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東日本大震災の津波被害、宮古市田老地区の視察報告書

富士市議会凜(りん)の会の会派視察報告

 

「岩手県宮古市田老地区の 

 

津波被害と復旧について」

 

視 察 日:平成30年5月8日(火)

説 明 員:宮古観光文化交流協会学ぶ防災ガイド 佐々木純子氏

 

 

【視察目的】

 

 2011年(平成23年)3月11日に宮城県牡鹿半島の東南東沖130劼波生した東日本大震災は、日本人が過去経験したことがないマグニチュード(M)9・0という規模の巨大地震、そして津波、原発事故による未曾有の被害は自然災害と原発問題への根本的な見直しを突き付けている。

 地震発生後の2012年(平成24年)8月29日、内閣府は東日本大震災からの教訓をもとに駿河湾から日向灘までの南海トラフを震源域とする最大級の地震が発生し、大津波が東海地方を襲った場合の津波高や被害想定を発表、これ以降、各地方公共団体は一斉に津波対策の強化に取り組んでいる。

 その津波対策の強化に向けて中央防災会議の専門調査会は、津波規模をレベル1とレベル2に分け、その発生頻度や被害想定を下記のように示している。

 

 

 富士市も同様、それまでの駿河湾を震源域とした東海地震を想定しての田子の浦港周辺の津波対策のパワーアップを図り、その中では津波による浸水地域の住民の意見を受け止め、官民協調組織である田子の浦港振興ビジョン推進協議会の防災対策部会との協議を重ねて新たな田子の浦港周辺の津波対策づくりに乗り出し、その対策づくりは最終局面を迎えている。

 市全域が駿河湾の沿岸部に位置する富士市では、幾多の台風による高潮被害への対策として高さ17辰遼苗堤の築造や、工業振興面からの港湾整備、さらに想定する津波高から「レベル1はクリア」と判断。この優位性に立脚して「レベル2の対策」を目指し、2017年(平成29年)11月27日に開かれた市議会環境経済委員会協議会で当局は、中間報告としてレベル2への多重防御のハード面整備として短期・中期計画で波除堤の機能強化、長期計画で直立浮上式とフラップゲート式の2つのタイプを掲げた可動式防潮堤設置案を示している。

 長期計画については、事業主体や費用面の課題だけでなく技術的な面でも「さらに研究が必要」とされているが、いずれせよ、県内の地方公共団体の多くがレベル1への対応すら緒に就いた段階での津波完全シャットアウトを目標とする富士市へのレベル2への挑戦は、その挑戦姿勢をもって『津波防災先進都市・富士市』といえるだろう。

 しかし、である。

 明治以降、相次ぐ津波被害を受けて「日本の万里の長城」と言われるほど堅牢な巨大な防潮堤を築き、『津波防災の町』を宣言。国内のみならず世界の津波研究者の間でも「津波に最も強い港町」と注目されていた宮古市の田老地区では、東日本大震災で発生した津波の襲来で甚大な被害を受けている。津波が堅牢な巨大な防潮堤を乗り越えての甚大な被害である。

 我々は、「富士市の津波対策を考える上で、宮古市の田老地区を襲来、甚大な被害をもたらした東日本大震災の津波とは…、そして田老地区での復旧事業、その把握も必要、重要」との認識をもって現地視察に出向いた。

 

 

【宮古市の田老地区とは…】

 

 まず、田老地区の津波との闘いを振り返ってみよう。

 田老地区は、現在、岩手県宮古市の一部であるが、古くは1889年(明治22年)に町村制が施行されたことを受けて田老村が発足。1944年(昭和19年)に町制施行で田老町となり、2005年(平成17年)に宮古市と合併し新制の宮古市の一部となっている。

 主要産業は漁業の典型的なリアス式海岸地帯に存在。海岸線から山間部までの距離が短いことも特徴である。

 この田老地区は、“津波太郎(田老)”の異名が付けられるほど古くから津波被害が多く、江戸時代初期の1611年(慶長16年)に起きた慶長三陸地震の津波では「村が全滅した」との記録が残されている。

 明治以降で正確な記録が残されているのは、以下の通りである。

 

★1896年(明治29年)の明治三陸津波

  最大波高       15

  罹災戸数      336戸

  死者・行方不明者 1859人

  流出漁船      540隻

★1933年(昭和8年)の昭和三陸津波

  最大波高       10

  罹災戸数      505戸

  死者・行方不明者  911人

  流出漁船      909隻

★2011年(平成23年)の東日本大震災津波

  最大波高       16

  罹災戸数     1691戸

  死者・行方不明者  181人

  流出漁船      855隻

 

 田老地区が本格的に津波対策に取り組んだのは、1933年(明治8年)の昭和三陸津波以降である。

 当時の内務省と岩手県は、復興策の基本として集落の高所移転を打ち出すもの、当時の田老村は、周囲が山に囲まれ、適当な高台がないこと、加えて主要産業が漁業であることから防潮堤建造を決断。難色を示していた国と県は最終的に費用負担に同意し、1934年(昭和9年)に第一期の防潮堤築造が開始となっている。

 日中戦争拡大による資金難から1940年(昭和15年)に工事中断に追い込まれるものの、戦後の1954年(昭和29年)に14年ぶりに工事再開。4年後の1958年(昭和33年)に第一期工事が終了し、起工から24年を経て全長1350叩基底部の最大幅25叩地上高7.7叩海面高10辰梁臻苗堤が完成している。

 その後も増築が行われ、起工から半世紀後の1966年(昭和41年)に最終的な完成を見ている。総延長は実に2433辰裡愡型の堅牢な巨大な防潮堤で、城壁のように田老地区の市街を囲んでいる。

 この防潮堤は「日本の万里の長城」と言われるほどで、国内のみならず世界の津波研究者の間でも「津波に最も強い港町」と注目されていた。

 完成を受けて合併前の田老町は、昭和三陸津波70周年にあたる2003年(平成15年)、「災禍を繰り返さない」と誓い、『津波防災の町』を宣言。紙芝居『津波てんでんこ』の上演活動など児童への防災教育や、年1回の避難訓練にも取り組んできた。

 つまり、堅牢な巨大な防潮堤を過信することなく、避難というソフト面の防災対策にも取り組んできたわけである。

 これは、2011年(平成23年)の東日本大震災津波では罹災戸数1691戸という中、死者・行方不明者181人を数えたものの、罹災戸数505戸で死者・行方不明者が実に911人に達した1933年(昭和8年)の昭和三陸津波に比べれば、堅牢な巨大な防潮堤を津波が乗り越えたとはいえ、その破壊力が軽減、さらには避難というソフト面の防災対策による減災効果を数値的に示していることは言うまでもない。

 

 

【視察内容】

 

 今回の視察は、宮古市文化交流協会が取り組んでいる『学ぶ防災ガイド』を利用、佐々木純子氏から現地で約2時間、説明を受けた。

「学ぶ防災ガイド」は、東日本大震災により甚大な被害が出た田老地区の当時の状況を伝えることで、震災の恐ろしさ、命の大切さを伝えるガイドさんである。

 本来ならば、まず宮古市役所を訪れ、津波被害の復旧・復興担当者から行政サイドの取り組みの説明を受け、その上で現地視察…とすべきだったが、2日目の視察日程は初日に訪れた雫石町からレンタカーで宮古市、そして盛岡に戻り、電車を乗り継いで3日目の視察先である新潟県上越市に…というタイトな日程だったことから現地視察のみを余儀なくされた。

 ガイドの佐々木氏とは三陸鉄道北リアス線の田老駅で待ち合わせ、渡された『学ぶ防災』と題したパンフレットをもとに、被害状況や復旧事業の説明を受けた。

 パンフレットには、被災前、被災直後、現在、そして土地区画整理事業が進む田老地区の、その完成予想図が示されていた。

 高台への移転も絡めており、元の状態に戻す復旧事業と新たな創出を図る復興事業を合わせての取り組みである。

 

↑ 被災前の田老地区

 

↑ 被災直後の田老地区

 

↑ 現在の田老地区

 

 この後、X字型の堅牢な巨大な防潮堤の上に登り周囲を一望。かつて城壁の防潮堤に守られ、家屋が密集していたものの、すべて津波に流された市街地域は建築物が規制され、家屋流出の跡地には立派な野球場が建設中であった。遠望の高台に宅地造成が確認された。

 津波が乗り越えたとはいえ「日本の万里の長城」とされた堅牢な巨大な防潮堤そのものは多少の損傷はあったものの、崩壊といった大きな損傷はなく、防潮堤は「1933年(昭和8年)の昭和三陸津波の犠牲者の数」という防潮堤上のコンクリート製の石柱(石碑)の間を塞ぐ70堕度のかさ上げ工事が行われているのみであった。

 

↑ 家屋流出跡地に建設中の野球場

 

↑ X字型の堅牢な巨大な防潮堤

 

 ふと、脳裏に東日本大震災から約2年後の2013年(平成23年)7月に、当時所属していた会派の視察で訪れた岩手県大槌町で応対して下った佐々木彰副町長の言葉を思い出した。

 大槌町も沿岸部は甚大な被害を受けたものの、津波対策とする防潮堤の築造は、「100年から150年に一度発生とするレベル1に対応した規模」、続けて「今回の東日本大震災のような1000年単位の津波に対応する防潮堤の築造は費用的にも年数的にも現実的ではない。レベル1の防潮堤の築造のほか高台移転や避難対策の強化に取り組む」という発言だった。

「田老地区の取り組みも佐々木副町長と同様、復旧に避難対策の強化を絡めたものだ」、そう受け止めたが、ガイドの佐々木氏が「あれを見て下さい」と指差した漁港近くの巨大な白いコンクリート壁に目を疑った。防潮堤とは思えない中層ビルのような白いコンクリート壁で、築造中であるものの漁港をグルリと囲むことが想定された。現に、手渡された土地区画整理事業の完成予想図には、それが示されていた。

 高さ17叩東日本大震災の津波に対応したもので、「レベル2への対応、津波被害完全シャットアウト」、それを目指してのものである。

 復旧にとどまらず、ハード面の強化である復興にも取り組むといったところだが、ガイドの佐々木氏は杞憂を示した。津波被害完全シャットアウトを目指す漁港をグルリと囲む新たな防潮堤が完成した際には、X字型の堅牢な巨大な防潮堤の上から海が全く見えなくなってしまうことを指してのもので、過信に加えて津波襲来が確認できない、逃げるチャンスを失ってしまう、その不安である。

 漁港に出向くと、築造中の新たな防潮堤の規模が鮮明になった。

 対岸に、白い城壁である築造中の新たな防潮堤をはっきりと見ることができた。

 さらに、漁港には、鉄骨造りだったことから倒壊を免れた製氷貯氷施設が修復され、その壁面に、これまでの津波被害の高さが示されていた。下から1933年(昭和8年)の昭和三陸津波の10叩1896年(明治29年)の明治三陸津波15叩△修靴2011年(平成23年)の東日本大震災津波17.3辰任△襦

 津波の脅威、それを突き付ける表示であった。

 

↑ 白い壁のような築造中の新たな防潮堤

 

↑ 壁面に、これまでの津波被害の高さが示されていた製氷貯氷施設

 

 

【津波防災とは…を学ぶ】

 

 視察の終盤は、津波遺構である『たろう観光ホテル』に案内された。この遺構は6階建てで、津波被害により1、2階は破壊されたものの、倒壊は免れ、“もの言わぬ語り部”として残されている。

 

↑ 津波遺構の『たろう観光ホテル』

 

 ガイドの佐々木氏に6階に案内され、津波襲来時に、このホテルのオーナーが6階から撮影したビデオを観させていただいた。

 相次いで襲う津波、それが放映され、ついに防潮堤を超えた。リアルな映像からは津波にのまれる人の姿もあり、衝撃的な、直視するのが辛い映像であった。

 この地区で起きた津波被害を映像をもって示したガイドの佐々木氏は、「これは現実に起きたことです」と述べ、その上で「限られた時間、多くを警鐘として伝えたい」、そうした澎湃として湧き上がる思いを次のように語った。

 

「地震発生から、この地に津波が襲来するまで逃げることに十分な40分間という時間があった。どんなに津波対策を強化しても、過信することなく、その基本は避難であることを忘れないでほしい」

 

「エキスパート・エラーという言葉がある。専門家の意見を鵜呑みにせず、自分の命は自分で守る“津波でんでんこ”を広めてほしい」

 

「率先避難者が必要。過剰なサポートは全体の避難の遅れとなり、犠牲者が増えることになってしまう」

 

「瓦礫の下敷きになった際の救助の要請合図には笛やペンライトが有効。非常持ち出し備品リストに必ず入れてほしい」

 

 視察地を後にしなければならに時間となり、津波遺構である『たろう観光ホテル』の階段を下っていると窓の外に高台に向けて立派に整備された避難路が確認できた。

 津波襲来まで40分間という時間も含め、津波防災は「避けることにできる自然災害」、それを実感させられる情景であった。

 

↑ 高い台に向けての避難路が整備されていた

 

 

【視察所感】

 

 今回の視察では、一つ、心に引っ掛かるものがあった。東日本大震災規模の津波被害を完全シャットアウトする白い城壁、築造中の防潮堤の存在である。

 築造の根底には、「津波被害と決別を!」とする、この地に住む人達の強い意思があることは言うまでもないが、その一方で、ガイドの佐々木氏が杞憂に示した過信に加えて津波襲来が確認できない、逃げるチャンスを失ってしまう、その不安も頂門の一針として受け止めたい。

 津波防災の基本である、自らの命は自ら守るの“津波てんでんこ”の実践を、どう社会に広く敷衍、未来永劫に受け継いでいくことができるか…は、同じく津波被害が懸念され、レベル2の津波対策に取り組む富士市にも突き付けられている大きな課題であり、田老地区のハード、ソフト両面からの津波対策を今後も注視したい。

「我々の報告は終わってはない。終わってはならないのだ」、この思いを今回の視察の総括としたい。

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