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富士川楽座の『戸塚洋二ニュートリノ館』に行ってきました

  2017年がスタート、きょう1月4日は官公庁の仕事始め。予定では、午前中に市庁舎に出向いて新年の挨拶と正月中に受けた依頼事の処理。その後、2016年の忘れ物を取りに…。

 

 ところが、目覚めると目の前がボ〜。2、3回、こすってもボ〜。年末年始の疲れが出たのか、それとも持病の糖尿病が悪化したのか…。車の運転は無理と判断して市庁舎行はパス、依頼事の処理は電話で済ませたのですが、どうも気になって、「エイ!」と掛け声をかけて起き上がり、ハンドルを握り、2016年の忘れ物を取りに行ってきました。

 

 その2016年の忘れ物とは、道の駅・富士川楽座内に昨年12月23日にオープンした富士市の名誉市民第1号の物理学者で、ニュートリノの宇宙線研究に功績を遺した戸塚洋二(とつか・ようじ)氏を顕彰する『ニュートリノ館』、その見学、把握です。

 正式名称は戸塚洋二ニュートリノ館(Yoji Totsuka Neutrino Museum)』。

 

富士川楽座立体駐車場から望む、きょうの富士山です

 

大観覧車も完成間近です

 

 戸塚氏は1942年3月6日、富士市吉永地区富士岡の生まれ。吉永一小、穆清中(現・吉原東中)、富士高に学び、東大に…。同大大学院理学系研究科博士課程修了後、同大理学部助手、助教授、教授、そして1988年に同大宇宙線研究所教授、1995年には同大宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設長に就任。翌1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示し、世界的に知られる存在となっています。

 

 ノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊氏の愛弟子の一人で、世界の科学賞の受賞を重ねる中、「小柴氏に続くノーベル物理学賞の有力候補」とされた2002年12月4日、富士市は名誉市民の称号授与の議案を市長が提案、議会が可決しています。1966年の二市一町合併により誕生した富士市の名誉市民の第1号で、翌2003年3月22日にはロゼシアターで「名誉市民顕彰式」が開かれています。

 

 しかし、2008年7月10日、直腸ガンのため死去、まだ66歳でした。

 

 死去から6年を経過しての、その功績を顕彰する『ニュートリノ館』の取り組みは、没後の2009年に平成基礎科学財団が戸塚氏の功績を称える『戸塚洋二賞』を創設し、その第1回受賞者の梶田隆章氏が2015年にノーベル物理学賞を受賞、これを契機にしたもの。

 梶田氏は、戸塚氏から指導を受け、ノーベル物理学賞の受賞は戸塚氏が果たせなかった悲願を実現させた格好。富士市にしてみれば、「戸塚先生が存命していれば梶田氏と一緒にノーベル物理学賞を受賞したのでは…」。『ニュートリノ館』は、その思いの発露からの取り組みといえ、9月定例会での予算化約4,000万円に議会側も全会一致で可決しています。

 

 前文が長くなりましたが、『ニュートリノ館』は、戸塚氏の功績を顕彰し、次代を担う子供達が科学に興味を持ってほしい、さらに道の駅・富士川楽座への開設は観光振興の狙いも込めたものです。

 

ニュートリノ館で…

 

展示品には第1号の名誉市民章(右)と文化勲章(左)も…

 

 開設場所は、5階建ての道の駅・富士川楽座2階の体験館『どんぶら』入口隣接スペースで、その広さは100平方値勝

 ニュートリノ研究に使用する施設、スーパーカミオカンデの内部をイメージし、80枚の丸型パネルを設置。「戸塚氏の生涯と業績」「スーパーカミオカンデの紹介」「ノーベル賞とニュートリノの紹介」「ニュートリノ広場」「体験型展示物」「光電子倍増レプリカ」の6つのコーナーが設けられています。

 

 体験館「どんぶら」が有料であるのに対して「ニュートリノ館」の観覧は無料。

 開館は平日が午前10時から午後4時、土、日、祝日が午前9時30分から午後5時までで、火曜日が休館日となっています。

 

以下の写真は、館内の状況です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、冒頭の「2016年の忘れ物を取りに…」は、オープン式典に市議会議員にも出席案内が届いていたのですが、12月23日は他の公職公務で緊急事態が起き欠席を余儀なくされたためです。

 

 もう1点、理由があります。

 

 富士市ではビッグニュースだった2003年3月22日にロゼシアターで行われた戸塚氏の「名誉市民顕彰式」、当時、ローカル紙の記者だった自分は、その式典を取材。その際、ホールでの式典とレセプションホールでの祝賀会の間の休憩タイムに戸塚氏を突撃取材、インタビューしています。

 

 事前の取材で、戸塚氏の中学校時代、教師の間で「戸塚少年は他の生徒と頭の構造が違う」と言われるほどの秀才だったものの、同級生から聞かされた戸塚少年は「気さくな、野球の好きな、いい奴だった」でした。

 大学時代は「学業ひと筋」ではなく、「学業よりも空手に夢中だった」、そんな話も聞いていました。

 

 今思えば、「何と失礼な事を」と反省するのですが、レセプションホール入口ロビーのソファで祝賀会開始を待っていた戸塚氏に突撃取材。

「あの、富士ニュースというローカル紙の記者ですが…」と声を掛けると、ご一緒だった夫人は「?」の表情でしたが、戸塚氏は相好を崩し、「高校まで富士市に住んでいた。自宅で購読していて、よく読んでいたよ」。

 中学時代の同級生が語った「気さくな…」の戸塚氏らしい返答を得て得手勝手に「取材OK」と解釈、用意していた質問をぶつけたところ、丁寧に答えて下さいました。

 さらに、顕彰式の終盤に行われた研究ダイジェスト版の報告について「ニュートリノって、理解してもらえたでしょうかネ〜」の逆質問を受けたことを記憶しています。

 

 取材は短時間でしたが、ご生前に取材させていただきながらの式典欠席、「申し訳ない」、そんな思いもあっての「2016年の忘れ物を取りに…」です。

 

 誕生した『ニュートリノ館』の見学中、ふと、顕彰式の取材時の戸塚氏からの逆質問、「ニュートリノって、理解してもらえたでしょうかネ〜」が浮かびました。

 当時、どう返答したか覚えていませんが、その功績をじっくりと見学させていただいた今なら、こう返答しようと思っています。

 

難しいです。でも、先生の研究によって次代を担う子供達が科学に興味を持ち、さらには、紛争が絶えない、この地球上の人々に、“宇宙イコール未来に目を向けろ”の強烈なメッセージにもなるのではないでしょうか」

 

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