務で沼津に向かい、帰宅後、探し続けたのですが、発見ならず。

 

 その本とは、鈴木富男先生(2001年没)と共に富士市を代表する郷土史家で2年前の2014年に亡くなられた奈木盛雄先生(享年97歳)の著書『駿河湾に沈んだディアナ号』(2005年1月、元就出版社)です。

 

   本の表紙に採用されたディアナ号の遭難図です

 

 奈木先生がライフワークとしていた郷土史研究は1853年建造のロシア軍艦ディアナ号の遭難でした。

 

 エフィム・プチャーチン提督が乗船したディアナ号は、1854年に日露和親条約締結のために来航、下田を訪れた際、安政東海地震による津波で船体を大破、その修理のために戸田港に向かう途中、今度は嵐によって漂流、富士市の宮島村沖で沈没した、とされています。

 その沈没寸前、宮島村の村人は命懸けで乗組員を救助。国境を越えての人類愛を示す出来事でした。

 

 その後、プチャーチン提督らは陸路、戸田村に向かい、アレクサンドル・モジャイスキーらの指導で日本の造船工により帆船ヘダ号を建造してロシアに帰国していますが、このヘダ号は日本の洋式造船技術が伝わるきっかけとなったものです。

 

 プチャーチン提督

 

 波瀾万丈のディアナ号に秘められた貴重な史実。奈木先生は、それを著書『駿河湾に沈んだディアナ号』にまとめて江湖に送り出し、自分は、長文の手紙とともに贈呈を受けています。

 

 その出版時、奈木先生は大病を患って声を失っていましたが、その後、亡くなるまでの10年余、年2回ペースで発行している『ライフライン』と命名した後援会だより&議員活動報告ニュースを郵送するたびに、郷土史研究家らしい几帳面な字でびっしりと読後感想を記した葉書を送っていただき、いつも末尾には「海野さんらしさを失わずに市民のために頑張ってほしい」の激励が記されていました。

 

 自分は、前職のローカル紙の駆け出し記者時代の1976年、五貫島の三四軒沖合水深24辰ら二基目となるディアナ号の錨が引き揚げされた取材を第1弾に幾度もディアナ号関連の取材を重ね、その際、奈木先生にあれこれ聞き、いつも快く応じて下さり、仕事の上での恩人、そして人生の上でも多くの教示を受けてきました。

 

 もちろん、寄贈を受けた著書『駿河湾に沈んだディアナ号』を熟読、郷土史家ならではの現地調査をもとにした史実、さらには日本文学にも造詣が深かっただけに興味を抱き続けながら一気に読ませる重さもあり、読後は書棚に保管しておいたはずだったのですが…。

 

 急に、それを探し出したのは、9月上旬に、ふじのくに田子の浦みなと公園の仕上げ工事として体験学習施設「ディアナ号」の建設が進んでいること、その公園整備は、事業主体の県が田子浦地区まちづくり協議会を母体とする田子の浦港海岸周辺環境整備策定委員会とNPO法人みなと・まち育て田子浦との協働で取り組んでいることを知り、「田子浦地区在住の市議で、まちづくりに情熱を漲らせているS君に寄贈しよう」、そう決め、S君にも、それを伝えたからです。

「S君なら体験学習施設誕生を契機に、歴史講座などの場で講師役を担い、子供たちにディアナ号の貴重な史実を伝承してくれるだろう。人生下り坂に入った自分が保有しているよりも、その方がいい」、そんな確信と判断によるものです。

 

「探しても発見ならず」、ならばS君に謝罪、図書館が保有しているはずであることを伝え、その活用をお願いすれば一件落着となるのですが、その踏ん切りをつけることができず、「明日、もう一度、家中を探してみよう」の思いでいます。

 

 2年前、奈木先生の訃報を知った際、追悼の思いをブログに記しています。本探しの途中、そのブログを開くと、何と、奈木先生の著書『駿河湾に沈んだディアナ号』の表紙が掲載されています。

 正確には、自分がスキャナーで取り込み、アップしたのですから「掲載されています」ではなく「掲載した」です。

 つまり、2年前には手元にあった、その証拠です。

 還暦を過ぎ、忘れぽくなったものの、わずか2年前、この間、「誰がにあげた」、その記憶はなく、「家の、どこかに、あるはずだ」ということで諦めきれずにいます。

 

2年前にブログにアップした本の表紙です

 

 比叡山大阿闍梨酒井雄哉氏は、『行く道は精進にして、忍びて終わり、悔いない』の言葉を遺しています。華々しい場を好まなかった奈木先生は、その言葉が諭す「人生は努力して、辛抱して、それで終われば悔いはない」の実践者であった、そう思っています。

 その生き方を人生教示と受け止め、“終活”として探し続ける、その思いを抱きつけていく。とりあえず、明日、再挑戦です。

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