<< 富士市議会2月定例会、3月3日から論戦開始! | main | 富士市議会2月定例会、あす3日、新年度市長施政方針に対する質問に登壇します >>
文芸活動サークルの『文芸舎』、長島澄子さん引退、そして、自分は、この先…

 きょう3月1日付けのローカル紙・富士ニュースの紙面に富士市内の文芸活動サークル『文学舎』が20周年を迎えた記事が掲載され、その中では代表の長島澄子さんが20周年を節目に引退することも…。長島さんと出会ってから40年余、走馬燈のように思い出が溢れ出し、少しばかりセンチメンタルな心境に陥った1日でした。

 

CCFn?20170301.jpg

『文学舎』20周年と長島澄子さんの引退を伝える新聞紙面です(富士ニュース3月1日付け4面から、部分)

 

 早朝、記事の見出しを目にするも、きょうは何としても新年度予算案・議案の審査を前に会派としての質問事項をまとめ上げる仕事があったことから新聞を持参して議会会派控室へ。大仕事である3日に登壇する施政市政方針に対する質問を再考、仕上げる前に「きょう、何としてもやってしまわなければ…」の仕事でした。

 

 しかし、会派控室のパソコンに向かうものの、持参した新聞が気になり、「先に読んでしまおう」と決めたのが失敗、あれこれ思い出が浮かび、センチメンタルな心境となり、空虚な時間だけが流れ…となった次第です。

 

 長島澄子さんは、自分よりふた回りほど年長者ですが、今でも文学少女が、そのまま大人になったような方です。

 

 40年余前、文芸活動で知り合い、以後、『ふじ市民文芸』発行のサポート機関である編集委員会や、文芸活動の輪を広げる富士文芸フォーラム実行委員会でご一緒させていただき、自らの文芸活動においては『ふじ市民文芸』や『県民文芸』で常に随筆部門を中心に入賞・入選を重ねてきました。

 

 長島澄子さんの作品は、遠方からの嫁ぎ先である寺を舞台にしての嫁の立場、夫が病に臥した際には寺を護るために尼僧を目指したこと、迎えた老齢期における生きがいなど、その時、その時の事象を見詰めながらも、作品の底流には常に文芸活動の本質ともいえる“自省の中から光を追い求める”がある格調高い、破綻のない、書く上でのお手本ともいえる作品です。

 

 そうした中で20年前に短歌、俳句、川柳などの短詩系文学には数多くのサークルがあるものの随筆をはじめ小説、児童文学などの長文系のサークルが富士市内にはなかったことから長島澄子さんが呼び掛け人となって発足したのが『文学舎』でした。

 

 中央町のラ・ホール富士をホームグラウンドにして月1回ペースで会合を開き、作品を持ち寄っての合評や文学談義を重ねています。

 メンバーは10人ほどで、全員が女性。2回ほど会合にお邪魔したことがありますが、そのパワーに圧倒され、「富士市の長文系は女性でもっている」を確信するほど、皆さん、執筆活動に意欲満々でした。

 

 数年前、傘寿を迎えた頃だったと思いますが、長島澄子さんは車の免許証を返納、これを理由に公的な文芸機関の職を辞していますが、私的な『文学舎』には籍を置き、そして今回の20周年を節目にしての引退記事。

 

 記事では、「引退しても、読むこと、書くことは止めない。体力的に『文学舎』の活動は続けられないが、メンバーとは引き続き交流を続け、一緒に勉強していきたい」のコメントが載っていました。

 

 うれしいコメントであると同時に、「海野さん、しっかりしなさいよ」の叱咤激励ともいえるコメントでした。

 

 実は、自分は、不惑の40歳を迎える直前まで随筆や小説などを書いていました。厳父が富士市比奈出身である作家の吉村昭氏(2006年没)を師と仰ぎ、指導も受けての記者活動と並行しての執筆活動。芥川賞や直木賞の登竜門とされている月刊文学誌の新人賞に応募を重ね、最終候補作品に残ったこともあったのですが、新聞編集責任者のポストに置かれてから文芸作品としての執筆活動は休止しています。

 

 その日の紙面を埋める責任、出社すれば紙面への抗議を中心とした読者への対応などに追われる日々の中、記者活動と並行しての文芸作品の執筆活動は「無理」、そう決めての休止で、長島澄子さんから会うたびに「書き続けなきゃだめよ」と言われ続けてきました。

 

 実は、市議会議員10年目を迎えた昨年夏、「このまま人生、終わっていいのか」の自省をもって文芸作品の執筆を再開、応募規定を満たす長編物を書き上げたのですが、かつて応募を重ねた月刊文学誌の新人賞に応募するも一次で見事、落選。「文学の世界、甘いものではない」を自覚させられています。

 

 議員活動も記者活動と同様、議員本来業務以外に議員活動に取り組む上で必要な調査や書物の読破、さらに、あれこれ依頼事が舞い込み、執筆に没頭できる時間の確保に苦慮。そんな中で執筆した作品など“お遊び”の範疇でしかありません。

 

 読む人の琴線に響く文学作品とは、「自らの魂を削りながら人間の内在に潜む魑魅魍魎たる澱(おり)のようなものを拾い上げ、活字にまとめていく作業」と認識しています。

 

 ただ、紙面に掲載された長島澄子さんのコメントで、こんな思いを抱いています。

 

「まだ、諦めてはいけない。見果てぬ夢に終わっても諦めてはいけないのだ」

| - | 22:24 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT