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陸上男子日本人初の9秒台と少年時代の思い出

 きょう9月10日の購読紙(静岡新聞)の朝刊1面トップ記事は、桐生祥秀選手(21)=東洋大=が9日に福井県営陸上競技場で行われた日本学生対校選手権の男子100歎莨,韮紘達坑犬瞭本新記録を樹立、日本人で初めて“10秒の壁”を破った朗報でした。関連記事も4本掲載という特大の扱い。それだけ日本人待望の新記録で、自分も、少年時代に取り組んだ陸上競技の思い出と重ね合わせ、桐生選手に「よかった」、指導陣に「素晴らしい」、その思いで受け止めています。

 同時に、結果的に自分史の位置付けてとなっている、このブログに「しこりとなっている少年時代の思い出にけじめをつけ、今回の桐生選手の快挙を記憶として残したい」、そんな思いから一筆啓上します。

 

ブログ20170910.jpg

 

 国際陸上競技連盟によれば、桐生選手は9秒台をマークした世界で126人目の選手。世界的にみれば珍しくないものの、100分の1秒まで表示する電気時計で初めて9秒台を記録したのは1968年のジム・ハインズ選手(米国)でタイムは9秒95、桐生選手による日本人選手の10秒の壁突破は49年遅れの快挙でした。

 

 桐生選手は、京都・洛南高校3年の2013年4月、17歳の時に当時の日本記録(10秒00)まで、あと0.1秒と迫る10秒01を記録して一気に日本人選手のトップに躍り出たものの、その後、10秒の壁に跳ね返され、若手が台頭する中、今年6月の日本選手権では4位に沈み、個人種目での世界選手権代表を逃しています。

 

 陸上の花形種目である男子100辰蓮∪こΦ録保持者のウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)で象徴されるように大型化が進み、ボルト選手は196臓F本人選手も今年6月の日本選手権を制したサニブラウン・アブデル・ハキーム選手は188造猟洪箸任后

 これに対して桐生選手は176臓並僚鼎錬沓悪繊法

 日本選手権で4位に沈んだ際、その体格面、それに若手の台頭も含め「桐生選手はピークを過ぎた」、そんな観測もあったのですが、そんな得手勝手な観測を打ち消す今回の日本人初の9秒台。

 この桐生選手の快挙を自分は、「桐生選手はスポーツの力を掴み取っているから、そして指導陣の適切なサポートがあったからだ」、そう受け止めています。

 

 スポーツの力とは、「スポーツは観る側に感動という心のビタミンを届け、世界平和にも連動するもの」、そう認識するだけでなく、スポーツを通しての自己鍛錬によって、今後の長い人生、いかなる境遇に追いやられようと、深い悲しみに襲われようと、前に進むことができる、未来への扉を開けることができる、そんな力です。

 指導陣のサポートには、「競技指導に加えて、桐生選手の長い人生に向けてのメンタル面の指導もあったのでは…」と観測しています。

 

 さて、自分の「少年時代に取り組んだ陸上競技の思い出」。現在の見た目やスポーツと無縁の生活から決して信じてもらず、娘達に「昔、お父さんは足が速かった」と少しばかり自慢話をすれば「嘘も、いい加減にしな!」と言われるほどですが、中学時代、陸上競技の短距離、専門はハードルでした。

 

 中学入学後、体育授業を受けた教師は、当時の市内の中学陸上界では有名な指導者で、中学入学直後の体育授業で陸上部への入部を突き付けられ、何となく入部。以後、スパルタ的かつ理論的な指導を受け、すべての部活が休部となる中間試験や期末試験時も市内の高校を指名され、練習に出向く、そんな状況でした。

 

 つまり、野菜でいえば促成栽培。同年代の選手よりも強くなるのが当たり前で、中学2年時に全国ランキング5位。「来年は全国制覇」、そんな期待を受けたのですが、何と2年時のシーズン終了とともに監督に退部を申し出、スパイクを捨ててしまいました。

 3年への進級前、他校に転任することが決まった監督から言われた言葉は、「お前は俺が育て選手。3年になって陸上競技でハードルを走ることは許さない」で、その言葉に「分かりました」と返答しています。

 

 その監督とは新たな着任校が遠方だったこともあって2度と会うことはなく、3年への進級後、教師陣から陸上競技の再開を強く勧められたのですが、返した言葉は「ハードルだけは走ることはできません。監督との約束ですから」でした。

 

 そんな中、ある教師が「監督との間で、お前には、いろいろあっただろうか、お前自身のために、もう一度、走った方がいいと思うよ」と言葉をかけて下さいましたが、それを受け止め、その深淵なる意味を掴みとることが出来ませんでした。

 

 退部、自らスパイクを捨てたことはプレッシャーがきつかったこともありましたが、それ以上に監督が事あるごとに言い放っていた「勉強は、どうでもいい。練習に励み、結果を残せば希望する高校に行ける」への反発、さらには「スポーツの力とは…」、そうしたことの指導が全くなく、結果として走ることの意義を見出せず、走ること自体を無意味に思ってしまったことが最大の理由でした。

 

 モヤモヤしたまま高校に進学、そして、モヤモヤしたものを吹き飛ばすために陸上部に入部して競技を再開。進学した高校の陸上部は“エンジョイ・スポーツ”の同好会的な要素が強く、加えて促成栽培での過去の競技力は通用せず、結果を残すことは出来ませんでしたが、ぼんやりとしたものですがスポーツの力を掴み取ることができ、部活を通して仲間も作ることができました。

 

 もう半世紀も前の少年時代の出来事。当時と違って現在のスポーツ指導は選手の人格形成にも、しっかりと目を向けていることと思います。

 

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて日本人選手への期待が高まってくると思いますが、今年7月から8月にかけての幾つかの世界選手権を放映したテレビ局の一部には競技の門外漢のタレントを進行役に投入、十分な実力分析もなく「メダル獲得へ」といった過大な期待の言葉を連呼しています。そうした無責任者な情報に惑わされず、日の丸を背負った選手の競技に臨む姿勢に温かなエールを送りたいものです。

 

 私的な長文を反省しつつ…。

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