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産業文化都市・富士市パート6(壮大な歴史を伝える源平橋)

 東名高速道路の富士インターから県道353号線(道路愛称名:港大通り)を南下、市道田子浦伝法線(道路愛称名:富士見通大通り)に入り、しばらく進むと県管理の1級河川、潤井川に掛かる橋を通過。

 この橋、市道であることから1987年(昭和62年12月)に市が誕生させたもので、その名称は『源平橋』。

 南東には富士市を代表する公園である中央公園が広がり、北には霊峰富士が、その威容を見せる景勝の地にあり、橋には、富士川の河川敷を、その舞台とした源氏と平氏の富士川合戦の壮大な歴史を今に伝える文化の香り付けが随所に図られ、その中では「オッ!」の感嘆詞があがる粋な試みも…。

 

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 富士川合戦とは、平安時代後期の治承4年(1180)年10月20日に駿河国の富士川の河川敷で源頼朝や武田信義が率いる源氏軍と平維清が率いる平氏軍が戦った、治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つされています。

 合戦とされているものの鎌倉から西進した源氏軍に対し、平氏軍は源頼朝征討のために京都から東進するも富士川の水辺から飛び立つ水鳥の羽音を敵の大部隊の襲来と誤認して逃走したと伝えられています。

 戦わずして勝利した源頼朝は、以後、拠点地の関東の支配を固め、一方、栄華を極めていた平氏は諺(ことわざ)に残る「奢る平家は久しからず」の道を歩むことになります。

 

『源平橋』には、幾つかの文化の香り付けが図られています。

 

 その1 欄干の親柱4カ所には兜(かぶと)の立物(たてもの)と呼ばれる軍のシンボルが設置されている。

 

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 その2 欄干には透かし彫り工法により、進軍する武将らが描き出されている。

 

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 その3 欄干の中央部分には、平氏軍が勘違いして逃走した水鳥が飛び立つオブジェが設置されている。

 

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 その4 「オッ!」の感嘆詞があがるのが歩道部分のタイル。北側からは源氏軍の白旗、南側からは平氏軍の赤旗をイメージするタイルが貼られ、中央に進むごとにグラデーション化、中央部分では合戦をイメージするグレに…。

 

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 以上、4つのポイントをあげましたが、橋が完成した1987年は、バブル景気(1985年からへ1991年)の時代。「産業と文化の調和を目指す富士市、公共施設にもプラスアルファの予算をもって文化の香り付けを図り対外にアピールを!」、そんな建設にかかわった市の姿勢、そして職員の思いと意気込みが伝わってきます。

 

 時代は変わり、富士市も少子・高齢社会に…。景気云々以前に確実に社会保障費が増大していく中では公共施設は機能性のみを余儀なくされていますが、こうした中にあっても『源平橋』で打ち出されたポイントのその4、タイルのカラー変化をもっての合戦のイメージ化など、その気になればプラスアルファの予算を投じなくとも「いい時代」を再現することができるじゃないか…、です。

 

(※)この「産業文化都市・富士市」シリーズは今回で終了します。

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