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巨星墜つ!、富士市行政と産業界の功労者、関政雄氏

 今月12日、富士市行政と産業界の発展に多大な功績を残した関政雄氏が亡くなられました。94歳でした。

 関氏は、私の恩人であり、人生の師と仰いできた方です。16日に通夜、そしてきょう17日に本葬が行われ、ご遺族の依頼を受け、ご霊前に弔辞を捧げてきました。

 プライベートな事ですが、多くの方に関政男氏、その人なり、功績を知ってほしい、その思いから弔辞の全文を以下に記させていただきます。

 

ブログIMG_1737.jpg

 

 

             弔辞

 

 突然の訃報に驚き、今だに亡くなられたことが信じられず、さらには、お歴々の方々がご参列するこの場で「私ごとき者が…」との戸惑いがありますが、ご遺族の意向を受け、令和2、2020年2月12日午後9時15分、入院先の聖隷富士病院で、奥様、ご家族、そして親しいご友人・知人に見送られ、黄泉の国に旅立たれた関政雄様のご霊前に向け、お別れの言葉を述べさせていただきます。

 

 地方行政と産業界に多大な功績を残された関さんと私が初めてお会いしたのは、富士ニュースの駆け出し記者だった昭和50年代前半、関さんは富士市役所のトップ職である企画調整部長でした。

 ローカル紙の駆け出し記者と市の部長、年齢も親子ほど違っていたものの取材には丁寧に応じて下さり、さらには気さくに声を掛けて下さり、あれこれ地方行政についてご教示して下さいました。

 

 40年余も前の事ですが、今でも鮮明に脳裏に刻まれています。そして、当時、思った、「関政雄さんという部長さんは、肩書や身分に関係なく、太陽が一様に光を届けるように、人と接し、人を大切にする方だ。人生の手本にしたい」、そんな思いも脳裏に刻まれています。

 

 その後の長いお付き合いでも、関さんの人柄は、私が初対面時に抱いた時と何一つ変わることはありませんでした。

 

 昭和55年、1980年に活躍の場を地方行政から産業界に移し、要請を受けて富士商工会議所の専務理事に就任。平成7年、1995年に退任するまでの間、産業界の発展に貢献され、その在任中には、商工会議所の新会館建設という内なる大事業を成し遂げ、さらには東海道新幹線の新富士駅設置運動と駅舎建設募金運動、国際友好都市・中国嘉興市に向けての環境保全の支援など商工会議所の機能を多面的に発揮され、商工会議所の存在意義の高さの社会的認知にも多大に貢献されました。

 

 関さんが専務理事在任の終盤に打ち出した豊かな潤いあるまちづくりへの提言書である『富士ルーバンシティ構想』や、商工会議所が仲介役を担った産学共同の都市開発調査研究機関の日本地域開発センターが発表した『マウント富士広域都市整備構想』は、近未来の富士地域のあるべき姿であり、今後も近未来図として耀きを放ち続ける、私は、そう確信しております。

 

 商工会議所の専務理事退任時、関さんは古希を迎えられましたが、以後もエネルギシュな人生を過ごし、吉原病院をリレーした聖隷富士病院の誕生に向けて関係方面との交渉役を担い、このほか高齢者施設の『みずほ園』や、すべての高齢者が心豊かに生きる社会づくりを目的としたNPO法人『ハイネット・富士』の役員を担うなど医療や高齢者福祉の向上に向けて活躍しておられました。

 

 私事で恐縮ですが、「海野さん、書くだけでは社会は動かない。如何なる相手でも堂々と意見を述べることが必要だ」と、モタモタしている私の尻をたたき、地方政治の場に押し出して下さったのも関さんで、後援会の会長も引き受けて下さいました。

 

 人生80年ではなく人生100年時代と言われる中、その先陣を切って歩まれ、今後も、まだまだ活躍して下さる、そう信じ切っていた中での突然のお別れでした。

 

 “巨星墜つ”、せめて、あと6年、100歳を迎えるまで活躍してほしかった。その思いが澎湃として湧き上がってきます。

 

自分を捨てて生き続け

みんなのために燃え尽きる

そういう人が、寂しく沈む、はずがない

 そんな思いも湧き上がってきます。

 

 昨夜の通夜、そして本日、告別の、この場にご臨席して下さった多くの方々も、私の思いと同じであり、ご臨席は、「関さんを、寂しく、沈ませはしない」、その思いの発露と受け止めています。

 

 お別れの時がきました。残された奥様、ご遺族の方々を、関さんが築いた無形の財産である友人、知人の皆様が支えてくれるはずです。

 

 安心して旅立って下さい。そして、風となり、光となって、このまちの、どこかで、私たちを見守って下さい。

 

 意を尽くしませんが、最後に、その願いを関さんに手向け、お別れの言葉、弔辞とさせていただきます。

 

「関政雄さん、さようなら、そして、ありがとう、ございました。合掌」

 

 令和2年2月17日  富士市議会議員  海野 庄三

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