<< 『文芸あれこれ講座』終了で、ヤレヤレ…? | main | あす12月9日、一般質問に登壇します >>
『母子草』を執筆した小糸のぶさんを知っていますか…?

 前回、自分、海野しょうぞうが講師を担当した『文芸あれこれ講座〜文学碑からのメッセージ〜』を記したブログの続きです。

 

 講座で取り上げた小糸のぶさん(1905年・明治38年9月24日―1995年・平成7年12月13日)は富士市出身の小説家です。

 

 1905年・明治38年9月24日静岡県吉原町追分に生まれ、富士高等女学校(現・県立吉原高校)を経て静岡女子師範学校に学び、1923年・大正12年に卒業と同時に小学校教員となり県内各地の小学校の教壇に…。

 

 1938年・昭和13年に東京の小学校に転じ、1941年・昭和16年に内閣情報局の国民映画脚本募集に応募した『母子草』が一席入選しています。

 

 1944年・昭和19年から1946年・昭和21年まで富士見高等女学校(現・私立富士見高校)で女子教育に携わり、その後は文筆に専念。

 1949年・昭和24年には『おもかげ』で直木賞候補となり、若い男女の愛やモラルを中心に現代風俗を描き、代表作品は、ほかに『おもかげ』『花の真実』など。日本文芸家協会会員、日本ペンクラブ会員。

 

 1995年・平成7年12月13日死去、90歳でした。

 

 生前中の1983年・昭和58年8月、富士市連合読書会(奈木盛雄会長)が発起人となり、富士高等女学校時代や静岡女子師範学校の同級生や富士見高等女学校時代の教え子の賛同を得て、その偉業をたたえる文学碑が広見公園内に建立されています。

 碑文は代表作である『母子草』。さらに、原稿仕立ての、その一文と、作品に登場する“盲ひたる 瞼に咲けり 母子草”の句が刻まれています。

 

広見公園内にある句碑(背後にあるのは三角屋根の眺峰館です)

 

句碑の文面です

 

 

代表作の『母子草』とは…

 

 小糸のぶさんの代表作である『母子草』は、1941年・昭和16年に内閣情報局の国民映画脚本募集に応募して一席入選、翌年の1942年・昭和17年に田坂具隆監督によって映画化されています。

 

 続いて1959年・昭和34年に楠田芳子脚色、山村聡監督で2度目の映画化が図られ、その劇場公開日は1959年・昭和34年4月22日でした。上映時間は88分間。

 

 2度目の映画化のキャストは、主役の小沢しげを田中絹代、長女の小沢睦子を佐久間良子、長男の小沢秀一を水木襄、次男の小沢浩二を大和田勝之が演じています。

 

 そのストリーは…

 

 

 富士山の麓にあるとある町、小沢しげは、そこで洋裁店を営んでいる。

 彼女は、長女の睦子、秀一、それに浩二の3人の子供を抱え、夫亡き後の生活をミシンを踏んで支えていた。

 ある日、教師を夢見る睦子は、職員室に入室した際、自分の戸籍謄本に「継母しげ」の名が記されていることを見た。

 事情を知る藤本先生は、静かな口調で、こう話してくれた。

「18年前、睦子の父は製紙工場を経営していた。実母は弟の秀一を出産すると間もなく産褥熱で亡くなり、父は後添えとしてしげを迎えた。しかし、召集を受けて戦死。その時、しげは浩二を身ごもっていた。それから今までしげは3人の子供を抱えて苦しい生活を続けてきた」

 睦子の胸に感動が湧いた。

 その後、睦子は夢を叶えて隣村の小学校の教師になったものの、東大一筋の受験勉強を重ねていた秀一は再び不合格となり、彼は「炭坑に行く」と言って家を飛び出そうとした。

 睦子は、秀一に戸籍の秘密を話すも秀一は「自分の力をためすために働くのだ」と言った。

 送別の宴、しげは泣きながら手拍子を打って歌った。

 睦子は、ある生徒の親である高山という男から求婚された。高山は妻を亡くしていた。

 しげは、この縁談に反対するものの、睦子は「私もお母さんの歩

まれた尊い道を歩こうと思います」と言った。さらに「高山を愛している」とも。

 その時、秀一が怪我をした、という知らせが届いた。秀一の眼は、再び開くことはなかった。

 しげは、睦子の前で秀一の点字の手紙を読んだ。

「……お母さんが習いはじめた、という点字の手紙を読みながら、僕は幾たび泣いたか知れません。……いつかお母さんにお送りした母子草も咲いているでしょう。“盲いたる まぶたに咲けり 母子草”……」 

 朝の空気の中に、富士はひときわ美しかった。

 

 

 この作品のポイントは、

 

・主役のしげは、後妻であるものの先妻の子である長女・睦子と長男・秀一を実子である次男・浩二と分け隔てなく育て、夫が戦死した後はミシン相手の洋裁で生活を支えてきた。

・小学校の教諭となった長女・睦子は、妻を亡くした生徒の親から求婚され、継母であるしげと同じ道を歩むことを決意する。

・大学受験に失敗した長男・秀一は家を出るもの継母・しげへの愛情への返礼として、長年の洋裁で目が見えなくなり、点字を習い始めた継母・しげとの手紙のやりとりをするために自分も点字を習い、不慮の事故で亡くなった長男・秀一の亡骸の前で継母・しげが長女・睦子に向けて長男・秀一から届いていた点字の手紙を読み上げる。

・そのシーンに登場するのが“盲いたる まぶたに咲けり 母子草”の句である。

 

 小糸のぶさんの小説『母子草』には、私たちが忘れてはならない、大切にしなければならない家庭愛や親子愛が示され、さらに、執筆したのが戦前の1941年・昭和16年であるものの、その時代から点字にスポットを当てて福祉の重要性を世に提示しています。

 

 しかし、この小説を映像で広く紹介した映画『母子草』は、螢ネマ旬報社によれば、「1度目作品、2度目作品とも、現在、その現存が確認されていない」。再び観ることはできません。

 

 講座で受講した50人余に「読んだことがありますか」と聞いたところ高校の国語教諭だった方、1人だけでした。

 

 故に、このブログで紹介した次第です。

 

 小糸のぶさんが、小説をもって伝えたかった事、しっかりと受け止め、“日本人の心”として大事にし、後世に伝えていきたい、自分は、そう思っています。

| - | 20:15 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT