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我が師、児島準一さんへの鎮魂譜

 富士市今泉にお住まいだった児島準一さんの葬儀が、6月6日、市内の葬儀場で行われ参列、“我が師”と仰いできた児島さんの素晴らしい人生を見詰め、改めて、その人生を心に刻んできました。いただいた幾多の指南に感謝の思いを込め、ここに鎮魂の一文を…。

 

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             葬儀にて…

 

 亡くなられたのは6月2日、78歳でした。

 

 児島さんとの出会いは、前・富士市長の鈴木尚さんが就任した直後の2002年、今から15年前で、当時、自分はローカル紙の記者でした。

 市長就任早々に鈴木尚さんが主張した官民協働のまちづくりに向けての実践団体として有識者によってNPO法人コミュニティシンクタンクふじ(CTTF)が発足、児島さんは、そのトップ職、理事長に就任しています。

 

 工業都市・富士市を支えてきた日本食品化工衂抻旅場の重鎮として活躍、退職後のセカンドライフとしてのNPO法人の理事長就任で、自分は人物紹介の取材時が初対面でした。

 外見的な印象は、大柄で、見るからに骨太ということもあって「西郷隆盛のような方」。あれこれ話をしての印象は「豪放磊落」。取材を進める中、「私は自他共に認める九州男児、大学(熊本大学)では柔道を」と話され、「やはり、そうか」でした。

 

 理事長就任にあたっては、かなり市政について研究したようで、「行政には企業の経営感覚が必要。厳しい言い方をすれば、ぬるま湯につかっていてはダメ。先例が無ければ先例を作る意気込みが必要ではないか」といったことを話され、さらに市民に向けても「既得権を主張していては、これからの都市間競争に富士市は勝ち残れない。市民もスクラップ&ビルドが必要だ」など、当時としては衝撃的な事を話されました。

 

 CTTFは、聖域なき補助金の見直しなど市からの受託事業に取り組み、それなりの成果を築くも、活動の間口を広げ過ぎたこと、さらに、富士市ではNPO法人の活動が萌芽の域で、生業として活動を続けるには厳しさもあり、2009年の第6回通常総会の開催をもって5年間の活動に終止符を打ち、解散しています。

 

 しかし、CTTFの活動を雛型として多くの市民活動が生まれ、そのトップ職の理事長を担った児島さんの功績は多大です。

 

 趣味は、「ゴルフ、そして呑むこと」で、CTTF解散後、ゴルフについては「年間100回を目標」にされていたようです。

 呑むことはイコール人とのふれあいが好きで、自分も、確か3回ほど誘われ、児島さんの行きつけのカウンターだけの小料理屋で杯を交わしたことがあります。児島さんの仕上げは、いつもウイスキーのストレート…?でした。

 

 ここ1年ほど、お会いすることがなかったのですが、葬儀の場で長く闘病生活を続けていたことを知り、「せめて、もう一度、言葉を交わしたかった」と忸怩(じくじ)たる思いに駆られています。

 

 昨今の葬儀は、親族以外は通夜に参列が主流となっていますが、6日の本葬にも知人・友人とおぼしき多くの方が参列していました。それは児島さんが築き上げた財産です。

 

 児島さんは、「いかなる境涯に追いやられようと、どんなに深い悲しみに襲われようと前に進む、未来への扉を開ける、そんな人生を歩んだ方だ」と受け止めています。

 憧憬(しょうけい)を抱く人生ですが、いかに自分が、それに近づけるか、近づくことができるか…。その第一歩を踏み出すことが児島さんへの自分なりの追悼、それを胸に刻む夜です。     

                          合掌

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