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日中友好促進に向け確かな前進、中国殉難者慰霊祭

 昨日(7月2日)午前9時から富士市田子浦地区にある中丸平松墓地で「中国人殉難者慰霊祭(以下、『慰霊祭』という。)」が開かれ、参列しました。

 慰霊祭は、地元の中丸浜区(遠藤隆区長)と富士市日中友好協会(渡辺敏昭会長)が田子浦地区仏教会の協力を得て、毎年、この時期に墓地内の慰霊塔で開いているもの。自分、海野しょうぞうは日中友好協会役員としての参列で、役目は雑用係と記録写真係でした。

 

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         2日に開かれた慰霊祭です

 

 

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     日中友好協会は受け付けなどを担当しました

 

 ここ数年、日中関係がギクシャクしていることを背景に、慰霊塔の慰霊碑に刻まれている“中国から強制連行”の文言に対し、「事実とは違う。訂正すべき」の抗議を受け続けてきたことから胸に棘(とげ)が刺さったような状況でしたが、今年の慰霊祭で地元区長が語った戦中の人類愛に満ちたエピソードを聞き、「慰霊祭を続けることは日中友好促進に向けて確かな前進になる」、それを確信しました。

 

 富士市内では、第二次世界大戦の末期、昭和19年(1944年)頃、田子浦地区で飛行場の建設が進められ、日本の占領下にあった中国から500人余が連行され建設業務に従事、想像を絶する厳しい食料事情と過酷な労働環境により52人が亡くなったといわれます。

 

 慰霊祭は、その史実を風化させずに後世に伝え、不戦・平和の輪を広げていくことを狙いに開催しているもので、中丸浜区の皆さんがテント設営や椅子などを準備、日中友好協会が受付や進行などを担当しています。

 

 午前9時に開始。関係者や田子浦地区の区民、それに園児から高校生の子供達など100人余が参列、田子浦地区仏教会の僧侶による読経が流れる中で焼香が行われ、これに続く式典では小長井義正市長が市民を代表しての慰霊の言葉を捧げました。

 

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       慰霊の言葉を述べる小長井市長

 

 日中友好協会の渡辺会長と中丸浜区の遠藤区長は、それぞれの立場で挨拶。

 

 渡辺会長は、慰霊祭開催にあたっての地元の熱意に感謝の思いを伝えながら「この地で過酷な労働に従事した中国の方々の食事は、朝、昼、晩ともサトイモなどで作ったダンゴ2個だったといわれる」と述べ、極めて厳しい食料事情も多くの犠牲者を生じた理由とする史実を伝えて、その継承を求め、その上で「日中関係は厳しい局面にあるが、こうした時こそ民間の日中交流が大切であり、この慰霊祭は恒久平和への一里塚になると信じている」と参列者に語り掛けました。

 

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        渡辺会長

 

 また、遠藤区長は、「私は昭和23年生まれの戦後派ですが、両親から『戦時中、中国人労働者の厳しい食料事情を知った地元の人達が軍の目を盗んで握り飯などを届けた』という話を聞いた」と、戦時中における国境を超えた人類愛に満ちたエピソードを語り、会場には静かな感動の輪が広がりました。

 

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         遠藤区長

 

【2つの慰霊碑と強制連行という文言について】

 

 ところで、慰霊塔には、2つの慰霊碑が建立されています。それを少しばかり解説します。

 

 1つは、『中華民国人興亜建設隊故歿者之碑』と記されたもので、飛行場工事請負人であった熊谷組が殉難者の霊を慰めるため昭和23年(1948年)7月に建立。

 

 もう1つは『中国人殉難者慰霊碑』と記されたもので、その建立は平成2年(1990年)7月です。

 

 昭和23年の『中華民国人興亜建設隊故歿者之碑』の建立後、関係者や地元の方々で慰霊祭が行われてきたものの、歳月の流れにより「中国の人達が連行されて飛行場建設に従事、過酷な労働環境により亡くなった人もいた」という戦争史実を体験した人が少なくなり、「史実を明確に伝える副碑的なものが必要」、さらに「中国大陸に中華人民共和国が成立した以降、『中華民国』の国名は台湾を指すのが一般的となった」などから平成2年、関係者の熱意の結集で2つ目の慰霊碑である『中国人殉難者慰霊碑』の建立となったものです。

 

 この2つ目の慰霊碑建立は、その前年の平成元年(1989年)1月に富士市が中国浙江省嘉興市と国際友好都市を提携、両市間の交流が一気に活発化したことが背景にあり、地元の中丸浜区と日中友好協会との共同での慰霊祭開催も2つ目の慰霊祭建立以降で、今年で27年目となります。

 

 冒頭に記した「事実とは違う。訂正すべき」の抗議は、2つ目の慰霊碑に記されている「太平洋戦争の末期、中国から強制連行されてきた504人が旧富士郡田子浦村に陸軍が建設中の富士飛行場へ到着、興亜建設隊に編入され、作業に従事させられた。当時の劣悪な食料事情と荷重な労働の中で、52人が故国にはせる想いも空しく現地で亡くなられ、この中丸共同墓地へ埋葬された」の中の“強制連行”を指摘してものです。

 

 戦中、富士市における飛行場建設だけでなく、全国各地に多くの中国人労働者が訪れています。華人労務者(かじんろうむしゃ)と呼称される人達です。

 華人労務者は、日本が軍国主義に突き進む中で男性が戦地に送り込まれて労働力不足となり、それを補うために日本の企業が中国大陸で募集、雇用した中国人。抗議は、「華人労務者は雇用に応じた方々であり、それを無視する形で“強制連行”と決めつけるのは史実を歪曲している」です。

 

 日中間がギクシャクする中、戦時中における日中の史実への抗議や異論が相次ぎ、最近では南京大虐殺が「事実に反する」と社会問題化しており、その線上での抗議。昨年、慰霊祭をブログに打ち込み、2つ目の慰霊碑も全文を紹介したところ、通常は「そこそこ」のアクセスが1000件を突破。同時に手厳しい10数件のコメントも寄せられています。

 コメントの内容から、多分、南京大虐殺の異論が台頭していたことからネット検索に引っかかったもので、抗議コメントは全国からでした。

 

 しかし、慰霊碑文は、建立時に富士市が中国大使館と協議、合意で作成。さらに、「富士市の飛行場建設に華人労務者の方がいたのか、その割合は…」などは戦後70年を経過していることから調べようがなく、抗議コメントは受けるだけ、レスポンスを避けています。

 

 直接、抗議を受けたこともあるのですが、その際は、訪日が、どのような理由、経過であろうと厳しい食料事情と過酷な労働環境下で多くの中国人の人達が異国の地で無念の死に至ったことは厳然たる事実であり、「その1点をとらえての慰霊祭は意義あるもの。そう受け止めています」の持論を示して理解を求めています。

 

 ご理解いただけたら幸いです。

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