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富士市を築いた政治家、斉藤滋与史先生が死去!

「富士市を築いた政治家」と言っても決して過言ではない斉藤滋与史先生が、きょう8月9日午前7時15分、心不全のため富士市内の病院で死去、夕刊や夕刻のテレビニュースが伝えました。1918年8月9日生まれ。100歳を迎えた朝の旅立ちでした。

 

 垣間見た程度にすぎませんが、あれこれと滋与史先生の思い出を…。

 

ブログ2018080920180809.jpg

きょう9日の購読紙(静岡新聞)1面に掲載された訃報記事(一部)です

 

 滋与史先生は、富士市を代表する製紙会社、大昭和製紙(現・日本製紙)の創業者、斉藤知一郎氏(故人)の次男。早稲田大学商学部卒業後、同社に入り、副社長だった1964年に45歳で吉原市長に就任。2市1町の合併後の1966年に初代富士市長に就任しています。

 1969年には郷里の期待を背負って衆議院議員に転じて6期務め、建設大臣(現・国土交通相)の要職も担っています。

 1986年には県政に転じて知事に就任するも、2期目の1993年、病気を理由に任期1年を残して辞任、政界を引退しています。

 

 政治と金の問題が繰り返される中でもクリーンな政治家として知られ、政治実績面でも、市長時代には2市1町合併の中心的な役割を担い、国政や県政に活動を広げた際にも確かな実績を築きながら郷里に目を向け、衆議院議員時代の1988年3月13日開駅の東海道新幹線新富士駅は滋与史先生の功績といえるもの。知事時代には静岡空港や新東名、中部横断、三遠南信、伊豆縦貫の4路線など社会資本の整備に取り組みながら富士山こどもの国の大規模プロジェクトに道を拓いています。

 

 自分、海野しょうぞうが滋与史先生と初めてお目にかかったのは、もう40年余前のローカル紙の駆け出し記者時代。滋与史先生は国政の場で活躍していた衆議院議員時代でした。

 正月号のインタビュー取材でコチコチになって質問を向けると、穏やかな表情で回答して下さり、逆に「若い人の意見を聞きたい。今の日本の政治、どう思う?」なんて質問を受けたことを覚えています。

 

 衆議院議員時代には、建設大臣も担った大物政治家とあって選挙では全国を応援のために飛び回り、地元選挙区は支援者が結束して守り、和可子夫人(2014年8月29日死去、享年88歳)も内助の功を発揮していました。

 

 政界引退後、ひょっこり会社にお見えになったことがあります。後で知ったことですが、返礼行脚を重ねていた、といいます。「滋与史先生らしいケジメだった」、そう受け止めています。

 

 ここ10年余、滋与史先生が公の場に出ることはありませんでしたが、きょうの訃報の一報は、その人柄と政治家実績を知る多くの人に衝撃ニュースとなったことと思います。自分も、その一人です。

 

 巨星墜(お)つ、富士市の一つの時代が終わったことを史実に刻む訃報であり、多大な功績に敬意と感謝を表しつつ、合掌。

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