「何故…?」と問われても論理的に答えることはできないのですが、和洋を問わず歴史的建築物や絵画などを見学・鑑賞するのが「好き」。で、過日、遠出した帰路、京都で途中下車、「自主研修」の線上で臨済宗妙心寺派の総本山である妙心寺に行ってきました。
そこで遭遇した雲龍図の謎と、その謎解きを…。
妙心寺です(拝観料受付前)
京都での途中下車は年に1回程度、時間的に一カ所と決め、いつも目的地は“人気観光寺”。
今回、見学した妙心寺は、じゃらんnetの『京都の神社・神宮、寺院ランキング』では39位(1位は清水寺)であるものの、知人が修行を積み、最近は「学生僧の指導に定期的に通っている」と聞いていたことから、「いつかは…」と思っていた寺でした。
ランク39位であるものの、そこは世界に誇る神社・神宮・寺院の都市・京都、訪れた妙心寺は、禅寺らしく質素な色彩の中にも全国に3400の寺院を傘下に置き、650年を超える歴史を誇る臨済宗妙心寺派の大本山に相応しい大伽藍を有し、拝観料500円(大人)を払って、その代表的な建築物である重要文化財指定の法堂の内部も見学。
法堂は、入母屋造り重層本瓦葺きの大建築物。明暦2年(1656年)の建造で、住持(じゅうじ、寺の長である僧侶)の演法(説法)や重要な儀式が行われ、天井には狩野探幽の雲龍図が描かれています。
狩野探幽は江戸時代初期の絵師で、妙心寺の雲龍図は55歳の時の作。ガイドによれば、「制作には実に8年の月日を費やした」。仏教では、龍は仏を助ける存在とされており、一説には天井画には「仏の教えを雨のように降らす」という意味が込められ、また別の説では、「(水を司るとされる龍が)寺院を火災から守る」とも言われています。
雲龍図は、目が絵全体を囲う円のほぼ中心になる構図で、この画法は「八方睨み」と呼ばれ、どの位置から天井を見上げても龍と目が合うようになっています。
同様の画法は、葬儀の際に使われる遺影写真にも応用され、右側から見ても、中央から見ても、左側からみても見詰められているような気がしますネ。
つまり、仕組みというより、人間の目の錯覚を利用した画法による「八方睨み」です。
しかし、以前、見学した京都の天龍寺や建仁寺の雲龍図とは、何かが違っていました。
ここに示した1枚目の写真、天龍寺の雲龍図は、龍の両目が大きく開き、目の錯覚によって、どこから見ても龍の目と合うようになっています。
天龍寺の雲龍図です
ところが、拝観料を支払った際に渡されたパンフレットに掲載されていた2枚目の写真、妙心寺の雲龍図は、右目だけ大きく開き、左目は太くて長いまつ毛に覆われ、「そこに目があるらしい」といった感じです。
妙心寺の雲龍図です
お堂内は写真撮影禁止のため、ここにお届けできませんが、「これが八方睨みの龍です」とガイドに告げられ、「どれどれ」とお堂内をぐるり一周。反対側にくると、何と右目に加えて左目も大きく開いているではありませんか。
目の錯覚ではなく、「エッ!」でした。
ガイドの誇らしげな妙心寺の歴史解説の話は、そっちのけで、パンフレットを片手に、その謎解きに挑戦。
しばらくして、再び、「エッ!」でした。
目の錯覚ではなく、作者の狩野探幽は、仕組みによって「八方睨み」を作り上げています。つまり、トリックアートのだまし絵です。
謎を解けば…。
3枚目の写真は2枚目の写真、パンフレットに掲載されていた雲龍図を拡大したものですが、青矢印が太くて長いまつ毛に隠れた左目で、赤矢印は目ではなく鼻の一部にように受け止めてしまいますが、反対側に行くと、その赤矢印が大きく開いた目となり、「両目で睨まれる」となります。3枚目の写真を角度を変えて観て下さい。両目になりますヨ。
妙心寺の雲龍図の拡大図です(パンプレットから)
目の錯覚を利用した「八方睨み」でなく、仕組みによる「八方睨み」。狩野探幽は江戸時代初期の絵師であり、アートハイテクノロジーの先駆けといったところ。時空を越えての狩野探幽という絵師の偉大さ、凄さ、それを知った貴重な歴史探訪でした。
この謎解き、「それ、とっくの前から周知されていること」と言われそうですが、久々に心が躍ったことから一筆啓上した次第…。