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哀悼、毘沙門天妙法寺の高橋堯昭氏ご逝去、明日5日に密葬

 静岡県富士市鈴川の毘沙門天大祭を群馬県高崎市の少林山七草大祭、東京都調布市の厄除元大師大祭と並ぶ“日本三大だるま市”に育てた毘沙門天妙法寺院首の高橋堯昭氏のご逝去を知ったのは11月1日付けのローカル紙の訃報記事でした。長年、公私ともに親しくさせていただき、あれこれと人生指南も受けてきた方で、手にする訃報記事掲載の新聞が揺れ、いまだに寂寥感が募っています。

 報道によれば、亡くなられたのは10月30日。死因は老衰。享年93歳の生涯でした。葬儀は、明日5日午前10時から密葬として妙法寺で…。

 感謝の思いを込め、徒然なるままに、以下、哀悼の一文を記します。

 

ブログ毘沙門さん.jpg

毘沙門天のウェブサイトから。大祭翌日の古だるまの焼納供養式の場面、中央がご上人です

 

 高橋氏は、日蓮宗の妙法寺の「住職」でしたが、妙法寺は多聞天と呼ばれる四天王の一尊で、人々に多様なご利益をもたらす七福神の一尊でもある毘沙門天を祀る神仏習合の寺院、大祭など毘沙門天関連行事では「別当(べっとう)」と呼ばれていました。

 

 初めてお会いしたのは、前職のローカル紙『富士ニュース』の駆け出し記者時代で、「住職」と「別当」と二つの呼び名があることから初対面時、「どちらの名でお呼びすれば…?」と質問したところ、少し迷った後、「上人(しょうにん)と呼んで…。どちらも指す呼び名になるから」。

 以後、「ご上人」と呼ばせていただきました。もう40年余も前の事です。

 

 ご上人は、東京文理科大学(現・筑波大学)で学び、厳父の後継ぎとして妙法寺の住職、そして毘沙門天の別当に…。まだ、戦後の混乱が人々の生活に影を落とし、その一方では日本が先進国の仲間入りを目指した端境期の昭和20年代後半でした。

 

 多忙な日々の中でもライフワークとしていた東西文化交流史の研究を続け、その研究の線上で身延山短大・大学の教授を担い、請われて『日蓮宗新聞』やローカル紙の『富士ニュース』などへの連載をはじめとした執筆や講演活動も…。国際ネットワークの社会奉仕団体である吉原ロータリークラブの主軸としても活躍、国際ロータリークラブ第2620地区(静岡・山梨両県)のガバナーを務めています。

 

『富士ニュース』への連載は『日曜風流説法』のタイトルで、原稿の受け取りは毎週金曜日。自分、海野しょうぞうは、駆け出し記者として、その役目を担い、後輩記者にバトンタッチするまでの十数年間、毎週、受け取りにお寺に伺っていました。

 東西文化交流史の研究家であったものの『日曜風流説法』は、難解な語彙(ごい)の使用を避けながら、さまざまな社会の動きを取り上げて解説、さらに仏教思想をベースに目まぐるしい社会の動きに流されず、人として歩むべき道とは…を問いかける内容でした。

 内勤になった以降も大祭翌日に行われる大祭中に持ち込まれる満願成就の古だるまの焼納供養にも連載執筆のお礼を兼ねて取材に出向いていました。

 

 そんな中、ご上人から、こんな話を聞いたことがあります。

 

「大学卒業時、(東西分断時代の)西ドイツへの留学が決まっていたけど寺を継ぐために断念。寺を継いだ以上、東海一の大寺に…と決め、毘沙門天信仰の布教に励んだ」

 

 その布教活動は、娯楽の少なかった昭和20年代から30年代、柔道で鍛えた体力と豪放磊落な行動力をもって奥さんと幼い子どもを寺に残し、スクーターに映写機、時代劇の活劇映画のフィルムを乗せて村々を回り、神社などの境内で上映。終了後に「富士市にご利益大なる毘沙門天あり」と講話。県内のみならず山梨や長野方面にも出向き、一カ月くらい、寺に戻らず回ったこともあったといいます。

 

 そうした地道な、たった一人での布教活動が実り、各地に“講”が組織され、大祭時にはバスを連ねて信者の皆さんが訪れるようになっています。

 

 全国三大だるま市と知られ、富士市では突出した誘客イベントともなっている毘沙門天大祭も「一日にしてならず」です。

 

 また、ご上人は語学にも秀でた方で、その語学力をもって東西文化交流史の研究のためにインド、アフガニスタン、パキスタンなどガンダーラと呼ばれる地域を何回となく訪れ、ある時、「社長さんに俺から頼むから、海野さん、カメラマンとして現地調査に2週間ばかり同行してくれないか」と依頼を受けたことがありました。

 

 しかし、うれしい要請でしたが、日々、時間に追われる新聞発行という業務上、お断りするしか選択肢がありませんでした。

 

 13年前、富士ニュースを退職して市議会議員選挙に挑戦する際、寺に、ご挨拶にお伺いしています。

 インド・デリー大学への留学経験を有するご長男は日蓮宗系大学の教壇に立ち、寺はご次男が受け継ぎ、年齢的にも傘寿を迎える頃で悠々自適に過ごせる状況でしたが、ご上人から「頑張んなよ!」の激励を受け、そして、お上人は、こう続けました。

 

「私も、いましばらく頑張る。やり残していることがあるから」。

 

 その後、5、6年前、ロゼシアターで偶然、お会いしています。『日曜風流説法』のカットを担当していた市内の本蔵寺住職で日本画家の丸茂湛祥さんの個展の鑑賞に奥様と訪れたもので、足腰が弱くなっており、杖を使用されていました。

 それでも、冗談とも本音とも分からない、いつもの豪快、それを感じさせる声で「少しダイエットして足腰を強くしなくちゃね」。

 多分、本音だったと思っています。

 

 それが、ご上人から受けた最後の言葉、最後にお会いした場でした。

 

 ご逝去されたものの自分の記憶の中では、生き続けている。それが、ご上人から受けた、生涯の問い掛けである「人生とは…、命とは…」の回答、最大の教えだと思っています。 合掌

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