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“障害者”という表現・表記の解釈についての私見

 5月27日にアップした『市民パワーで実現させたい、JR富士川駅のバリアフリー』と題した一文にМさんから、次のようなコメントが寄せられました。

 

 私は左下肢障害で手帳を持っています。

 そして、障害者というワードは嫌いです。

 ハンディであり、個性だと想っています。

 日本は残念ながら、偏見や色眼鏡で観られてしまうケースが多いです。

 健常者だけが、人ではないと想います。

 

 貴重なコメントと受け止め、障害者という表現・表記を通して福祉についての私見を、以下、記させていただきます。決してМさんへの反論ではありません。

 

 基本的に私もМさんと同じ思いで、障害者という表現・表記も嫌いで、「ハンディを有する人」という表現・表記を心掛けています。

 

 しかし、バリアフリー法の正式名称が「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」であり、また、国際連合が指定している国際年の一つにも「国際障害者年」(1981年指定)があり、このほか社会保障制度には「障害者年金」「障害者手帳」などがあり、障害者という用語は使用の自粛を求める差別用語や不快用語には位置付けられていません。

 

 ただ、“害”という文字の使用に対し、近年、「おかしい」「イメージが悪い」などから「障害者」を「障がい者」に置き換えて表記・表現する事例も登場しています。

 

 私が「障害者という表現・表記は嫌い」とするのは、そうした特定文字の使用ではなく、障害者は、軽重の差こそあれ、ほとんど人が対象になると思っているからです。

 障害者を「身体障害、知的障害、精神障害その他心身の機能の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」と定義した障害者雇用促進法や障害者手帳の対象にはならないものの、眼鏡や補聴器を使用しなければ社会生活が難しい人も広義的には障害のある人、つまり、障害者です。

 眼鏡使用が運転条件となっている私も障害者であり、ハンディを有していない人は、ごく一部に過ぎません。

 

ブログIMG_2315.jpg

 

 そんな思いを抱く中、長年、重度なハンディを有する人達の福祉施設に勤務されていたOさんに、私の思いをぶつけた際、「目から鱗が落ちる」ような、こんな意見、アドバイスを受けました。

 

「障害者という用語は法律や制度だけでなく日常にあふれているが、決して人それぞれが抱え込んだ身体や精神のハンディの状態を捉えたものではなく、抱え込んだハンディに立ち向かって生きようとする生きざまを捉えたもの。障害者はハンディへの挑戦者、そう認識すべきではないか」

 

 続けて…

 

「高齢者もしかり。高齢の状態を捉えたものでなく、人が避ければ通れない老いと闘う挑戦者と受け止めたい」

 

 さらに、続けて…

 

「そうした認識が社会全体に広がれば、障害者福祉、そして高齢者福祉も、すべての人にかかわる施策として前進するのではないか。水戸黄門の印籠のように権利を掲げ、連呼した結果、福祉施策に前進があっとしても、それは一過性の施策に過ぎず、財政難になれば切り捨てられてしまうのではないか」

 

 今回のМさんから寄せられたコメントを契機に、改めてOさんから受けた意見、アドバイスを胸に刻んでいます。

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