このモクレン、私が中学時代、もう半世紀以上も前、自宅改築時に母が植えたものです。
実家のモクレンです
実家は専業農家で、私が17歳、高校2年の時に亡くなった父は長く病床に臥し、働き手は母と兄達でした。そうした中で、農家ゆえの僅かな現金収入をコツコツと積み立てての老朽化した念願の自宅改築でした。
我が実家だけでなく当時の専業農家は、自給自足に向けて敷地内に各種の野菜を栽培。樹木も食料確保に向けてのミカン、ビワ、お茶、柿など。我が家には、確かイチジクもありました。
そんな中で母が自宅改築時、鑑賞花木のモクレンの苗木を買い求め、門の脇に植えたのは自分へのご褒美だったのかしれません。
植栽から半世紀を経過。そして、母が亡くなって、すでに35年、実家は10数年前に長兄が改築していますが、母のモクレンは枯れることなく、移植することもなく、長兄夫妻が、しっかりと管理していることから、毎年、同じ場所で咲き続けています。
高さこそ電線に架からないように剪定していることから、昔と、さほど変わりないものの、幹の太さに長い樹齢が示され、樹勢も旺盛。道路に面していることもあって満開時には鑑賞に訪れる方もいるようです。
今年も満開です
満開のモクレンからは、「歴史の教科書や郷土史書に載らなくても人は何かを遺せる」の母のメッセージも伝わってきます。
古稀を過ぎ、残された人生、それほど長くはない年齢となったものの「自分は、この世に何が遺せるか。それを考えねば…」と思う今年の彼岸です。
この写真は母とモクレンです。もう40年ほど前に撮影したものです。
]]>お出掛けシーズンの、この時期、富士市もイベントが相次ぎ、所在区の鷹岡地区ではまちづくりイベントの「さくら祭り」が開かれるほか、知人から、あれこれイベントの招待状が舞い込んでいます。招待状への感謝の思いを込め、以下、ご紹介します。
※『富士市少年少女合唱団の春のコンサート
富士市を活動拠点とする富士市少年少女合唱団の定期公演である『春のコンサート』が3月31日(日)にロゼシアターの中ホールで…。開演午後2時。指揮は辻村典枝さんと辻村美保さん、ピアノ伴奏は佐野晶子さん。
入場無料。ただし、入場整理券が必要。
主催は富士市。問い合わせは担当課の市民部文化スポーツ課(?0545-55-2874)。
※『呼吸すること』
富士市在住の彫刻家、漆畑勇司さんの企画イベント『呼吸すること』が4月1日(月)から同7日(日)まで、富士市大淵9609―3、漆畑大淵アトリエで…。午前10時から午後6時まで。
「今までの創作活動や芸術文化活動を思い返してみました。その結果、気づいたことは常に呼吸を整えていたことでした。呼吸することは、自然のことで考えることもありませんが、最も大切なことです。どんな時も呼吸を整えることで心が穏やかになります。飲み物を片手に呼吸を整えていただける空間になれば幸いです。まずは私が呼吸を整えてお待ちしております」と漆畑さん。
問い合わせは漆畑さんが主宰する富士美術研究所(?0545−63−2424)。
※『鷹岡地区さくら祭り』
鷹岡地区まちづくり協議会のまちづくりイベント『鷹岡地区さくら祭り』が4月6日(土)に地区内の桜花の名所、富士西公園で…。午前9時から午後2時まで。雨天時は翌7日(日)に順延。
今年で36回目。メインは午前9時に会場に向けてまちづくりセンターを出発する曽我兄弟武者行列。ステージ部門もあり、24店舗が予定されている模擬店も…。
問い合わせは鷹岡まちづくりセンター(?0545−71−3215)。
※『書道の由源静岡展』
書道研究の静岡県由源の会の定期展『由源静岡展』が4月12日(金)から同14日(日)までロゼシアターの展示室で…。午前9時から午後5時。ただし初日12日は正午から、最終日14日は午後3時まで。鑑賞は無料。
問い合わせは事務局の鈴木さん(?090-1981−8713)。
※『マジック発表会』
富士マジッククラブ(鈴木ます江会長)の『マジック発表会』が5月3日(金・祝日)にロゼシアターの中ホールで…。午後1時30分から同3時30分まで。鑑賞は無料。
問い合わせは事務局の藤島さん(?0545−63−0329)。
富士市が主催、富士市文化連盟が企画運営する第56回富士市総合文化祭・春祭の一環としての開催で、マジックの発表会のほか春祭では4月21日(日)から6月2日(日)までの間、文化連盟に所属する能楽、詩吟、朗読、日本舞踊、邦楽、音楽、大正琴、民踊、ジャズ&ポップス、ハンドベル、コーラスなどのステージが繰り広げられる予定です。
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今年も招待状が届き、開催2日目の、きょう15日午後、会場へ。
富士の型染の皆さんとは記者時代に取材を通して知り合い、その後、市議に転身、昨年4月に市議引退後も変わりなく届いた招待状に、ただただ感激、そして会場で歓迎して下さった会員の皆さんに感謝多々です。
会場入口の来場歓迎看板です
展示会場です
型染は、日本古来の染色法の一つ。富士市では小山もと子さん(故人)が昭和26年(1951年)に国画会会員だった後藤清吉郎さん(故人)の手ほどきを受け、その第一歩を踏み出しています。
以後、市の成人学校を土台に愛好者の輪が広がり、グループを構成して創作活動に取り組む中、グループ合同の定期展に取り組み、さらに高校や市立博物館工芸教室を会場とした型染教室などでベテラン会員が指導者となって染める喜びの輪も広げてきました。
台所を工房にし、「染料も身近な植物から…」を創作の基本とする中、定期的な学習会で染める歓びを分かち合いながら文化の生活化を図り、さらに、富士山のような、おおらかな図柄と色彩を打ち出した作品は〃富士の型染〃という固有名詞で呼ばれるほど市内外に知られる芸術文化に成長、創始者の小山さんは平成13年(2001年)に逝去したものの、小山さん亡き後も会員の皆さんが確かな歩みを続けています。
現在、開催中の定期展であるグループ合同展は、今回が57回展で、テーマは『染めるよろこび 集うたのしさ』。会場には、青藍、渋木、七彩、藤壺、萌黄、山吹の6グループの39人から出品された100点を超える近作が展示されています。
着物や帯などの大作のほか、タピストリーや富士山をテーマにした染額や年賀状なども。
タピストリー作品も…
富士山をテーマにした染額コーナーです
桂田代表と、出品作品です
創始者の小山さんの遺作コーナーで…
このほか、会員が講師を担っている県立富岳高校生活部や富士山かぐや姫ミュージアム(市立博物館)の工芸室で開いている令和5年度の富士の型染教室の生徒作品も展示。「富士の型染とは…」の紹介コーナーも。
富岳高校生活部の作品コーナーです
富士の型染教室の教室生作品コーナーです
この富士の型染展の開催は今月18日(月)まで。午前10時から午後5時(最終日18日は午後3時まで)。
小物類を中心にした文化振興基金などへの寄付を目的にしたチャリティーバザーも併設。さらに、16日(土)と17日(日)には「富士の型染とは…」を伝える実演も。両日とも午前10時から正午までと、午後1時から午後3時までの二回。
鑑賞は無料です。
小物類販売のチャリティーコーナーです
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発生から13年目の、きょう3月11日、テレビ各局はトップニュースで発生時刻に合わせて行われた東北各地の被犠牲者追悼式を伝えました。
テレビ画面から流れる津波被害を中心とした13年前の被災状況や、人口減少や震災を知らない世代への継承といった課題に直面する中で復興の誓いを新たにする追悼式の状況にふれる中、「公務で被災現地を視察した者の責務として、市議引退後の今後も『東日本大震災とは…』の語り部となり、防災意識の向上に努めたい」と胸に刻んでいます。
「忘れまい、東日本大震災からの教訓!」です。
現地視察は、富士市議会議員時代の所属会派の自主研修で取り組んだもので、2回、訪れています。
被災現地で…
1回目は、発生から4カ月後の2011年7月13日から同14日の二日間、2回目は発生から2年5カ月後の2013年8月26日から同28日の三日間です。
1回目の視察は、発生から4カ月目で、地元の三陸鉄道が鉄道復興の資金確保も絡め「地理を熟知している地元企業の責務として被災地の案内役を」と打ち出した「被災地フロントライン研修」に参加しての視察、移動はマイクロバスでした。
岩手県下の被災地である陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市、浄土ケ浜などの被災状況を把握、悲しみを乗り越え、復興に動き出した被災者の声も受け止めてきました。
この写真の建物は津波に襲われ、町長をはじめ多くの職員が犠牲になった大槌町の役場です
悲惨な状況でした
2年5カ月後の2回目の視察は、1回目と、ほぼ同じコースをレンタカーで回り、どのように復興事業が進んでいるのか、さらに大槌町などを訪問して復興事業における課題も把握しています。
これら現地視察の成果は、報告書にまとめたほか、一般質問で取り上げ、富士市の防災対策・減災対策の強化を求めています。
計2回の視察で最も印象的で、「富士市の戒めにしなくては…」と思ったのは宮古市の田老地区の防潮堤でした。
田老地区は、入江形態の場所にあり、過去の津波被害から地区全体に高さ10?の長大な防潮堤が築かれ、この防潮堤は「日本の万里の長城」と呼ばれていました。
東日本大震災の津波情報を受けた地元民の中には、津波見学で防潮堤を訪れる人も多かったといいます。
ところが、襲来した津波の高さ(遡上高)は、国内最大級の37・9?に達し、当然、防潮堤を乗り越え、甚大な被害が出ています。
2回の視察の際、ガイドの女性は、「防潮堤のかさ上げ工事に取り組んでいますが、津波からの被害を避けるためには、高台に逃げる避難の重要性を再認識、避難路の整備にも取り組むべきだと私は思う」と話されていました。
これは、富士市にとって貴重な箴言といえそうです。
富士市には、東海道五十三次の14番目の宿場である吉原宿(よしわらじゅく)があり、かつてはJR吉原駅付近(元吉原)にあったものが1639年(寛永16年)の高潮で壊滅的な被害を受けたことから内陸部の依田原付近(中吉原)に移転。
ところが1680年(延宝8年)の高潮で再び壊滅的な被害を受け、さらに内陸部の現在の吉原本町付近に移転しています。
つまり、吉原宿は、高潮イコール津波で2度も宿場全体が移転しているわけです。
現在、駿河湾の田子・元吉原の海岸線には、「日本一高い」とされる防潮堤が築かれていますが、宮古市の田老地区で示された津波の怖さを戒めとし、さらには津波を完全には遮断できない田子の浦港を有することも踏まえ、すべての人が「いざ!」という時に実践に移せる避難行動の確立を図りたいものです。
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早朝に月1回の地域公園の清掃に参加。1時間程度で終了した後、鷹岡まちづくセンターに向かい保護司業務の面接相談。続いて岩松まちづくりセンターで開かれた『日中ふれあい交流料理教室』に参加。午後には富士川ふれあいホールに出向き、富士市国際交流協会主催の『日本語スピーチコンテスト』に“拍手隊”として参加。
どうにか、この日のスケジュールをこなし、今、パソコンに向かっていますが、「役職を仰せつかり、何かすることがあることは、ありがたいことだ」とは思うものの、「いつまでできるか」の不安も抱いています。
さて、このブログ&フェイスブックでは、きょうのメイン行事だった『日中ふれあい交流料理教室』をお届けします。
富士市日中交流協会が取り組んでいる事業の1つで、由あって協会の会長を仰せつかっていることから「挨拶に…」と出掛けた次第。
これまで日本人メンバーが担当しての餅つきを組み込んだ大福餅作りなどに取り組んでいますが、今回は中国人メンバーの担当によるシャーピン作りでした。
シャーピンは中国語で記すと“餡餅”。肉と野菜の餡を小麦粉の生地で包み、平たく伸ばして油で焼いた餅。「中国の、ごく一般的な家庭料理」とのことです。
会場の岩松まちづくりセンターの料理室に到着した時点では、ほぼ完成しており、参加者を前に協会会長として一言、挨拶を述べ、この後、記念撮影。「プリントアウトして総会時に皆さんに配ります」と約束してきました。
調理中です
手作りのレシピも配布
片付け作業です
教室開催の記念撮影です
帰り際、指導の中心を担った中国人女性から「会長さん、どうぞ!」と、焼きあがった「シャーピン」を差し出されました。
まちづくりセンター内での飲食は禁止されていることから、この日、作った「シャーピン」は持ち帰りとなっており、差し出された「シャーピン」は、その方の持ち帰り分であることが判然とし、少々、戸惑ったのですが、好意を素直に受け入れてきました。
その際、「食べる直前に電子レンジで温め下さい」と言われたことから、このパソコン作業を終了した後、温め、食する予定です。
味は、もちろん「最高!」と思っています。
]]>由あって市議会議員時代、新体操協会の会長職を仰せつかっており、昨年4月の議員退任と共に会長職も辞任したのですが、それでも届いた案内状とプログラム、ただただ感謝・感激。「ありがたいことだ」との思いから多くの方が来場されることを願って「R.G.C.富士とは…」と「第25回演技発表会」の内容を、ここに記します。
プログラムの表紙です
R.G.C.富士は、協会の主力団体で、新体操経験者が社会体育の面から指導を担い、小学校体育館や公共体育館などを練習会場に富士南、富士第一、岩松北、富士見台、富士宮の5つの教室、さらに選手コース教室も開き、これまで富士市に新体操の輪を広げ、多くの優秀選手を輩出しています。
一方、演技発表会は、1年間の練習成果を教室生が、送迎などを担っている保護者の皆さんなどに返礼を込めて披露、併せて体操とダンスを組み合わせた芸術性の高いスポーツである「新体操とは…」を紹介することにより、競技人口の広がりも目指しての取り組みです。
25回目となる9日の演技発表会は2構成で、第1部が午前10時30分から同11時45分まで、第2部が午後1時45分から同3時15分まで。
第1部は選手コースのスターリスの発表、第2部は教室別の発表とし、ラストでは出場者全員で25周年記念の『いただきへのはじまり』と題した創作ダンスを披露することになっています。
このほか、第1部には、新体操協会の加盟団体であるKURARAと県立吉原高校新体操部が賛助出演して演技を披露。
さらに、招待選手の日本女子大学所属の菊池翔さんや東海大会に出場した嶋村美燿さんの模範演技、佐野香帆さんと鈴木梨奈さんの卒業セレモニー演技も予定。
菊池さんと嶋村さんは第2部の冒頭でも演技を披露し、発表会を盛り上げることになっています。
問い合わせは代表の寺田さん(?090-8131−1951)。
(※) 以下にアップした演技写真は、送られてきたプログラムに掲載されていたものです。撮影者は新体操協会サポーターカメラマンの藤原英修さんです。
模範演技を披露する菊池翔さん
模範演技を披露する嶋村美燿さん
卒業セレモニー演技を披露する佐野香帆さん
卒業セレモニー演技を披露する鈴木梨奈さん
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現在、2月15日(木)から3月22日(金)を会期とした2月定例会中で、先日、議員個々の発言権・質問権の行使の場である新年度市長方針に対する代表質問と一般質問の通告が締め切られ、その通告順と質問要旨が市議会のウェブサイトにアップされていました。
論戦が行われる富士市議会の本会議場とウェブサイトに掲載されている日別の登壇者と質問要旨をアップしました。
富士市議会の本会議場です
通告者数は28人。その28人中、昨年4月の任期満了に伴う改選で初当選した新人が9人。これは新人全員で、改選以降の6月、9月、11月の定例会の一般質問も新人全員が通告、登壇しており、パーフェクト登壇が続くことになります。
年4回開かれる定例会中、新年度予算を審議、採決することから“予算議会”とも呼ばれる2月定例会は一般質問のほか会派代表による新年度市長方針に対する代表質問も行わることから、これまでにも定例会対比で通告者は多かったものの、28人は記憶にある限り最多です。
富士市議会の議員定数は32人で、うち議事進行の議長と議長代理役の副議長は暗黙の規範で通告、登壇を自粛するため、実質的には30人中、28人が通告。通告率は93.3%です。
「回数だけでなく質問の中身も大事」という声も聞かれますが、いずれにせよ、「新人議員の頑張りが市議会全体の活性化に連動している」といえるかもしれません。
論戦は、3月5日(火)から11日(月)の間、土、日を除く5日間にわたって行われます。本会議の開会時間は各日とも午前10時。1人の持ち時間は当局答弁を含めて1時間となっています。
論戦が行われる富士市議会の本会議場とウェブサイトに掲載されている日別の登壇者と質問要旨をアップしました。
本会議場で行われる論戦は、傍聴が可能で、傍聴席入口は市庁舎⒑階ですが、市議会のウェブサイトでも論戦が生中継と録画中継で伝えることになっています。
「市政・市議会の論戦を1人でも多くの方が傍聴、関心を寄せることは市勢発展に連動する」、それを信じ、願い、以下に富士市議会のウェブサイトアドレスを記します。
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/page/fmervo000000w5d3.html
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午前中、所用があって鷹岡まちづくりセンターへ。その帰路、自宅近くの富士山眺望スポットへ。予想通り5合目あたりまで冠雪の麗姿。「これぞ郷土の誇りの富士山だ」を改めて実感しました。
この自分なりの富士山眺望スポット、機会あるごとに訪れています。富士山と対面することにより、気分がスッキリするためです。
古稀を過ぎ、年齢的には下り坂で、体力の低下を実感していますが、気持ちだけは富士山のように気高く、自分なりに何ができるか、何をすべきかを見詰め、実践する日々を…と胸に刻んだ富士山との対面でした。
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市民プロデュース講座として企画されたもので、主催は富士市教育委員会。26日を初日に3月4日、11日、18日と4回シリーズで開かれることになっています。
熱く語る庄司さんです
庄司さんは、自動車販売会社の営業の傍ら写真を撮り続け、退職後、プロの写真家に…。国内外で後世に残したい風景・情景を捉える写真活動を続ける中、2011年3月11日に発生した東日本大震災の直後、現地入り。これが写真家からフォトジャーナリストへの転機となりました。
津波被害を中心とした大震災の惨状を撮り続ける中では、現地の子供たちに使い切りカメラを配布して写真を撮ってもらい、そこから見えてきたのは、いかなる境遇に追いやられても感謝の思いと希望を失わない子供たちの姿でした。
そうした写真家活動を重ねる中では、感じた思いを執筆して著書『「写ルン」で撮った平和』(毎日新聞社)を発行すると共にメディアに投稿を重ね、いつしかフォトジャーナリストと呼ばれるようになっています。
今回の4回シリーズの講座は、これまでの活動の集大成に位置付けたもので、写真と映像を組み合わせながら大震災という深い悲しみを経験しながらも前を向き、生きる人々の姿を伝えていくことになっています。
庄司さんは、前々職のローカル紙の記者時代に知り合い、前職の市議会議員時代にもお付き合いをさせていただきました。
私は昨年4月末をもって市議を退任させていただきましたが、昨年末、庄司さんから今回の講座の案内が届きました。
「すでに終わった人、過去の人」にも届いた案内状に感激しての今回の講座の受講。生き生きと伝えたいことを熱く語る庄司さんの姿に感激。その一方では「自分は何を遺すことができるのだろうか」、そんな忸怩たる思いも抱いています。
会場には写真展も併設されていました
]]>きょう23日が初日で、期間は3月20日(祝・水)まで。午前9時30分から午後5時(入館は午後4時30分まで)。ただし、毎週月曜日は休館日。鑑賞は無料。作品展示のほか作品集やポストカードなどを販売しています。
作品展会場入口で…
会場で…
近藤さんは南部町出身者で、富士高から茨城大に進み、大学時代は写真部に所属。その大学時代、学生運動とは対極的な青春群像であったヒッピーをテーマにした撮影活動を続け、そんなことから大学には6年間在籍。
で、私より2歳年上であったもののUターンしての富士ニュースへの入社は、ほぼ同時期でした。
カメラマン志望であったものの蒲柳体質のローカル紙ゆえ人員面にゆとりはなく、記者兼カメラマンとしの活動に取り組み、主に経済面や富士宮地区を担当していました。加えて印刷業務のデジタル化でも中心的な役割を担っています。
記者30年を経過した50代半ば、お子さんが社会人になったことや、担当していた印刷業務のデジタル化が完結したことなどから「退職して、抱き続けているフリーカメラマンを目指したい」と会社側に申し出ています。
以後、20年余、近藤さんは世界を飛び回って写真撮影を重ね、写真集を発刊するとともに個展を開催。その中ではプロであることから注文に応じる撮影活動も続けています。
私は近藤さん退職後、地方議員の道に進み、転じた道は違うものの、あれこれとお付き合いをいただき、個展開催時には必ず案内状が届き、鑑賞させてもらっています。
今回の個展、「冬のパリ」&「貌(かお)〜川・水・森・岩・海〜」はモノクロが中心。多色を排することによって作品からは撮影者の狙いや思いがストレートに伝わってきます。
会場を訪れた時間帯、近藤さんは来場者に撮影意図や狙いを伝えるトークセッション中で、じっくりと言葉を交わすことが出来ず、次の予定があったことから今回展の作品集(A4版、1500円)を購入して帰路に…。
作品を説明する近藤さん(右)
これまでの作品集も展示
帰宅後、その作品集を手にして、存在証明を遺すことの素晴らしさを感じていますが、同時に、「俺は何を遺すことができたか、今後、できるのか…」の思いが澎湃(ほうはい)として湧き上がり、少しばかりナーバスな境地に陥っています。
]]>富士市の保護司会を構成する鷹岡、丘、大淵、伝法の4支部は、17日、18日に1泊2日の日程で合同研修会を開きました。会場は、同市大渕の常葉大学富士キャンパスを再活用した複合型スポーツホテルであるエスプラットフジスパークです。自分、海野庄三は、鷹岡支部の一員として参加しました。
エスプラットフジスパークです。正面から撮影
保護司は、保護司法や更生保護法に基づき、非行や犯罪に陥った人の社会復帰や社会参加のサポートが主な業務。身分は法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員ですが、報酬はなく、事実上、ボランティアで業務を担っています。
富士市では、現在、人口割合から108人が保護司の委嘱を受けており、厄介なケースも多いことから定期的に研修会に取り組んでおり、こうした中での宿泊を兼ねた今回の4支部合同の研修会は、保護司間の情報や意見交換も兼ねての取り組みです。
毎年、支部持ち割りで企画、今回は自分が所属する鷹岡支部担当での開催で、宿泊を兼ねた合同研修会はコロナ禍により中断を余儀なくされており、今回は4年ぶりの開催、参加は20人余でした。
研修会のメインは、鷹岡支部の鍋田悟支部長による講演で、鍋田支部長は法務省の保護統計・白書統計のデータを紐解きながら青少年の立ち直りや薬物事犯者の特徴、非行少年・犯罪者の生活意識と価値観などを1時間にわたって解説、保護司間の情報や意見交換では、それぞれの担当事例をもとに適切なアドバイスの在り方を見詰め、今後の保護司業務に取り組む上で得ること大なりの研修でした。
研修会で…
行使を担った鷹岡支部の鍋田支部長です
一方、合同研修会の会場であるエスプラットフジスパークは、富士市が用地を無償貸与するなどして誘致した常葉大学の富士キャンパスが移転した後、市が用地と施設の再活用を目指し各方面にアプローチ。その結果、御殿場市でリゾート施設を経営する「時之栖(ときのすみか)」が名乗りを上げ、リニューアルして3年半前の2020年9月にオープンさせた複合型のスポーツホテルです。再活用に投じた費用は15億円程度と言われています。
隣接する総合運動公園には、総額100憶円余を投じる総合体育館が建設中で来年4月にオープンすることになっており、今後、スポーツ合宿をメインとするエスプラットフジスパークや、来春誕生する総合体育館を軸にしてスポーツを通しての富士市の活性化が期待されています。
スポーツ合宿だけでなく、「会議室も完備、各種研修会にも対応できる」と聞いていたので、4支部合同研修の会場選定も担う鷹岡支部では、今回、料金面も踏まえ初めて会場とさせていただきました。
利用所感は、目的が合同研修のため、何ら支障はありませんでしたが、食事はセルフで、温泉地のホテル感覚では不満が出るかもしれません。
エスプラットフジスパークの案内パンフです
富士市も外国人登録者が確実に増加し、国際化への対応が強く求められる中、市と市国際交流協会がスクラムを組んで「心通い合う多文化共生のまち・ふじ」の実現を目指しての取り組み。
自分、海野庄三が会長職を仰せつかっている富士市日中友好協会も参加、国際色に染まる会場で写真パネルの展示などで友好事業の取り組みを伝えてきました。
開会式では小長井義正市長があいさつ
会場のステージでは、着物のファッションショーをはじめ民族楽器の演奏やお国自慢の舞踊などが繰り広げられ、日中友好協会も展示に加えてステージ部門にも女性陣が参加、現代中国舞踊や中国歌謡を届けました。
日中友好協会の女性陣による現代中国舞踊です
会場に設けられたブースでは、参加団体がパネル展示などで母国を紹介したほか、友好団体が活動を紹介。さらに、書道や茶道などの日本文化の体験コーナーも設けられ、着物のファッションショーに向けての着物の着付け体験では開始前から「一度、着物を着てみたい」という外国人の方々が長蛇の列を成していました。
参加団体がパネルなどで活動を紹介
書道など日本文化の体験も…
着物のファッションショーです
民族雑貨の販売、屋外では世界各国の料理の実演販売も行われましたが、小雨が降り続き、加えて立春を迎えながら真冬の寒さとあって屋外での料理の実演販売の売れ行きはいま一つのようでした。
今年は、ラストに、コロナ禍で中止していた豆まきを復活、『鬼は外、福は内』の掛け声とともに小袋に入れた豆がまかれると、大歓声があがり、フェスタの締めくくりに相応しい情景が広がりました。
フェアの締めくくりの豆まきです
前日も設営準備で出動。高齢ということもあって、かなりシンドイ2日間でしたが、富士市の外国人登録者は59か国、6,700人余を数え、人口比率は2.7%。今後も国際化が進み、富士市の外国人登録者の増加も見こまれるだけに、「国家間の論戦は戦争に向かう不安が付きまとうが、国民サイドからの友好事業は平和への道に繋がる」を胸に刻んで今後も自分なりに協会事業に取り組んいきます。
日中友好協会のブースで…
]]>今月7日(水)まで。10:00〜17:00。最終日の7日は12:00まで。鑑賞は無料です。
中川さんは、ご両親が経営する割烹旅館を手伝いながら独特の毛筆体の詩を創作。その作品は、『困ったもんだ。こまらなきゃ気づけない』『頑固を捨てれば楽だろうな。だけど私じゃ無くなるなあ』など生きていく中で出会い、揺れる心を表現したもの。
一方、太田さんは幼少期に病気で車椅子使用となる中、絵を描くことに生きる貴さを見出した作家。メルヘンタッチの色彩の中に強烈なメッセージを発する人物などを描き出しています。
2人が個々に活動、それぞれ詩人、画家としての実績を築き、互いの個展を鑑賞する中、周囲の勧めもあって「共同作品を」となり、中川さんの詩に太田さんが絵画を添える共著『車いすに2人乗り〜太田画伯と、私〜』が昨年10月に出版されました。
実は、中川さんのお母さんは煎茶道家でもあり、私の同居人(妻です)の茶道の先生。加えて画家の太田さんは私がローカル紙の記者時代に取材を通して面識があり、そんなことから共著の出版記念原画展の初日に同居人と鑑賞に行ってきました。
会場には、共著『車いすに2人乗り〜太田画伯と、私〜』に掲載した100点のうち60点の原画を展示。難解な作品もある中川さんの詩が太田さんの絵画により、詩に込めたメッセージが強烈に伝わってきました。
文学的に記せば、35歳で没した著名な作家、芥川龍之介の辞世の言葉、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」を詩と絵画で具現化、さらに、作品群からは、以前、講演で聞いた作家、五木寛之の主張、「人は、夢や希望を軽々に口にするが、幾つになっても、肩を落とし、ため息をつきながらトボトボと歩き続ける、それが人間ではないか」にも通じる、そんな事を感じています。
原画展の会場です
会場には収録作品の原画のほか、中川さん、太田さんの個人作品コーナーも併設してあり、もちろん共著や、中川さんの作品をモチーフにしたトレーナー、タオルなどのグッズ販売も…。
いずれにせよ、オススメ展示会です。
中川さんの個人作品コーナー
太田さんの個人作品コーナー
共著やグッズの販売コーナーです
]]>自分、海野庄三が所属する鷹岡支部(鍋田悟支部長)では、担当区域である鷹岡地区と天間地区のまちづくりセンターに月間を周知、追放を呼び掛けるスローガンを記した横断幕やのぼり旗を掲示しました。
富士市は、薬物事犯の犯罪が多く、令和4年一年間の富士警察署管内における覚せい剤取締法違反の検挙者は17人となっています。
年ベースでは減少傾向(過去8年間の最多は平成28年の40人)を示すも、令和4年の検挙者数17人は県下28の警察中で最多。覚せい剤以外でも大麻取締法違反で14人、毒劇法違反で1人の検挙者がいました。
薬物乱用防止月間の設定や、周知活動とする横断幕やのぼり旗の掲示は、違法薬物が「非社会的集団の資金源」とされることも踏まえての由々しき現状への対応策の1つです。
横断幕やのぼり旗には、保護司のイメージカラーである黄色の素地に黒色で『ダメ。ゼッタイ!!』と記したスローガンのほか『麻薬・覚せい剤・大麻・シンナー等薬物の乱用をなくそう』、それに『富士地区保護司会』が記されています。
鷹岡支部からは自分を含め6人の保護司が出動、鷹岡、天間の両まちづくりセンターの外構壁面に横断幕、外構フェンスにのぼり旗を取り付けました。
ここ数年、自分の担当ケースのほとんどが薬物乱用関係なだけに、「横断幕やのぼり旗を掲示により、少しでも乱用抑止の成果が…」と期待しているのですが…。
保護司会鷹岡支部のメンバーです
アップした写真の撮影場所は鷹岡まちづくりセンターです
]]>冒頭にアップした富士山の動画は、面会の待ち合わせの時間調整のため消防庁舎7階から撮影したものです。
この時期の晴れた日の富士山、何十年も見慣れた情景ですが、改めて、富士市に生まれ、富士市で暮らすことのありがたさ、そんなことを感じました。
子ども未来課での要件を済ませた後に出向いた庁舎2階で開催中の「まちづくり展」は、市内26地区の、それぞれの特色を持ったまちづくり活動を伝える「まちづくり行動計画」や「まちづくり新聞」などをパネル展示で紹介したものです。
毎年開き、本年度は、1月17日を初日に、市役所が閉庁となる土、日を除く1月30日まで開催。時間は8時30分から17時00分。
各地区とも地域特性にも視点を当てたまちづくり活動が繰り広げられており、所在区(鷹岡地区)のまちづくり協議会の役員を仰せつかっている者として興味津々、大変、勉強になりました。
この「まちづくり展」、展示に向けての担当課の熱意も伝わってきましたが、開催目的からして、より多くの市民の皆さんの目にふれることが重要。であるならば、半年くらいかけて各地区のまちづくりセンターで巡回開催してほしい、そんな思いを強く抱いています。
]]>なるほど、きょう20日は小雨降りしきる、「お〜寒」の一日となっています。
さて、近年、地球温暖化、最近では地球沸騰化ともいわれますが、実は一週間前、所用があって岩松の実家に出向いた際、市の南西部に位置する標高193m余の丘陵地を利用した自然公園の岩本山公園に立ち寄ってきました。
「地球温暖化の影響を受けて梅が開花したのでは…」と思っての公園行きで、あれこれ公園内を散策。まだ、梅の開花はありませんでしたが、しばし、青少年時代の思い出に浸り、新たな発見、感動もありました。
公園紹介図です
今でこそ岩本山公園は、道路や駐車場が整備され、車で出向くことも容易となり、公園内には「ちびっこ展望台」や「パノラマ展望台」「張出し展望デッキ」の3つの展望施設をはじめ芝生大広場が整備され、さらにカフェや自然植生をいかしたさまざまな樹木が植栽され、富士市を代表する公園の1つとなっています。
しかし、私が小中学校時代は、麓の実相時から徒歩で出向くのが一般的で、頂上付近に展望台が一つあっただけ。
中学時代に所属していた陸上競技部の冬場の練習は、学校から実相寺を経由して岩本山の展望台を往復するのが定番で、先輩の監視の目があり、のどかな、自然満喫の楽しい公園とは、ほど遠い存在でした。
久々に訪れた岩本山公園、かつての鉄骨丸出しの展望台は改築され、おしゃれな「ちびっこ展望台」と命名されていました。
懐かしさの思いを抱いて登ると、眼下に富士市の街並みや駿河湾が広がり、俯瞰する情景は昔のままでした。
「ちびっこ展望台」です
展望台から俯瞰した景色です
滞在は他の用事があって短時間、駐車場に戻る途中、バラ園があり、なんと、しっかりと開花、風に揺れていました。
公園に植栽されているバラの開花時期は5月と10月で、そのうち10月に咲いたバラが寒さに負けずに花びらを落とさず、この時期も咲いていた…というもので、その健気な姿は人生の終盤ゾーンに突入したわが身にぐサリときました。
森羅万象、我が人生の“師”といったところです。
公園内には、公園に植栽されている植物の開花時期を伝える掲示板もありましたので、以下に記します。
・ウメ…2月から3月上旬
・サクラ…3月下旬から4月上旬
・野生ツツジ…3月から5月上旬
・モモ…3月中旬から4月上旬
・シャクナゲ…5月中旬から6月中
・アジサイ…5月下旬から7月上旬
・バラ…5月と10月
・ロウバイ…12月下旬から2月下旬
以下は公園写真です
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15日に開かれた市議会新病院建設特別委員会で当局が計画案を示し、特別委が当局方針を基本的に了承したもので、計画案のポイントは、その建設地。
中央病院は、地域の基幹病院で、老朽化への対応などを理由に新病院の建設を目指しており、現在地から3?以内で3万平方?以上の用地を条件にした候補地として現在地での建て替えのほか、中央公園(永田町)、ふじさんめっせ(柳島)、広見公園(伝法)の公共用地4カ所と、香西新田周辺地域の民有地1カ所の計5か所をあげていました。
その中から「ここに…」としたのが現在地。建設工事が入院や通院の利用者がいる中で行われることから騒音や振動、さらに駐車場に新病院を建設することから建設中の駐車場不足などの課題があるものの、建設そのものへの課題はないことからスケジュール的にも優位。
現在地で建て替えることから、当初、新病院の開院は2035年度としていたものが4年前倒しで2031年度としています。
小長井義正市長は、「1年でも早く新病院を実現させたい」としており、その意向を実らせることになります。
記事によれば、概算想定事業費は「325億円」です。
富士市では、2020年10月に広見地区から青葉台地区への移転改築による新環境クリーンセンターが誕生、続いて大渕の総合運動公園内に建設中の総合体育館が2025年4月に誕生します。
新病院は、これらに続くビック事業です。
現在の中央病院は、1984年に本市場から規模を拡大して移転改築したもので、その後、増築工事にも取り組み、現在のベッド数は520床、診療科目は27科を数えています。
冒頭の「複雑な思いで…」は、新病院建設の最大理由が「老朽化への対応」とするものの、現在の中央病院は築40年、新病院が誕生するであろう2031年時においても築47年です。
加えて外壁が風雨に強く、劣化を感じさせないレンガ風タイル張りということもあって「改築は早いのでは…」、そんな思いがあるからです。
もちろん、公共建築物には、省令が定める、それぞれの耐用年数があり、加えて病院という建築物の特殊性として一般的な公共建築物に比べて24時間稼働、日進月歩の医療機器への対応も必要という点もありますが、いずれにせよ、スタートを切った新病院建設は耐震面を中心とした建築技術を駆使して未来永劫に残る建築物になることを一市民として願っています。
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間もなく着火です
「どんどん焼き」は、正月飾りや門松、書き初めなどを燃やし、その火で木の棒の先に付けた団子を焼いて食べ、無病息災を祈念する行事。そのルーツは、平安時代の宮中行事とされ、正月の締めくくり行事でもあり、15日の夜に行われていました。
が、富士市内では開催の都合上、土、日の昼間に行う地区が多く、厚原西区でも15日前の土曜日に開催、悪天時に向けて翌日の日曜日を予備日としています。
で、今年の開催日は13日の土曜日でした。
区とこども会が協調しての取り組みで、これに消防団や自主防災会もサポート。着火は午後1時で、親子連れを中心に多くの参加があり、会場には笑顔が交差していました。
途中から風が強くなりましたが、素早く消防団の皆さんが公園を囲む樹木にホースで散水して舞い上がる火の粉による火災不安を解消、「さすが消防団」です。
消防団(第23分団)の皆さんです
着火から消火まで2時間半の正月締めくくり行事、「時代は移り、開催スタイルは変わっても、この良き伝統が未来永劫に続いてほしい」の思いが募りました。
どんなに近代科学が発達しても、伝統祭事に込められた「祈り」といった部分は近代科学が及ばない分野であり、未来永劫に受け継がれていくべきものだと思っています。
会場で…
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アップした新聞紙面は購読紙(静岡新聞3日付)
しかし、です。
「天災は忘れた頃にやってくる」とされてきましたが、天災の代表的な自然現象である地震について日本では、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災を象徴的に巨大地震が相次いでいます。
で、天災(巨大地震)からの教訓として防災の強化が強く求められています。
という中、所在区の富士市鷹岡まちづくり協議会の防災部会では、「防災強化に向けては、地震とは…を知り、発生後の行動や避難所の運営を習得しておく必要がある」として2018年(平成30年)に避難所運営マニュアルを策定し、そのダイジェスト版を地区全世帯に配布しています。
さらに、まちづくり協議会の広報部会では、そのダイジェスト版をもとに年3回発行している、まちづくり新聞『たかおか』に防災ページを組み込んでいます。
「安全・安心なまち」に向けての関係者の熱意に最敬礼…といったところで、元旦の大地震発生を受けてマニュアルのダイジェスト版や、まちづくり新聞『たかおか』の防災ページを引っ張り題し、我が家の防災度をチェックしています。
が、「狭いながらも楽しい我が家」のため、荷物がいっぱい。壁にも、あれこれと吊る下がっており、最も効果的な防災は「揺れを感じたら即刻、外へ」です。
一方、羽田空港の滑走路衝突事故を伝えるテレビからは、400人余もの乗員・乗客が乗り込んでいた日航機の室内が燃え出し、延焼、最後は機体の残骸に至る映像が流れました。
今後、衝突の原因究明が進むことになりますが、燃料に引火しての爆発ではなく、機体の室内が燃え出し、延焼、最後は残骸…に対して初歩的な疑問が浮上しています。
航空機は、ある意味、危険物体。機体の室内の床や壁、座席などは最大限の不燃材料を使用、それが義務付けられているのではないか…。だとするならば、今回の火災発生、延焼、残骸は「?」。
衝突の原因だけでなく、「火災発生、延焼、残骸に至った原因にも目を向けていかねば…」ですよネ。
]]>主催は日本学生陸上競技連合、共催が静岡県、富士市、富士宮市。
スタートからゴールまではフジテレビと系列テレビ局で全国生放送されました。
大会パンフから
スタート(テレビ画面から)
ゴール(テレビ画面から)
テレビ画面から
スタートは午前10時。自分は、第1回大会から昨年の第10回大会まで交通整理ボランティアとして所在区である第2区の鷹岡地区の指定場所に出動。この出動、市議会議員全員に要請されていたものでした。
市議を引退した今年、地区単位での各種団体への交通整理ボランティア枠に応募することもできたのですが、「例年、各種団体枠には定員以上の応募がある」と聞いていたので応募はせず、一市民としてコースから声援、通過後は自宅のテレビに向かって声援を送りました。
実は、自分の出身校、男女ともに駅伝の強豪校で、『富士山女子駅伝』の常連出場校。「今年こそ」と期待したのですが、今年も選手層の暑い名城大が強く、個人的には「残念、無念」といったところです。
『富士山女子駅伝』は、毎年10月に宮城県仙台市で開かれている『全日本大学女子駅伝対抗選手権大会(通称・杜の都駅伝)』と並ぶ大学女子駅伝の2大大会。富士山の世界文化遺産の動きをチャンスととらえ、前市長時代の富士市が誘致に乗り出し、それが実って2013年に初開催しています。
11回目を迎えた今年の天候は、雲一つない快晴。風もなく、気温的にも絶好の駅伝日和。霊峰富士も、その稜線をクッキリと浮かび上がらせました。
『富士山女子駅伝』は、全国ネットでテレビ中継されるだけに、コマーシャル代で換算すれば莫大な金額。駅伝放送を通して、富士山眺望をポイントに「富士市の魅力」が全国に伝わることによって観光振興や移住促進などの副次的効果が期待されるところです。
]]>享年82歳、男性の平均寿命とはいえ、酒や煙草など無縁の健康的な生活を過ごし、年齢を感じさせない若さを保っていただけに亡くなったことが信じられない中での通夜の参列。安らかな表情で永遠の眠りについた姿に接し、「亡くなったのだ」の現実を突き付けられたことで半世紀近くにわたる松本さんとの出会い、思い出が澎湃(ほうはい)として湧き上がり、「受けた恩は決して忘れまい」を誓ってきました。
プライベートなFacebook&blogと恐縮しつつ、「松本貞彦さんとは…を多くの人に知ってほしい」との思いから、ここに徒然なるままに松本さんの追悼記の一文を…。
松本さんとの出会いは、私がローカル紙(富士ニュース)の記者になったばかりの昭和50年(1975年)でした。
松本さんは、その年の4月に行われた満期満了に伴う市議選に自民党系無所属で初出馬。33歳の若さで本業は自営の建築設計士、労働組合などこれといった支援団体を有しない中での挑戦でしたが、友人、知人に支えられ3,438票を獲得、新人ながら堂々の第2位当選を果たしています。
市議3期を担った昭和62年(1987年)4月の県議選に自由民主党公認で出馬。善戦するも自民系新人が乱立したこともあって落選。挑戦は不首尾に終わったものの獲得票は最下位当選者まで、あと500票余に迫る1万3,716票の次点でした。
年齢的にも40歳代半ばだったことから「4年後の県議選に再挑戦するのでは…」と衆目が一致する中、松本さんが選択したのは市議への復帰で、平成3年(1991年)に行われた市議選では3,896票を獲得、堂々の3位当選で市議に復帰。
以後、安定した得票で当選を重ねていましたが、通算市議9期目となった平成27年(2015年)の市議選を最後に77歳で地方議員生活に終止符を打っています。
議員としての松本さんが鮮明に脳裏に焼き付いているのは、私が記者時代、松本さんが新人議員時代の本会議での一般質問の場面です。
昭和50年代、富士市は小中学校施設を中心にした公共施設の建て替えラッシュとなるも、一気呵成の建て替えは財政的に不可能でした。
そんな中、松本さんは一般質問で日頃の温厚な表情から一転、語気鋭く、「木造校舎のトイレは汲み取り方式で、臭い、汚いだけでなく汲み取りトイレの使用経験のない子供も多くなっている中、危険なトイレでもある。立て替え順位からして、まだ、かなりの年数がかかる木造校舎はトイレの水洗化をすべきだ」と主張。
さらに、「ココロの時代」を迎える中、公共施設の整備にあたっては1%の上乗せをはかって公共施設への文化の香り付けも強く提言、実現させています。
そうした市民に軸足を置き、次代を見据えた意見、提言に、当時、取材する立場であったものの記者席から「そうだ、そうだ」とエールを送り続けてきました。
私は、記者から市議に転身。松本さんとは3期12年間、議員としてお付き合いをさせていただきましたが、松本さんは長老議員の立場となっても温厚な人柄や、議員使命に燃えた主張・行動は何一つ変わらず、目指す議員像でした。
市議引退後も富士市の主要行事には一市民として会場を訪れることがあり、あれこれ談笑する仲でした。
最後にお会いしたのは、確か今年2月、ふじさんめっせで開かれた『国際交流フェア』の会場で、私は、「古稀を迎えたので、今年4月の任期満了に伴う市議選には出馬しません」と伝え、長い間のお付き合いとご指導にお礼を述べたのですが、その際、「今度は同じ議員OBとして付き合おう。一緒に飯でも食おうよ」と話されました。
同じ議員OBとして、新たなお付き合いができるようになったものの、それが一度も実現できないままの永遠の別れ、辛い懺悔の思いが渦まいた一夜、通夜でした。合掌
]]>自宅を出た午前7時30分の際の外気温度は0℃。地球温暖化&地球沸騰化の反動かはさておき、厳寒の朝でしたが、1時間余の清掃作業終了後、クリーンアップされた公園に集った参加者の間には寒さも吹き飛んだような口調で「気分スッキリ、これで清々しい気持ちで新しい年が迎えられる」などの会話が交わされていました。
私も同様の思いで、自宅を出る時には、「最後の清掃活動に…」と決めていたのですが、清掃作業から得られる季節の変遷を感じ取ることのできる歓びや、健康であることへの感謝の思いから、「いま暫く続けよう」、そんな思いでいます。
所在区の鷹岡地区厚原西区(町内会)は、1,000世帯を超える大きな区で、区内には、ひばりケ丘公園と厚原西公園の二つの公園があり、所在区別に班(組)単位で、それぞれ月1回、清掃作業に取り組んでいます。
班員(世帯)としては、1年間に1回程度の割り当てですが、市議会議員に就任した直後、区の推薦を得た返礼と、区民の皆さんとの接点の場として清掃作業に参加を申し出、以後、4期16年間、第2日曜日にはひばりケ丘公園、第4日曜日には厚原西公園の定例清掃に参加してきました。
その間、月2回の清掃作業が早朝に行われることから議員公務と重なることは、ほんどなく、いつしか掃除用具の準備や収納の役割も担うようになっています。
こうした中、今年4月末をもって4期目の任期が修了、議員を引退させてもらったのですが、定期清掃の陣頭指揮にあたる区役員の大変さを知っていたことから、「長年の支援へのお礼の気持ちとして、しばらく清掃活動への参加を続けさせていただきます」と申し出ています。
ただ、議員バッジをはずした身であるものの、清掃作業の終了後、議員時代と同じように参加者から、あれこれ市政に対する苦情や要望が持ち込まれ、その対応に苦慮することもあり、ちょっと困っています。
公園からは富士山が望めます
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スポーツと芸術が融合した新体操は、男性種目もあるものの一般的には女性の競技とされる中、富士市では15年前に、クラブ単位、学校単位で活動していた新体操関係者が「切磋琢磨する場を」と新体操協会を発足、同時に富士市スポーツ協会にも加盟しています。
この発足時、私のもとに「協会の会長に…」の要請があり、「雑用係ならば…」と就任しています。
新体操競技の経験は全くなかったのですが、前職のローカル紙の記者時代、幾度となく各クラブの発表会を取材したことで関係者と顔見知りになった、そんな関係からの要請でした。
指導陣は全員が女性、子育て中の人も多く、加盟したスポーツ協会の会合が夜に開かれ、「出席が厳しい」という声も受けての会長職承諾でした。
協会発足年に第1回大会を開き、今年で15年目となりましたが、今年4月末の任期満了をもって市議会議員を引退したことから、これを契機に「会長職の退任を」と申し出、承諾を得ていた中で「第15回大会にご出席を…。退任挨拶の場を設けますので…」の連絡が入り、この日、「大会会場へ…」となった次第です。
新会長には、富士市議の長谷川裕司氏が就任。私と同様、新体操競技の実践面は全くの素人ですが、就任以降、「新体操とは…、富士市のレベルは…」など、あれこれ学んでいるようです。
午後1時から開会式。応援の保護者も多数訪れている中、司会者から「前会長、退任のご挨拶を」と伝えられ、選手の子供たちには「練習や大会参加の際に送迎を担って下さっている、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝を伝えるためにも力いっぱいに演技を」と呼び掛け、観客席の保護者の皆さんには、富士市でも学校に行きたくても行けない不登校児童が増えている現状を伝えた上で「何かに夢中になり、何かに挑戦する気持ちが今の子供たちには大切では…」と投げかけながら「お子さんが新体操を続けたい、というなら、ぜひ、続けさせてあげて下さい」とお願いし、退任の挨拶とさせていたきました。
このあと、長谷川新会長から15年に及んだ会長職への感謝状、女性スタッフからは花束の贈呈も受け、これらは事前に伝えられず、予想だにもしなかっただけに感激、いい年をして涙腺も緩んでしまいました。
「富士市の新体操協会、さらに飛躍を」と願っています。
]]>コロナ禍により4年ぶりの視察研修、参加は任意であるものの、保護司の拝命を受けて12年という中、ここ数年は再犯率の高い薬物事犯の担当が続いたこともあって結果を出せず自信喪失気味だったことから、己を鼓舞する思いからの参加でした。
この日の参加は富士地区保護司会登録者の約3分の1にあたる30人余。皆さん、刑務官の説明を熱心に聞き入り、質問も相次ぐ状況に刺激を受け、「75歳定年まで、あとひと踏ん張り頑張らねば…」を胸に刻んでいます。
横須賀刑務支所の正面玄関
中型のバス1台で午前7時に市役所を出発、帰着は午後5時過ぎでした。
訪れた横須賀刑務支所は、初犯者(A級)および外国人(F級)を収容する男子刑務所。
大日本帝国海軍隷下の横須賀海軍刑務所を直接のルーツとし、開設は1882年(明治15年)。大東亜戦争終結の1945年(昭和20年)に帝国海軍解体に伴い司法省(現・法務省)に移管、横浜刑務所横須賀出張所に…。その後、1978年(昭和53年)に久里浜港突端の海軍対潜学校跡地に現刑務所が完成。2007年(平成19年)に横浜刑務所管下の支所に移行しています。
視察では、まず会議室で刑務官から施設概要や運営状況の説明を受け、「150人前後が生活。現在の収容者は23歳から89歳までで、平均年齢は45歳」「起床は午前6時40分、就寝は午後9時。規則正しい生活習慣と勤労意欲を身に付け、反省悔悟を促すための矯正処遇に取り組んでいる」、さらに「社会復帰に向けての刑務作業による技能習得だけでなく薬物依存離脱に向けての指導や基礎学力を身につける取り組み、通信教育も導入している」とのことでした。
まず、会議室で刑務官から施設概要や運営状況の説明を受けました
この後、刑務官の案内で収容区域内を視察したのですが、携帯電話をはじめカメラや録音機の持ち込み禁止。収容者との会話も厳禁でした。
作業、食事、入浴以外は狭い部屋で過ごす状況。周囲は高い塀に囲まれた刑務所の実相にふれ、社会復帰のサポート役を担う保護司業務の重要性を改めて実感した一日でした。
【保護司とは…】
犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える民間のボランティア。保護司法に基づき法務大臣から委嘱された非常勤の国家公務員に位置付けられているが給与は支給されない。
民間人としての柔軟性と地域の実情に通じているという特性をいかし、保護観察官と協働して保護観察に当たるほか、犯罪や非行をした人が刑事施設や少年院から社会復帰を果たしたとき、スムーズに社会生活を営めるよう、釈放後の住居や就業先などの帰住環境の調整や相談を行っている。
全国で約4万7000人が活動しているが、人材確保に苦慮している地域も多い。
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9月1日の“防災の日”に行われる「総合防災訓練」は防災機関と自主防災会が合同で開くのに対し、きょう3日の「地域防災訓練」は自主防災会が主体となっての取り組み。同報無線が午前8時30分に伝えた「訓練、地震です」でスタートしました。
本部で人数確認の受け付け
在住区の厚原西区第2自主防災会の訓練の会場は、公会堂駐車場と近くの公園の2カ所。
公会堂駐車場に本部を開設、参加人数の確認の後、防災機材の点検と確認、非常食調理訓練、応急手当訓練、消火訓練などを行い、このうち消火訓練は近くの公園に移動し、小中学生にターゲットをあてて水消火器を使用し、“火”と記した的に放水というスタイルがとられました。
防災機材の点検です
いざ、消火訓練会場へ
水消火器を使用しての消火訓練、中高生が積極的に
この日の参加者は日曜日の開催であったものの約100人。平日開催となった9月1日の総合防災訓練時と、ほぼ同じでした。
多分、昨日の深夜から全市内を網羅した広報同報無線で津波に関する注意を喚起する放送が繰り返し流され、その中では田子浦地区、元吉原地区、今泉地区などの津波避難対象区域内の自主防災会に「本日の防災訓練は中止を」と要請していることから、“訓練中止”の部分だけ聞き取った人が多かったためでは…と観測しています。
いずれにせよ、巨大地震が発生した際、道路寸断や電柱・家屋倒壊で119番に通報しても救急車や消防車両が迅速に来てくれる保障はありません。それを認識、さらには災害弱者の高齢者も多くなっている中、それぞれの立場で、どう対応すべきかを常日頃から考え、『いざ!』という際には地域力をもって安全確保に結び付けたいものです。
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コースは、県庁前をスタートし、清水清見潟公園で折り返して草薙陸上競技場でフィニッシュする12区間、走破距離はマラソンと同じ42.195?。
参加は、市の部に23市25チーム、町の部に12町12チームの計37チーム。
レースは午前10時に市の部、町の部が一斉にスタート。今年は、新型コロナウイルス対策で行っていた県庁周辺や陸上競技場の入場制限や沿道応援の自粛要請もない4年ぶりの通常開催でした。
知り合いが出場することから「草薙陸上競技場に…」とも思ったのですが、昼に用事があり断念、テレビ観戦で声援を送りました。
下馬評は、「今年も企業所属アスリートを擁する浜松市北部勢が強く、4連覇が確実では…」とされる中、1区からトップに立ち、5区までトップをキープ。
しかし、2位で浜松市北部を追っていた御殿場市が6区で逆転。そのままトップを守りゴール、4年ぶりに市の部の王座を奪還しました。
富士市は3位から4位でタスキをつなぎ、一時、8位まで順位を落としたものの、その後、それぞれが力走、市の部4位でゴール。前回(6位)より2つ順位を上げました。
公式記録は以下のウェブサイトへ。
https://www.at-s.com/ekiden/sokuhou/
(※)アップした写真は、生放送のテレビ画面から…。
]]>通告者数は24人。富士市議会の議員定数は32人で、議会進行役の議長と、議長の補佐役である副議長は、その職責から一般質問への通告・登壇は自粛することが慣例になっていることから、正副議長を除く30人中の24人の通告・登壇率は80%となります。
任期満了に伴う今年4月の改選では9人の新人議員が当選していますが、11月定例会も年4回開かれる定例会ごとに議員個々に与えられている発言権である一般質問に全員が通告。
「質問の内容も大事」という指摘にも、看護師確保や市職員のメンタルヘルス、地域コミュニティの交通手段の課題解決、吉原東中学校の跡地利用など時代の課題や近未来のまちづくりを取り上げた質問が並び、議員OBの立場から「新人の皆さん、頑張っているな」です。
議員一人に与えられた持ち時間は、市長ら当局答弁を含めて1時間。論戦は、富士市議会のウェブサイトで生中継と録画中継で視聴できます。
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/shisei/c0503/rn2ola0000023p54.html
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先日、仕上げ作業である差し込み作業があり、半日かけて完了。第51号もA4サイズ、カラー6ページ仕立て。12月1日付け発行の『広報ふじ』と共に各区を通して地区内約4,000世帯に届け、鷹岡まちづくりセンターの情報紙配架コーナーでも入手可能としています。
まちづくりセンターでの差し込み作業です
まちづくり新聞『たかおか』の発行者は鷹岡地区まちづくり協議会、編集は同協議会を構成する部会の一つ、広報部会です。
第51号の各ページの主な内容は…
・1ページ…10月16日開催の「市長行政懇談会」の紹介
・2ページ…「市長行政懇談会」における地区要望と、その回答
・3ページ…食育推進事業「田子の浦のしらす体験講座」
・4ページ…鷹岡地区防災かわら版Vol.4と避難所訓練の紹介
・5ページ…「クリーンアップ鷹岡パワー結集」と題したクリーン活動の紹介
・6ページ…「ひとづくり、まちづくり全開」と題したイベント報告、インフォメーション、編集後記など
まちづくり新聞『たかおか』は、「安心・安全な地域づくりの情報紙に…」を合言葉に、毎年、5月、8月、12月の年3回発行しており、自分は、長年、ローカル紙の編集に携わっていたことから創刊に向けてあれこれ相談を受け、その線上で発刊後も編集作業のお手伝いをしています。
すでに10年以上を経過。編集委員の皆さんの取材力がアップ、紙面構成もプロフェショナルソフトではない一般的なワード(Word)機能の使用であるものの「凄い!」という域に達し、もはや私の「出番なし」といった状況です。
で、今回は、「編集後記をお願いしたい」との依頼があったことから、以下のような事を執筆、掲載してもらいました。
【編集後記】
月1回ペースで開催の鷹岡地区まちづくり協議会の会合でのこと。自由討議の場で9月27日に富士宮市内の病院で発生した富士市在住の男性が長期入院中の長女と妻を刺殺、自らも院内で自殺したとみられる衝撃的な悲惨な事件をとらえ、「私達は安心・安全な鷹岡に向け何ができるか、いま一度、考えたい」と。
全く同感、貴重な意見でした。同時に、地区の皆さんに情報を届ける広報部会への頂門の一針とも受け止めています。
(※) 活字が小さく判読が厳しいかもしれせんが、以下に第51号の全ページをアップします。
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ほぼ満席の講演会の会場です
本題に入る前に、最近、“インボイス制度”など従来の日本語感覚では理解できない横文字が次々と登場していますネ。“フレイル”も、その一つです。
“フレイル”とは、医学用語である“frailty(フレイルティー)”の日本語訳。高齢になって体力が低下、外出する機会も減り、介護が必要にならないまでも体と心の動きが弱くなってきた状態の事だそうです。
つまり、簡潔な分かりやすい日本語訳にすると虚弱状態。ですが「イメージが悪い」ことから“フレイル”という横文字にしているとのことです。
さて、本題、今回の講演会の主催は区長会や生涯学習推進会、福祉推進会など地区の各種団体で構成するまちづくり協議会。生活に密着した健康づくりをテーマとした講演会とあってか受講者は平日夜間であったものの80人余を数えました。
講演会は二部制で、第1部は富士市の地域保健課の保健師、田中花歩さんによる『鷹岡地区の健康状態』と題した解説、第2部が講演会メインの日本成人病予防協会所属の両角桂子さんによる『シニア世代の食生活〜フレイルって知っていますか?〜』と題した講演でした。
第1部の田中さんの講演
このうち両角さんは、加齢と共にフレイル状態になることを解説した上で、その予防方法について参加者とのキャッチボール方式で進行。「エスカレータやエレベータに頼らず健康保持のために階段を使いましょう」など分かりやすい内容で、日々の生活行動をはじめ、食生活にも目を向け、健康で長生きするためのヒントやコツを次々と届けてくれました。
健康で長生きのコツを伝授する角角さん
参加者とのキャッチボール方式での進行によって会場には一体感が生まれ、賛同・感動の輪が広がりました。
ただ、個人的にも「いい講演会だった」と思ったのですが、この日、受けた健康で長生きするためのヒントやコツ、「その持続的な実践、なかなか難しい」でした。
これじゃ、健康で長生きはダメですよネ。
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案内状によれば、主催は萩原さんが音楽仲間と共に2022年6月に立ち上げたムジカローザ・Fuji。
公演演目は、G.ビゼーの代表作品『カルメン』で、主役のカルメンは萩原さん、相手役のドン・ホセは畠山翔さん。このほか萩原さんの音楽仲間やムジカローザ・Fujiのメンバー、さらに富士宮オペラ合唱団の有志が賛助出演。日本語での上演です。
入場料は、全席自由で一般4,500円、学生(高校生以下)3,000円。チケットの扱いはロゼチケットセンター(?0545−60−2510)、すみやグッディ富士店(?0545−55−3673)。
問い合わせはムジカローザ・Fuji(090-2921−4825=萩原方)。
萩原さんは、国立音大卒後、短大や高校の音楽の非常勤講師を担いながら声楽家団体のジョイヤで研鑽を積み、1991年5月に東京で開かれた公募オペラ、ヴェルディ作曲の『椿姫』で主役のヴィオレッタ役を射止め中央デビューを果たしています。
1993年9月から約1年間、国際ロータリー親善奨学生としてオペラの本場、イタリアのミラノ音楽院で学び、帰国後は日本を代表するソプラノソリストとして多くのオペラ公演に出演。
中央での活躍と並行して出身地で、居住地でもある富士市でも意欲的な音楽活動に取り組み、音楽教室を主宰する中、萩原さんの指導を受けるコーラス団体が相次ぎ誕生。さらに、富士市在住の水彩画家、石島章彦さんとコラボした『なつかしの日本の歌10選』夏〜春の40曲をYouTube『ミモザちゃんねる』で配信する活動にも取り組み、好評を博しています。
]]>期間は11月25日(土)まで。午前9時から午後4時。水曜日と金曜日は休み。鑑賞無料。
展示作品は、希望者に販売、その売上金は「愛の都市訪問や日本赤十字社に寄付する」といいます。
会場の自宅住所は富士市松岡1304−32。問い合わせは?0545−61−0094。
ご自宅は住宅街にあり、初めてお伺いしたのですが、ナビに住所を入力、案内に従って車を進めると、玄関先に歓迎作品が展示されており、すぐに分かりました。
八谷さん宅前です
玄関口にも作品を展示
八谷さんは、日本の刺繍界の重鎮、森山多喜子さんに師事して世界各地の刺繍技術を学び、さらに専門学校や文化芸術大学でも学び、さまざまな場で作品を発表。富士市においては、刺繍教室の樹林の会を発足させ富士市に刺繍芸術の輪を広げてきました。
2年に1回ペースで門下生と共にロゼシアターなどで作品展を開き、富士山が世界文化遺産に登録された以降は富士山をテーマにした作品を意欲的に制作、ミラノ万博など海外展にも出品して高い評価を受けています。
ご主人を見送り、現在、一人暮らし。80歳を過ぎたことから、「創作活動と指導にひと区切りを…」と自宅をギャラリーにした個展を開いているもので、これまで制作した小物から大作まで500点余を展示。
じっくり鑑賞させていただいたのですが、まだまだお元気、希望者には販売にも応じる個展の開催は、「新たな創作に向けての刺激を得るためでは…」と受け止めています。
八谷さんです
この富士山をモチーフにした作品は富士山の世界文化遺産登録を記念しての創作で、八谷さんの代表作。題名は『頂上をめざして3776針』です
会場にて…
会場にて…
]]>
午前8時に集合
クリーン活動の場所(紫色部分が桜並木です)
鷹岡地区まちづくり協議会の構成団体や消防団、水防団、鷹岡小中PTA、さらに鷹岡地区建設業協会などから50人余が参加。午前8時から2時間余をかけ投げ捨てられ空き缶やタバコの吸い殻の回収、枯れ草の除去と回収などに取り組み、その“成果”は特大のビニール袋100袋余を数えました。
回収後には、河床の流砂地に菜の花の種をたっぷりとまき、来春の鑑賞受け入れ態勢を整えました。
クリーン活動その1
クリーン活動その2
投げ捨てられたタバコの吸い殻も回収
菜の花の種まきです
この日の成果です
鷹岡地先の潤井川の龍厳橋から下流左岸の堤100?区間には昭和40年代半ばから5年余の歳月をかけて近隣住民によって桜の苗木が植栽され、その数は50本余。平成に入って成木となり、見事な桜並木となっています。
鷹岡地区では、左岸のクリーン作戦に加えて数年前から河床の流砂地に菜の花の種をまき、3月下旬から4月上旬にかけ、富士山&桜花&菜の花の3要素が混交した華麗な景観を創出しています。
地元の人達の取り組みが結実する形で富士市を代表する景観スポットとなったことから桜の開花シーズンにはカメラマンを中心に多くの来場があり、今年、旅行専門誌が選ぶ桜花の名所として日本一に選ばれています。
しかし、です。
観光バスでの来場も相次ぎ、周辺の地区民の生活道路が交通渋滞を招く事態を招いていることから、地元では市に、県と協調して堤一帯を整備、常設の駐車場やトイレなどを整備することの要望を重ねています。
クリーン作戦終了後の状況です
桜花満開の、この写真は、今年春に撮影したものです
]]>新富士駅の富士山口には、今年も菊花展が開催されており、「満開の菊花に見送られ、しばし、グッドバイ!」といったところです。
出発前に何回となく、「決して旅行じゃないからネ」と同居人。
もう数年前になりますが、同居人は、長年、従事していた幼児教育をリタイヤした後、日本の総合文化といわれる茶道(煎茶)に没頭。
幼児教育に関わらず“子供を育てる”という仕事は、常に全力が求められ、故に同居人も趣味といった類とは無縁でした。
そうした中で迎えたリタイヤ後、第2の人生を過ごすために、あれこれ挑戦し、そして、たどりついたのが茶道でした。
きょう向かったネパールも茶道を通しての訪問で、今回が、確か3回目。
2回目からは茶道紹介のほか首都・カトマンズにある日本人学校のサポーター役や、ホームスティ先の山間部の井戸掘削にも協力したようで約1カ月間滞在。帰り際、現地で知り合った人達と再度、訪問することを約すもコロナ禍で実現できず、新型コロナウイルス感染症が2類が5類に引き下げられたこを受け、今回、満を持して向かったものです。
「いつか私も一緒に…」と思っているのですが、市議引退後の雑用が、あれこれあり、他に公務を抱え、さらには目の治療中ということもあって今回は断念。
モタモタしていると老いぼれ、海外旅行は体力的に無理…ということにならぬよう、語学力をつけるなどそれなりに準備、体力づくりも…と思ってはいるのですが…。
]]>異常気象に加えての高温で、冠雪姿だった富士山も雪が消えて夏富士姿に…。最近、叫ばれている地球沸騰化を実感した一日でした。
この日、眼科通院後の昼過ぎ、富士市鷹岡地区の自宅から車で10分程度のお気に入りの富士山撮影スポットへ。アップした動画&写真は、そこで撮影したものです。まさに、夏富士姿でした。
最近、世界的に叫ばれている地球沸騰化とは、WМO(世界気象機関)が、「2023年7月の世界の平均気温が16.95℃と、史上最も暑い月になった」と発表したことを受け、国連のグテーレス事務総長が会見で、「地球温暖化(Global Warming)の時代は終わり、地球沸騰化(Global Boiling)の時代が到来した」と警告したことによります。
“沸騰化”の言葉の引用には、「少々、大袈裟では…」の思いもありますが、地球温暖化・沸騰化は環境変化を伴い食糧など由々しき問題にも直結してくるだけに国家レベルでの原因究明と対策が期待されるところです。
その一方、右往左往するだけでなく、「今冬は暖房費が少なくなるでは…といったプラス思考も必要じゃないか…」と思ったりしているのですが…。
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境内にある建築物の配置図です
実相寺は、標高193?の岩本山の南斜面西部に大伽藍と墓地が広がる寺で、フル名称は『霊蹟本山岩本山実相寺』。霊蹟(れきせきほんざん)とは日蓮が滞在した由緒ある寺に与えられている称号、岩本山(がんぽんざん)は山号です。
歴史書によれば、実相寺は平安時代の1145年(久安元年)に第74代天皇である鳥羽天皇が、院政を行っていた受戒後の法皇時代に、比叡山横川(よかわ)の天台宗僧侶、智印法印(ちいんほういん)に勅命を下し建立させたお寺とされています。
ルーツは、天台宗のお寺だったわけです。
その後、鎌倉時代の1258年(正嘉2年)に日蓮が入寺。1276年(建治2年)には、智海法印により天台宗から日蓮宗に改宗し、智海法印は日源と改名しています。
実相寺の名が広く知られようになったのは、まだ宗教家としては、それほど名の知られた人物ではなかった日蓮が、この実相寺に滞在して国家安泰論である『立正安国論』の草案を書き上げ、ここから偉大な宗教家として大きく羽ばたいていったことによるとされています。
富士市で最も権威のある郷土史書『富士市史』の編纂を担った静岡大学の若林淳之名誉教授が、かなり前ですが教育委員会主催の歴史講座で日蓮を取り上げた際、「日蓮上人は土木事業にも突出した才能があり、滞在先で水田開発などのノウハウを伝授。精神論だけでなく、そうした生活を豊かにする取り組みも民衆の圧倒的な支持を得て偉大な宗教家に位置付けられたのではないか…」と話されています。
実相寺は、1568年(永禄11年)に武田氏の侵攻により大伽藍を焼失、歴史書には「多くの僧侶も斬殺された」と記されていますが、その後、見事に再建しています。
さて、本題の実相寺散策ですが、江戸時代末期に再建された薬医門形式の総門をくぐると右手には檀信徒会館と駐車場が整備されており、真っすぐに伸びた参道の正面には立派な常夜燈を従えた楼門形式の仁王門があります。
この仁王門には、富士市指定有形文化財にもなっている、高さ2.41?の木造の阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の2体の金剛力士像が安置されています。
私は、まだ見たことがありませんが、この仁王門の2階部分にはお釈迦様と16羅漢が安置されているそうです。
仁王門の右手には、江戸初期の建立といわれる鐘楼があり、蓮池に繋がるお堀には鯉が泳ぎ、掃き清められた境内と合わせ厳かな雰囲気を醸し出しています。
仁王門です
安置されている金剛力士像です
お堀には鯉が…
仁王門をくぐって進めば左手には墓地群、右手には木造建築の書院、庫裡があり、そして長い石段に…。
石段の中間地点右手に本堂と、高村光雲作の日蓮上人像、その上段には、魔王堂、祖師堂、高座石、一切経蔵、天満天神宮、常経稲荷社、鐘楼、七面堂、八所権現があり、頂上付近一帯の岩本山公園に繋がります。
墓地群
書院&庫裡
本堂に続く石段
本堂です
高村光雲作の日蓮上人像
本堂から俯瞰した風景です
そのうち、高座石は、日蓮上人が学僧に説法をした場所とされ、歴史書によれば「実相寺で日蓮上人の教えを受けていた学僧は300人を数えていた」と記されています。
また、一切経蔵も富士市指定有形文化財で、西伊豆の松崎出身で、三嶋大社の彫刻を手掛けたことで知られる小沢半兵衛の手による七福神の木彫刻があります。縦57?、横276?で江戸時代末期の作とされ、クスノキ材による一木彫です。
実相寺は、名刹と呼ぶに相応しい悠久の歴史を感じることができる建築物で構成され、そのほとんどが木造建築ですが、唯一、本堂は鉄筋鉄骨造りの近代建築物です。
1955年(昭和30年)に焼失、檀信徒の熱意で7年後の1962年(昭和37年)に再建されたもので、焼失を受け、「新しい本堂は不燃建築で…」の意図によるためだったと想定されます。
木造建築物群の中での不燃建築物に違和感を抱く人もいるかもしれませんが、「二度と焼失させない」、そんな檀信徒の皆さんの総意による取り組みだったと思います。加えて、「それはそれで後世に伝えるべき貴重な史実だ」とも思っています。
久しぶりに生家の菩提寺の実相寺を時間をかけて見学、富士市を代表する観光資源であることを改めて実感したものの、入場料はなく、駐車場も無料、檀信徒の皆さんの熱意と協力によって静かに歴史を刻んでいる寺です。
一部に、「偉大な歴史を前面に出し、富士市を代表する観光スポットとして市あげて積極的に売り出し、市全体の観光振興に結び付けては…」という意見もありますが、「物見遊山的な観光客を誘致することなく、歴史に興味を抱く人達が訪れ、その魅力を知り、何かをつかみ取ることができる現況のままであってほしい」と個人的には願っています。
]]>今年4月末をもって引退するまでの4期16年間の市議会議員活動に対する地方自治功労者としての受章で、議員活動を支えてくれた同居人(妻)と共に式典に臨みました。
光栄の表彰に浴すも、海野個人としての受章ではなく、市議会の場に送り込んでいただいた、多くの支援者を代表しての受章と受け止めています。
市議就任時に胸に刻んだ「一日一生」を、これからも座右の銘とし、それほど長くはないであろう残された人生、新たな視点、立場から社会のために自分には何ができるか、何をすべきかを見詰め、実践していきます。
(※) 以下にアップした写真は、式典に出席した知人・友人からの提供です。
この写真は表彰式後、岩松の実家に立ち寄ってのご先祖様への報告です。
表彰式典は、条例や規則で定めた『市長表彰』『教育文化スポーツ奨励賞』『地域社会貢献者褒賞表彰』の三つの表彰制度の被表彰者の功績を称えていくもので、本年度の表彰別受賞者(団体)は、以下の通りです。(敬称略)
『市長表彰』 8氏
・石橋 広明 (地方自治功労、柚木)
・影山 正直 (地方自治功労、岩本)
・米山 享範 (地方自治功労、三ツ沢)
・井上 保 (地方自治功労、岩淵)
・海野 庄三 (地方自治功労、鷹岡厚原)
・牧田 一朗 (産業功労、伝法)
・長尾 芳弘 (産業功労、大淵)
・栗田 洋子 (社会福祉功労、富士見台)
『教育文化スポーツ奨励賞』 2氏3団体
・小鉢 陽葉 (陸上競技、富士市立高校)
・西川 愛華 (空手道、本市場)
・小原流富士支部 (華道)
・富士市弓道協会 (弓道)
・富士市民踊会 (民踊)
『地域社会貢献者褒賞表彰』 8氏1団体
・荻野 克雄 (コミュニティ活動、今泉)
・千葉 辰夫 (コミュニティ活動、桑崎)
・大塚 芳正 (社会福祉活動、増川)
・佐野 鈴代 (社会福祉活動、伝法)
・藤澤 孝義 (スポーツ活動、比奈)
・村松 直実 (交通安全活動、石坂)
・岩? 幸則 (交通安全活動、伝法)
・大? 里子 (環境美化活動、宮島)
・富士市観光ボランティアガイドの会 (観光交流活動)
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ハロウィンは、キリスト教の諸聖人に祈りを捧げる万聖節(ばんせいせつ)の前夜祭、ヨーロッパ発祥のお祭りとされ、その日は10月31日です。
が、一種のお祭りであり、加えて子供たちが悪霊などに仮装して近くの家々を訪れ、玄関先で「お菓子をくれなきゃ、いたずらをするぞ」を意味する「トリック・オア・トリート(Trick or Treat)」と声をかけ、お菓子をもらう習慣があることら土、日に開くケースも多いようです。
我が家では、10数年前から自宅近くの英会話と速読を教える学習塾が年間行事の一環としてハロウィンに取り組み、協力を要請された我が家にも子供たちが訪れています。
今年も事前に参加見込み数を聞いて大量の菓子を用意。さらに「ジャック・オー・ランタン」と呼ばれるカボチャをくり抜いた飾り物や、ガイコツ、魔女などの悪霊の飾り物も玄関先に掲示、ハロウィンムードを演出して一団を待ちました。
夕刻、保護者と共に我が家に訪れた一団の子供たちの仮装姿を見て、少々、驚きでした。悪霊キャラは少なく、アニメキャラが中心。これも時代の変化かもしれません。
そんな中でも、少子化もあってか、最近、めっきり聞くことが少なくなった子供たちの歓声を聞くことができ、思ったことは「内容が変化しても、目的や本質が変わらなければ、いいじゃん」でした。
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イベント『富士山縄文DNA野外展2023in三澤寺』は、実行委員会を組織しての民間パワー結集の取り組み。企画・運営のキュレーター役は山中さん、実行委の事務局はYU GALLERYに置かれています。
会期は11月21日(火)から同26日(日)。午前10時から午後4時。入場無料。
富士宮市大鹿窪332番地の日蓮宗弘法山三澤寺(さんたくじ)の本堂と野外を会場とし、チラシの開催趣旨の前半には、「日本人のルーツ、縄文人。交換の原理ではなく、すべてシェア分かち合うという心の絆で結ばれた縄文人の価値観と感性を現代の私達のDNAの中に見つけ出し、表現しようと企画」と記されています。
「正直、少々、難解だ」と思ったのですが、後半には、「縄文草創期の国指定・大鹿窪遺跡の北東、由緒ある三澤寺さんの境内に55名のアーティストたちが、それぞれのJOМONを、より壮大に展開します」と記されており、ここまで読んで「注目度120%だ」でした。
JOМONをテーマにした市内外のアート作家の作品展示のほか、会期初日午前10時から犬浦壽信住職による講談が行われ、初日はオープニングイベントとして雅楽の演奏、原始的楽器の演奏も。さらに、期間中、講演会や二胡の演奏などのパフォーマンスが予定されています。
後援団体欄には、富士宮市と富士宮市教育委員会もありますが、民間パワーを結集、民間主導ならではの企画といえ、エールの思いも込め、知人を誘って「行ってみよう」と思っています。
イベントの問い合わせはRYU GALLERY内の実行委員会事務局(?0544−91−7043)。
【大鹿窪遺跡とは…】
大鹿窪遺跡は平成20年に指定された縄文時代草創期を代表する国指定史跡。
富士山の南西部、西に天子山地、東に羽鮒丘陵を望み、北から南へ流れる芝川の左岸、西向きに傾斜する緩やかな斜面上で、ほ場整備に伴う発掘調査で発見された。遺跡は、富士山の溶岩である芝川溶岩流のすぐ上にあり、発掘調査の時には遺跡の各所で溶岩を見ることができた。
遺跡の中心部からは、東側にある丘陵越しに、富士山の姿を見ることができ、この丘陵は羽鮒丘陵と呼ばれるもので、丘陵の東側は急斜面となっているが、西側は比較的緩やかな斜面で、その上からは旧石器時代から縄文時代草創期・早期の遺跡が数多く発見されている。
(富士宮市のウェブサイトより抜粋)
]]>井上先生は富士市の獣医師会の重鎮、そして障害者福祉向上の功労者でもあり、私はローカル紙の記者時代、そして市議に転じてからも、あれこれアドアイスをいただいた人生の師の一人です。
通夜に参列させていただき、その通夜でしばしの時間を過ごす中、井上先生との出会い、思い出が澎湃(ほうはい)として湧き上がってきました。
私的なFacebook&blogとなりますが、井上先生追悼の一文をここに…。
井上先生と出会ったのはローカル紙の記者時代、もう30年以上も前で、当時、東海道新幹線新富士駅南口近くで「富士ペット動物病院」を経営。その後、動物病院は宮島の自宅敷地内に移転、獣医師の道に進んだ娘さんと一緒に動物愛護の人生を過ごし、獣医師会の重鎮としても活躍。
さらに、本業の傍ら国際ネットの社会奉仕団体にも所属し、活躍していました。
獣医師会や社会奉仕団体からの取材依頼を受けて顔見知りとなる中、新たに障害者福祉でも接する機会がありました。
富士市は1989年(平成元年)1月に中国浙江省嘉興市と友好都市、続いて1991年(平成3年)12月に米国カルフォルニア州オーシャンサイド市と姉妹都市を締結。この相次ぐ都市提携を契機にして市民の間で国際交流・訪問の機運が高まり、そうした中、市内の知的ハンディを有する人達の通所施設である就労支援施設で「海外旅行に…」の声が上がり、その実現に向けては多くのボランティアがサポート役を担い、語学も堪能だった井上先生は中心的な存在で、実現させた海外旅行にも同行しています。
海外旅行企画の取材を通して知った私も、取材と並行して実現に向けてのサポート役の輪に加わったのですが、会合を重ねる中、井上先生から身内に在宅や通所では対応が厳しく、入所を余儀なくされている重いハンディを有する子供がいる、それゆえ、地域福祉・在宅福祉向上の視点から富士市では初の試みとなる就労支援施設の企画に協力を申し出たことを聞き、さらに、健常者には当たり前である家庭を持つことが厳しいハンディを有する人達、そして家族にとっても「海外旅行に…」は生きる上での大きな目標になることを教えられました。
就労支援施設がボランティアのサポートを得て有形無形の壁を乗り越え、夢に描いてきた海外旅行を実現させたことで、その後、他の就労支援施設が追随、ハンディによって静止顔ができないことから難儀だったパスポート申請のハードルも下がっています。
それらは井上先生らによる成果です。
この海外旅行の実現以降、井上先生には取材を越えて親しくさせていただき、市議に転じてからも機会あるごとに激励を受けてきました。
死去を知ったのは10月24日発行のローカル紙(富士ニュース)に掲載された死亡通知広告で、通知広告には「病気療養中」と記されていましたが、恰幅が良く、高齢者ゾーンに突入しても元気印二重丸のような方だっただけに通夜に参列して最後のお別れをするまで、「亡くなった」は半信半疑でした。
井上先生の死去を現実として突き付けられた今、「受けた恩、教えは生涯、忘れまい」と胸に刻んでいます。合掌
]]>地区の芸術家の皆さんの芸術作品にふれ、刺激を得て心リフレッシュ、そんな気持ちもあったのですが、主眼は編集委員を仰せつかっている鷹岡まちづくり新聞への掲載用の取材と写真撮影です。
予定では、「30分程度で取材・写真撮影を…」と思っていたのですが、展示された作品の素晴らしさ、さらに話を聞いた関係者の皆さんの熱意に感動し、あれこれ雑談、1時間余の滞在となりました。
きょう21日は初日で展示のみ、あす22日の日曜日が最終日で展示に加えステージ部門が繰り広げられ、さらに各種団体による“食”を中心とした各種の出店も予定されています。
まちづくりセンター玄関、手作りの歓迎看板が設置されていました
展示部門の紹介(プログラムから)
22日にステージプログラムです
地区文化祭は、生涯学習推進会(渡邉敏会長)の成人教育部(鈴木治男部長)が中心となっての取り組み。生涯学習推進会の他の部会、さらに区長会やまちづくり協議会、福祉推進会も協賛。つまり、地区あげての文化祭です。
初日に開幕した展示部門には、まちづくりセンターをホームグランドとして活動している文化活動団体が活動で制作した作品を展示。その中、竹工芸同好会は竹工芸作品の展示に加え、竹風車の無料体験コーナーも打ち出し、子供たちの人気を集めていました。
さらに個人的な応募も受け付け、盆栽や似顔絵などが展示されています。
2日目、最終日となる、あす22日には展示に加えてステージ部門が行われ、まちづくりセンターで活動するコーラス団体をはじめフラダンス、民謡、民踊、さらに地区内の小学校やこども園も出演することになっています。
(※)以下に21日撮影の展示部門の写真をアップします。
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主催はまちづくり協議会(遠藤晃会長、以下「まち協」という。)、会場は鷹岡まちづくりセンター。主催のまち協を構成する区長会や生涯学習推進会、福祉推進会などから50人余が参加。自分、海野庄三は、まち協の事務局員の一人として会場設営など雑用係と、まちづくり新聞を発行している広報部員として参加しましたが、地元が開催主眼とする要望事項に対する当局の回答は、協力要請中や検討が多く、参加者からは「いま一つだ」の声が聞かれました。
開会の冒頭、挨拶を述べる遠藤会長
前半は小長井義正市長による市政報告、後半は地元が精査し事前に提出した3項目に対する回答。
市長による市政報告ではデジタル社会を迎えていることから参加者への紙ベースによる資料配布に加えて写真も多用したパワーポイントが初めて導入されました。
3期目に入り、来年1月に任期4年間の折り返しを迎える市長は、これまでの取り組みに自負を示しながら、大淵の総合運動公園内で建設を進める総合体育館の進捗状況や子育て支援策の拡充などを説明したほか、中央病院の改築にもふれ、「移転改築とするならば現病院の2、3キロ内に…。その移転建設地の選定にも取り組んでいく」などと述べました。
市政報告を述べる小長井市長
会場の全体像です
配布された紙ベースの報告資料です
一方、協力要請中や検討が多く、参加者からは「いま一つだ」の声が聞かれた要望事項は、以下の三項目でした。
1 王子エフテックスレンガ造り倉庫保存に対する市の考えと対応について
2 富士市を代表する桜と富士山の眺望の地である龍厳淵南側の潤井川左岸の整備について
3 西富士道路の鷹岡地区へのインターチェンジ設置について
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会場には、さまざま露店が…
まつりは、「地域を盛り上げよう」と若手を中心とした有志が実行委員会を組織して平成20年(2008年)に初開催。以後、毎年開催。コロナ禍では一部縮小を余儀なくされたものの今年は午前11時から午後9時まで、内容的にもフル開催。会場には、各種模擬店が並び、ステージ部門には太鼓演奏やダンスなどが繰り広げられ、菓子まきも…。
夕刻から富士鷹勇會と応援有志による神輿(みこし)が繰り出し、鬼太鼓座(おんでこざ)との勇壮な演奏、さらに、その共演が繰り広げられ、最高潮に…。
鷹岡まちづくり新聞のイベント掲載用のための写真撮影で訪れ、まつりを追ってきましたので、Facebookとblogにアップしました。
ステージではダンスなどが…
勇壮な鬼太鼓座の演奏です
神輿が会場を練り歩き
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【ロゼで総合文化祭・秋祭が開催中です】
この時期、暑くもなく、寒くもない外出日よりとあってか“芸術の秋”とも言われますが、きょう10月7日、富士市蓼原町のロゼシアターへ。開催中の「第55回富士市総合文化祭・秋祭」として開催されている書道、華道、そして盆栽展を鑑賞してきました。
あす8日(日)まで。午前10時から午後4時。鑑賞は無料です。
決して自慢できることではないのですが、自他ともに無芸大食の身でありながら市民の皆さんの芸術作品の鑑賞には、それなりの理由がありまして…。
午後1時からロゼの小ホールで同居している小学6年女児の孫のピアノ発表会があり、それも見たくてのロゼ行。
孫に、事前に「見に行くよ」と言えば、年頃の年齢から「来ないで…」との返答が想定されたことから、秘密裡に出向き、ホールのはじっこで拍手を送ってきました。
つまり、ジジ馬鹿です。
書道コーナーです
華道コーナーです
盆栽コーナーです
【あす8日、吉原宿宿場まつり】
あす8日(日)には、吉原商店街を会場に「第24回吉原宿宿場まつり」が開かれます。午前10時30分から午後3時30分まで。
かつて吉原宿と呼ばれた歴史の継承や商店街の活性化を目的に関係者が実行委員会を組織しての取り組み。吉原本町通りが歩行者天国にして開催です。
※新聞チラシから
【8日には鷹岡まつりも開催へ】
あす8日(日)には、JR身延線の入山瀬駅北側の富士中央自動車学校駐車場を会場に「鷹岡まつり」が開かれます。午前11時から午後9時まで。
まつりは、「地域を盛り上げよう」と若手を中心とした有志が実行委員会を組織して平成20年(2008年)に初開催。
以後、実行委の熱意が実る形で盛大なまつりとなり、今年も夕刻から富士鷹勇會による神輿(みこし)と鬼太鼓座(おんでこざ)との共演が予定されています。
2枚ともローカル紙の開催周知記事からの複写です
]]>表彰式典は、条例や規則で定めた「市長表彰」「地域社会貢献者褒賞表彰」「教育文化スポーツ奨励賞」の三つの表彰制度の被表彰者の功績を称えていくものですが、自分、海野庄三は「市長表彰」に浴することが決まりました。
公表前の選考会協議による内定通知に「感謝・感激、ありがたく表彰を受けさせていただきます」と回答したものの、一部メディアが被表彰者を伝えたことを受けての相次ぐお祝いの言葉に戸惑いも抱いています。
三つの表彰制度のうち「市長表彰」は、市勢の興隆伸展等に寄与、かつ功績顕著な方を称えていくもので、本年度の表彰者は8氏、「地域社会貢献者褒賞表彰」は、地域づくりのために貢献され、功績のあった方や善行のあった方を称えていくもので、本年度の表彰者は8氏1団体、「教育文化スポーツ奨励賞」は、教育、文化及びスポーツの振興に優れた業績を挙げ、かつ将来、一層の発展が望まれる個人や団体に授与するもので、本年度の表彰は2氏3団体となっています。
氏名・団体名や、その功績・成績などは富士市のウェブサイトにアップされています。
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/shisei/c0305/rn2ola000004u92b.html
〜 閑話休題 〜
自分の「市長表彰」の受賞は4期16年間の市議会議員を担ったことを捉え地方自治功労者としてのものですが、政治家は1票1票の積み重ねで成り立っています。
戸惑いとは、今回の「市長表彰」の栄誉は、政治家個人ではなく、一票を投じ、支えて下さった、すべての方々のもの、そう思うからです。
「申し訳ない」、そんな思いからの戸惑いです。
さらに、「当選したならば任期中に古稀を迎えるので、今回が最後の挑戦に…」と臨んだ4回目の選挙の際、後援会の皆さんが過去3回の当選順位を捉えて「オリンピックでいえば、これまで銀、銀、銅だった。今回は金メダルを!」を合言葉に頑張って下さったものの、期待に応えることができないまま今年4月末の任期満了をもって引退させていただいたことにも忸怩(じくじ)たる思いを抱いています。
以上、徒然なるままに記しましたが、抱いた戸惑いを振り切るために、残された余生、社会のために何ができるか、何をすべきかを見詰めながら、“滅私奉公”の道を歩む覚悟です。
]]>
ニュースが流れた27日夕刻から、きょう28日、自宅に知人から電話やメール、LINEなどで問い合わせが数件あり、その対応に追われました。
というのも事件現場となった病院は自宅から車で5分程度。加えて男性の居住地と同じ鷹岡地区に在住しているためで、問い合わせは極めて行劇的な、避難な事件だけに「ご近所ですか…」や「どんなご家庭でしたか…」などでした。
亡くなられた3人の氏名も公表されていますが、居住地は同じでも面識はなく、問い合わせには一部のメディアが伝えた「ごく一般的な、ご近所付き合いにも問題がなかった家庭だったようですよ」と返答することに終始しました。
問い合わせは野次馬的な心情の発露ではなく、理解できない事件ゆえ、その原因を知りたい、そんな思いからだったと受け止めています。
病院という場で妻子を刺し殺したとされる男性も死亡していることから、その犯行動機の解明は困難を極めそうですが、関係機関には、事件の背景には何かあったのか、さらには事件を回避する対策、手法はなかったのか…、その考察、探求が社会に強く求められている、それを思っています。
事件を伝える購読紙(静岡新聞28日朝刊1面)
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所在区の鷹岡地区では、次代のまちづくりを担う器であるまちづくり協議会の動きが活発で、とりわけ協議会を構成する部会の一つ、防災部会は2018年(平成30年)に富士市の避難所運営マニュアルをもとに地区版の避難所運営マニュアルを作成、全世帯に配布しています。
区(町内会)を基本とする自主防災会の機能を超えた避難者の受け入れや支援物資の提供、医療救護の提供などを担う市指定の鷹岡地区の避難所は鷹岡小と鷹岡中の二カ所が指定されています。
その運営マニュアルの作成、配布後、マニュアルに沿った訓練を行っているものの、その後はコロナ禍により中断を余儀なくされ、今回が4年ぶりの訓練でした。
防災部会長(写真右)らが挨拶
防災部会と地区防災拠点機能を担うまちづくりセンターと連携しての訓練で、すでに9月16日に鷹岡小で行っており、これに続く24日の鷹岡中での訓練には防災部会役員をはじめ自主防災会、生涯学習推進会、福祉推進会などから40人余の参加を数えました。
訓練では、まず、体育館を会場に、阪神・淡路大震災(平成7年・1995年1月17日発生)と東日本大震災(平成23年・2011年3月11日発生)の被害状況や揺れの違いなどを映像をもって伝え、その上で運営マニュアルの概要を解説。このあと、運営マニュアルに示されている避難者エリアや負傷者の収容スペース、仮設トイレ設置、備蓄倉庫などを視察。
視察後には、体育館で質疑の場も設けられ、質問のほか要望も相次ぎました。
訓練時間は約2時間。参加者の熱意を強く感じたのですが、そうした中での「あれこれ考えさせられる」は、近年、区長会をはじめ各種団体の役員の短期交代が顕著。さらに地区二か所のうち鷹岡中には医療救護所が設けられることになっているものの医療関係者と連携しての訓練は未実地。初歩的な問題として自主防災会と避難所それぞれの機能が、どう活かされるかは未知数などです。
いずれにせよ、大災害時の対応は、「自らの生命・財産は自ら守る」が基本とされていますが、自ら守れない一人暮らしの高齢者などの災害弱者のためにも地道な訓練の積み重ねで課題を一つ一つクリア、「地域の生命・財産はみんなで守る」を目指したいものです。
以下にアップした写真は24日の訓練の状況です。
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通告者は25人。議員数は32人で、本会議進行役の議長と議長補佐役の副議長除く30人に対しての25人は登壇率83.3%。うち4月の改選で当選した新人9人は6月定例会に続いて全員が通告しており、今回も登壇率100%。「新人、頑張っているな」です。
一般質問が行われる富士市議会の本会場です(改装前)
一般質問は、年4回開かれる定例会ごとに議員個々に与えられた発言権。議員は、年間を通して市民の声を市政に届けることや、一般質問のみならず委員会審査や本会議審査でも発言の機会が与えられていますが、一般質問は時の課題を掘り下げ、キャッチボール方式で当局の回答を得ることができる貴重な発言権です。
9月定例会の一般質問も当局答弁を含めて1人の持ち時間は60分間で、10月4日から定例会最終日となる11日までの間の5日間が確保されています。
本会議の開会時間は、いずれの日も午前10時。通告を受けて決まった日別の登壇数は、午前中2人、午後3人を基本とする中、一般質問初日となる4日(水)は開会後、委員会付託議案の採決などがあるため午前中は1人、午後は4人とし、そのほか5日(木)、6日(金)、10日(火)、11日(水)は、いずれも午前中2人、午後3人としています。
本会議の傍聴は可能ですが、ネットで生中継と録画放映が行われます。
http://fuji.gijiroku.com/help_broadcasting.asp
9月定例会の一般質問発言一覧です
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街頭広報は、出勤・通学が集中する午前7時から30分間。これより1時間前の午前6時発信のネットで天気予報をもとに「富士市の初日街頭広報は中止」が流れてきましたが、直前の情報、加えて曇り空だったことから指定会場には運動の“主役”である交通安全指導員をはじめ生涯学習推進会、区長会、まちづくり協議会など関係団体から10人余が集合。
「せっかく集まったのだから、やろう!」で一致。交通安全の、のぼり旗を手に運動スタートを周知したほか、赤信号待ちのドライバーに『自転車安全利用五則』を記したポケット濡れティシュを配りながら安全運転遵守への理解と協力を求め、さらに登校する児童・生徒には「おはよう」の声を掛けながら事故防止を呼び掛けました。
配布グッズです
街頭広報の終盤、雨が降り出したものの、気分は爽快、空模様で表現すれば“秋晴れ”でした。
今年の秋の全国交通安全運動の目的は、「広く国民に交通安全思想の普及・浸透を図り、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けるとともに、国民自身による道路交通環境の改善に向けた取り組みを推進することにより、交通事故防止の徹底を図る」が掲げられ、重点目標は、「?こどもと高齢者を始めとする歩行者の安全の確保➁夕暮れ時と夜間の交通事故防止及び飲酒運転等の根絶?自転車等のヘルメット着用と交通ルール遵守の徹底」の3項目です。
運動最終日の9月30日は、「交通事故死ゼロを目指す日」と設定されています。
きょう21日にスタートした秋の全国交通安全運動のほか、静岡県下では毎年、4月に新入学(園)児を交通事故から守る県民運動、5月に春の全国交通安全運動、7月に夏の全国交通安全運動、そして12月には年末の交通安全県民運動が行われています。
こうした年間を通しての運動に「内容がマンネリ化」、さらに「事故撲滅に、どの程度の効果があるのか」などの意見も聞かれますが、交通事故減少に結び付いているのは確かです。
それを端的に示すのに交通事故白書があり、『令和5年販交通のあらまし』によれば、富士市内で令和4年(2022年)1年間に発生した人身事故件数は1,182件、死者は8人、負傷者は1,415人。10年前の平成25年(2013年)は、人身事故2,572件、死亡者7人、負傷者3,395人で、死者数こそ増減がありますが、事故件数と負傷者数は年を追うごとに確実に減少。
10年前の平成25年(2013年)の人身事故件数を100とした場合、令和4年(2022年)は46、負傷者も42と半減しています。
近年における人身事故や負傷者の減少傾向に対しては、「追突防止など車の安全装置が急激に普及しているから」との分析もありますが、「最大要因は交通安全推進機関が一致団結しての地道な事故撲滅運動の成果だ」、自分は、そう思っています。
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まちづくり協議会のほか、区長会、生涯学習推進会など地区主要団体が交代で定期的に行っているボランティア活動で、今回の参加者数はセンター職員2人を含め15人でした。
指定時刻の午前8時30分に会場へ。正午近くまでセンター正面玄関前の庭やセンター駐車場を囲む植え込みの雑草を除去。回収した雑草は特大のビニール袋50袋でした。
個人的には、来場者を迎えるセンター正面玄関前の庭はクリーンアップが必要ですが、センター駐車場を囲む植え込みは「雑草も植物。緑化思想から、そのまま自然体で…」と思うのですが、センターが住宅地に存在することから個人的な意見は述べず、時の過ぎ行くまま作業の流れに身を任せました。
作業前の植え込み
作業後の植え込みです
本日の成果をバックに…
例年、この時期は「秋を実感させる、さわやかな風が…」となるのですが、今年は、「今だに真夏」と思うほどの酷暑。草刈りという軽作業であるものの汗だく。終了後、「いい汗をかいたな」の思いはわかず、他の参加者も同じで、熱中症気味になる人も…。
「久々に、いい汗をかいたな」と思えたのは、自宅に戻り、シャワーを浴びて、エアコンがガンガンきいた部屋で、ガンガンに冷えたビールを飲んだ時点でした。
半日の軽作業でありながら生殺与奪となる現実。酷暑のせいだけなく、日頃の運動不足もあってのこと。反省しきり…です。
]]>富士市も、しかり。9月10日の日曜日には中央公園で『同友会まつり』、富士本町で『日本酒まつり』が開かれ、そのうち由あって『同友会まつり』に出掛けました。
『同友会まつり』の主催は静岡県中小企業家同友会富士支部。支部会員間の交流や支部のPR、自社製品の紹介と販売促進などを目的にし、久々の開催でした。
中央公園西側部分のイベント広場を会場とし、食を中心とした店が並び、芝生広場の仮設ステージでは和太鼓演奏やチアダンスとよさこいのパフォーマンス、ミニゲーム、抽選会などが黒広げられ、暑さを吹き飛ばすまつりパワーに来場者の笑顔が交差していました。
まつりの見学は、久々となる所在地区を越えての外出でした。
「由あって…」は、娘2人が主宰するチアダンス&ジャスダンスチーム・C―STARがゲスト出演することに加え、そのダンスに、同居している小学6年女子の孫が出演することになっていたためです。
つまり、親バカ、爺バカです。
チアダンス&ジャスダンスチーム・C―STARは、日本代表として世界大会にも出場経験を有するものの、ここしばらくコロナ禍で大会出場や練習が制限されていました。
娘たちの活動にはノータッチを貫いていますが、それでもコロナ禍の影響が、チームに、どう影響しているか気になっての見学。芝生広場の架設ステージに、リズムに合わせて踊る、あふれんばかりの子供たちの姿に「ヤレヤレ」でした。
もう一つの見学目的、同居している小学6年女子の孫への声援ですが、同年齢の出演者が多かったことに加え、同じ衣装、髪型ということもあって「発見ならず」でした。
ダンスも、いまやオリンピック種目。今後、その種類も増えると聞いています。
で、孫の躍る姿の「発見ならず」に、「オリンピックと同様、参加(見学)することに意義があるのだ」なんてことを自問自答しています。
]]>富士市でも防災機関総参加の訓練が行われ、私は、所在区の鷹岡地区厚原西区(町内会)の自主防災会の訓練に住民の一人として参加、「自らの生命・財産は自ら守り、地域はみんなで守る」を自覚したのですが、今年は平日開催とあって一般参加者は高齢者がほとんど、改めて「課題あり」を強く感じました。
訓練は市内を網羅した同報(広報)無線が伝える「午前8時30分、地震発生」でスタート。集合場所の厚原西区公会堂駐車場で防災会長が挨拶した後、まず、テントを設営。その後、人数確認、被害確認、消火訓練、応急手当訓練と進みました。
開始時に防災会長があいさつ
訓練開始直後のテント設営の場面でした。
防災会役員が「みなさんで協力してテントの設営を」と呼び掛けたものの、参加したのは、ごく一部。高齢者が、ほとんどのためで、この状況に役員は「見学でいいですから」に切り換え、役員が中心となってテントを設営。
その後、私が参加した消火訓練でも防火水槽を水源にホースを接続し、可搬式ポンプを使って放水、消火という本格的な訓練だったこともあって、訓練の中心は役員でした。
役員が中心となってのテント設営
私の所在区は、1,000世帯を超える大きな区で、加えて役員体制が整っていることから訓練開催が可能であったものの、小規模な区では「平日の開催は無理」という声も届いています。
ふと、思ったことは、「平日の昼間でも区に滞在、機動力が期待できる中学生らヤングパワーを自主防災会に取り込んでいくことが必要では…」でした。
富士市では9月1日の『防災の日』の総合防災訓練に加え、12月第1日曜日には自主防災会主体の地域防災訓練が行われています。
総合防災訓練は開催曜日がコロコロ変わり、平日開催の際は小中学校も平常開校していることから無理としても、日曜日開催の地域防災訓練時には中学生などに積極的に参加を求め、それが実現することを願い、期待したいものです。
※以下の写真は放水訓練です。
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取り組みを知り、古くて新しい課題である市民に軸足を置いた市政の前進、さらに交通弱者の多い高齢者対応や、公共施設の有効活用にも結び付くものと受け止めています。
ただし、職員を配置しての取り組みで、それなりの人件費を必要とし、その一方では初の試みで利用状況が未知数のため、担当課では「試験的な実施」としています。
市では、市庁舎3階の市民安全課内に市民相談コーナーを常設、開庁時間内で市政全般の相談をはじめ専門家の協力も得て交通事故や相続、金銭貸借、法律など市民生活上のさまざまな相談に対応しています。
こうした相談体制の中で新たに取り組む『出張市民相談』は、文字通り、地域に出向いての相談所の開設です。
入手したチラシによれば、小学校区単位で開設されている市内26のまちづくりセンターを5ブロックに分け、吉永、神戸、富士駅北、岩松、鷹岡の5つのまちづくりセンターで9月から10月にかけ、それぞれ3日間、計15日間開設。開設時間は午前が9時30分から12時まで、午後が13時から15時30分まで。
利用は無料。予約の必要もなく、相談希望者は直接会場へ。
詳しくは、ここにアップしたチラシをご参照下さい。
「試験的な実施」について担当の市民安全課では、「どの程度の利用があるのか未知数のため」としていますが、富士市では昨年度から地区単位のまちづくりの拠点機能を担うまちづくりセンターにも指定管理者制度を各種団体で構成するまちづくり協議会を、その受け皿として導入。現状、市内26のセンター中、松野、須津の2センターの運営・管理が指定管理者イコール地区に移管されています。
市政に精通、一定の相談にも対応できる職員配置の直営から地区住民に運営・管理を委ねる指定管理者制度への移管の拡大が確実視されている中、地区に根差した市民活動の活性化が期待できる一方、センターでの市政相談機能が後退する懸念があるだけに、そうした未来予測も踏まえての判断を願いしたものです。
]]>企画は娘たち。今年4月をもって市議会議員を引退していることから「退任祝いに企画してくれたのでは…」と得手勝手に受け止めての参加でしたが、引退したことで心にゆとりがあったせいか旅の魅力を感じ取る場面もあり、「旅って、いいな」の気分です。
旅の魅力、その1。
宿泊宿は浜名湖畔にある大型ホテル。といってもテーマパークに併設されているようなホテルでなく、小規模なレジャープールはあるものの、どこにもありそうなホテル。
ただ、正面玄関に入ると多くの風鈴が吊り下がっており、自動ドアが開いて吹き込んだ風により一斉に涼気を感じさせる音色が響き渡りました。宿泊歓迎の粋な工夫でした。
早々にして「いい宿、ホテルだ」でした。
旅の魅力、その2。
2日目、参加者に高校や大学受験を控えた子がいたためか周智郡の森町(もちまち)にある小國(おくに)神社へ。通称、遠江国一宮(とおとうみのくにいちのみや)と呼ばれる一般的な中規模の神社です。
境内が掃き清められた小國神社
森町は人口1万6千人余で、町内には一般国道は走っておらず、交通に便はけってしていいとは言えない地方都市です。目的地の小國神社の所在地も町の中心部から離れた場所にあるのですが、到着すると広い無料駐車場は満車。しばらく待って、ようやく駐車できるほど、かなりの人出でした。
神社内は掃き清められて厳粛な雰囲気。拝観料は無料という中で休憩所の利用も無料。その休憩所には豪華、かつ清潔なトイレがあり、さらにツーショットできる写真撮影コーナーも…。
休憩所内のツーショットできる写真撮影コーナーです
神社脇を流れる清流は、足首ほどの深さとあって水遊びスポットとして開放されており、さらに神社入口に設けられていた神社指定の売店では、お茶の無料サービスコーナーがあり、涼気を届けるミストの装置も…。
来訪者歓迎の工夫が随所にあふれ、感激して予定外の土産も買ってきました。
神社脇を流れるせせらぎの水遊びスポット
全国各地で「観光を新たな産業に…」と、あの手この手の施策が打ち出されていますが、魅力ある観光都市に向けてはテーマパークなどを誘致、あるいは造るだけでなく、「今ある資源を活かし、旅の魅力を感じさせる工夫とおもてなしの心が大事だ」と実感しています。
]]>自転車走行並みの超ノロノロの台風、加えて台風に伴う時間雨量50ミリを超える豪雨は、地球温暖化による異常気象のためかもしれません。
富士市も16日は早朝から豪雨となり、10時55分に潤井川洪水の警戒レベル3、11時20分には小潤井川洪水の警戒レベル4が発令され、高齢者等避難や避難指示が発出されています。
今回の豪雨で市内では、道路の通行禁止箇所が相次ぎ、今後の調査では、がけ崩れや、住宅の床下、床上浸水被害もありそうです。
小雨となった夕刻、自宅近くを流れ、1級河川・閏井川の龍厳淵(龍願淵とも…)付近に流れ込む凡夫川を見に行ってきました。
自宅近くの凡夫川です(富士市鷹岡地区厚原西区地先)、16日午後5時
凡夫川は、古富士形成時代の富士山噴火による入山瀬溶岩流が浸食して誕生した川だけに護岸崩壊の不安は少なく、容量的にもゆとりがあるものの、潤井川と同様、富士山南麓を源流としているだけに、濁流を観ながら、今後、山間部の森林を巻き込む豪雨で流木が河川に流れ込み橋脚などにひっかかり氾濫、大災害に…の不安が澎湃(ほうはい)として湧き上がってきました。
同時に異常気象を受けての新たな治山治水対策が急がれ、その中では対策で必要となる用地買収にあたって地方自治体には時として高いハードルとなっている私権を制限する権限移譲も国に見直してほしい、そんな事を思っています。
]]>富士市では、今年も終戦記念日に市主催による戦没者追悼式がロゼシアターで行われ、これを前に広島への原爆投下日の8月6日、続いて長崎への原爆投下日の8月9日には同報(広報)無線で犠牲者に黙とうを呼び掛ける放送が投下時刻に流されています。
さらに反戦・平和を祈願する市民が実行委員会を組織して、毎年、開催している「平和のための戦争展」が8月15日までを期間としてロゼシアターの展示室で開催です。「平和のための戦争展」は、今年で35回目を迎えています。
こうした中、昨日8月11日、墓参りに行ってきました。盆入りの13日に行く予定でしたが、反戦・平和運動のニュースが相次ぎ届く中、「こうしちゃいられない」、そんな思いにかられての墓参りでした。
菩提寺の実相寺の仁王門です
私は戦後生まれですが、父の弟2人が戦死しています。
一人は、岩松村の海野稔、満24歳、1945年(昭和20年)、フィリピンルソン島で交戦中、生死不明となる。のち戦死と認定。
もう1人は、岩松村の海野勝、満21歳、1944年(昭和19年)、内大西洋で戦死。
長く、叔父二人の遺影は実家の仏壇の上に飾られていましが、50回忌を迎えた以降、実家の改築もあって整理されています。
その後、12年前、叔父2人の遺影と再会することができました。
実家の兄夫妻から「戦争展の関係者が尋ねてき、戦死した叔父さん2人の事を調べ、保存しておいた遺影も撮影。今年の戦争展で展示するとのことだった」との知らせがあり、展示期間中に出向くと、叔父2人の出身地や所属部隊、戦死地と戦死年齢などが模造紙に記され、さらに遺影も。
これが展示品です
戦争展実行委員会の熱意に頭が下がり、ただただ感謝、感激。
以後、墓参りの際には、自分なりの反戦・平和運動として「戦死した叔父2人を決して忘れまい」と墓前に誓っています。
私の実家の墓は市内岩本の実相寺にあり、実家は旧家のため墓には数基の墓碑があり、その中には立派な叔父2人の墓碑も…。
その墓碑は、息子2人の戦死を紙切れ1枚で告げられた祖母が1957年(昭和32年)に建立したことが刻まれています。
兄によれば、「日本全体が貧しかった戦後、おばあさんがコツコツと小銭に積み立てて建立した」とのことです。
ようやく念願を成就させた祖母は、建立直後に亡くなっています。これも、後世に伝えるべき戦争、そして戦後の史実だと胸に刻んでいます。
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満面に笑みを浮かべる遺影を前に、半世紀近くにわたるお付き合いの中での数々の思い出が澎湃(ほうはい)としてよみがえり、惜別の感情がこみ上げてきました。
私事で恐縮ですが、徒然なるままに、追悼の一文を…!。
小林さんは、多くの人から“大ちゃん”と呼ばれた庶民派市議で、1975年(昭和50年)に富士市議初当選。以後、8期連続して当選を重ね、市議活動32年間をもって2007年(平成19年)に引退しています。
生まれも育ちも富士市。地元の高校から都内の有名私大の法科に学び、卒後は大学の先輩でもあった中選挙区時代の静岡県東部地区選出の自民党国会議員の秘書に…。
抱く思いは、もちろん、政治家で、富士市議選への初挑戦は1967年(昭和42年)、32歳の時でしたが、当時の地方選挙は富士市に限らず全国的に一部政党や労組をバックにした立候補者以外は地区代表選のような感じで、政治家志望の若手にエールを送る風土は希薄、さらに定数40に立候補は2市1町の合併直後とあって60人を数える大激戦ということもあって順位は第58位にとどまり落選。
雪辱を目指した1971年(昭和46年)の2回目の市議選でも得票を伸ばすものの、定数40に対して立候補は53人という激戦が続いたこともあって順位は第49位、当選成らずでした。
しかし、2回連続しての厳しい選挙結果にも地方政治に寄せる情熱を持ち続け、1975年(昭和50年)に行われた市議選に立候補。3回目の挑戦となったこの時の市議選は定数40に対して立候補は46人にとどまったものの泡沫候補は極めて少なく大激戦でしたが、小林さんの得票は3,000票を超え、順位も第5位、3度目の挑戦にしての堂々たる当選でした。
以後、小林さんは、これといった組織はなかったものの、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、捲土重来(けんどちょうらい)の思い出で日々努力を重ねて増やした支援者に支えられ、安定した得票数で当選を重ねています。
一方、議員活動では、初当選時、自民党系の新人が団結して新人議員としては異例の独自会派を結成、富士市議会に新たな風を吹き込み、当選を重ねるごとに存在感を増し、市議会ナンバーワンポストの議長を担っています。
古稀(70歳)を過ぎたことから8期32年間の議員活動に終止符を打っていますが、引退後、ご意見番的な立場で市議会の本会議を傍聴。さらに一市民の立場で反戦・平和運動にも取り組んでいました。
私は、小林さんが初当選した年にローカル紙(富士ニュース)の記者となり、小林さんの市議在任中は、議員と記者という関係で、踏み込んだ接触はありませんでした。
親しくなったのは、小林さんと入れ替わるように市議に転じた以降で、本会議の傍聴で来庁した際など顔見知りだったこともあって会派控室に立ち寄られ、しばし雑談、あれこれ人生指南も受けてきました。
10年ほど前に大病を患ったものの「克服、元気」と聞いていた中での今回の訃報でした。
私は、古稀を迎えることから今年4月末の任期満了をもって4期16年の議員生活に終止符を打たせていただき、小林さんと同じ議員OBの立場なっているだけに「引退後の議員OBとしての在り方、生き方」、そんな面での新たな指南を受けたいと思っていただけに、突然の訃報通知は、ただただ残念です。
幸運にも私は、初挑戦で市議に当選することが出来ましたが、これといった組織やバックアップがない中での初挑戦は、小林さんの夢を捨てずに挑戦を重ねた無言の教えがあったからです。
教えとは、「負けてもいいじゃないか。再挑戦すれば…」といったものです。
返答がないことを承知の上で、生前に伝えることのできなかった一言を記します。
「貴い教えを、ありがとう、ございました」
]]>こんな中、先日、所在区の富士市鷹岡地区厚原西区のラジオ体操会場に行ってきました。
小学6年女子と保育園女児の孫が参加していることもあって「blogやFacebookのネタに…」と思っての会場行でしたが、そこには想定外の場面が広がっていました。
所在区の厚原西区は1,000世帯を超える大きな町内会とあって子ども会と区が連携してのラジオ体操会場は3か所設けられ、訪れたのは自宅近くの公会堂駐車場でした。
会場では、午前6時30分からラジオ体操の音楽が流れ、第1に続いて第2が…。参加者は30人程度。その半数が大人で参加児童の保護者らしき人もいましたが、ほとんどが高齢者。
想定外の場面で、顔見知りもおり、聞けば、「この時期、日課の早朝散歩に加えてラジオ体操にも参加している」とのことでした。
防災の合言葉は「自らの生命・財産は自ら守る」ですが、長寿を迎えての健康保持は「自らの責任で…」といったところです。
終了後、子供たちは参加シールをもらって解散。家路に向かう子どもたちは、みんな笑顔で、元気をもらってきました。
決して自慢できることではないのですが、完全の夜型人間。今回を契機に「心機一転、毎日、健康保持のためにラジオ体操に参加を」。
とりあえず、「1日坊主ではなく、せめて3日坊主ぐらいに…」と思っているところです。
]]>先日、仕上げ作業である“差し込み”があり、半日かけて完了。8月1日付け発行の『広報ふじ』と共に各区を通して地区内約4,000世帯に届け、鷹岡まちづくりセンターの情報紙配架コーナーでも入手可能としています。
仕上げの差し込み作業です
「安心・安全な地域づくりの情報紙に…」を合言葉に、毎年、5月、8月、12月の年3回発行しており、A4サイズ、カラー6ページ仕立て。発行者は鷹岡地区まちづくり協議会、編集は同協議会を構成する部会の一つ、広報部会です。
第50号の各ページの主な内容は…
・1ページ…まちづくり協議会の総会開催と決定した事業の紹介
・2ページ…福祉推進会と生涯学習推進会の総会紹介
・3ページ…コミュニティ・スクールとは…
・4ページ…鷹岡地区防災かわら版Vol.3
・5ページ…社会を明るくする運動記念イベント「朗読と講演の夕べ」と夏の交通運動の地域イベント
・6ページ…さくら祭り写真コンテストの審査結果、センターだより、編集後記など
このまちづくり新聞『たかおか』の創刊時、私は前職が編集作業に関わっていたこともあって協力要請を受け、顧問という立場でお手伝いをしてきまた。
すでに10年以上を経過。編集委員の皆さんの取材力がアップ、紙面構成もプロフェショナルソフトではない一般的なワード(Word)機能の使用であるものの「凄い!」という域に達し、もはや私の「出番なし」といった状況です。
こうした中、広報部会には、定期的な紙ベースの情報紙の発行と並行してICT社会への対応であるデジタルでの情報発信が課題となっています。
そのための専用パソコンの整備には取り組んだものの、情報発信にあたっては「管理責任は誰に…」や「ウェブサイトには、ブログやFacebook、Instagramなども組み込むべき」などの意見があり、さらには初歩的な課題としてパソコン操作に強い人材の確保も…。
「そこんとこ、お願い」と言われそうですが、パソコンは扱うものの、その知識も操作技術も“並み人間”。ゆえ、戦々恐々としています。
(※) 活字が小さく判読が厳しいかもしれせんが、以下に第50号の全ページをアップしました。
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今月30日(日)まで。午前10時から午後7時、最終日30日は午後5時で終了。鑑賞は無料。問い合わせは富士美研(?0545−63−2417)。
写真は、漆畑さん(向かって右)と漆畑さんの作品です。「記念に…」と受付所の担当者にシャッターを切っていただきました。
富士美研は、漆畑さんが美大卒業直後、美大関係への進学を目指す若い人達の受験サポート機関が富士市内にはなく、自らも進学時に苦労したことを踏まえて彫刻家としての活動と並行して富士市水戸島本町に開設。以後、多くの人材を輩出しています。
記念OB展は、5年サイクルで開催しており、45周年の今回展には第1期生から第45期生までの約50人が参加しています。
学校教育の線上で美術イコール絵画、彫刻と思いがちですが、社会ではデザインをはじめ現代アート、さらにITC社会でも美術が活用され、会場には、さまざまな分野で活かされている作品が展示されています。
作品群を一巡して、ふと、改めて感じたことは『既成概念を瓦解する中に芸術(美術)の発展がある』でした。
案内状の送付を受けて展示会初日に会場に出向くと、富士美研の漆畑さんがおり、あれこれ雑談。
漆畑さんは私より、確か3歳年下で、美大卒業後、帰郷しての活動草創期に取材(当時、私はローカル紙の記者)を通して知り合い、以後、半世紀近いお付き合いとなります。
変わらぬ芸術文化都市に向けての、人材育成にも目を向けての意欲的な活動に、ただただ敬服。事あるごとに年齢を盾にして終活路線に向かおうとしていること、反省しきりでした。
以下に展示作品の一部をアップします。
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7月第4日曜日の、あす23日、富士市の夏を彩る『富士まつり』が、中央公園と公園前の青葉通りを会場に開かれます。
主催は官民協調で組織する実行委員会。2020年と2021年は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止、昨年2022年は感染対策の徹底を図って3年ぶりの開催でしたが、ステージ部門やかぐや姫コンテストの決勝は屋外を避けロゼシアターの中ホールを会場としており、今年は久々に屋外でのフル開催となります。
午前11時から午後8時30分まで。フィナーレを飾る花火大会は中央公園で午後7時30分から1時間、5,000発が打ち上げられる予定で、「ネットでライブ中継も行う」とのことです。23日が荒天の際は花火大会のみ24日に順延。
花火大会用の桟敷席も公園内の見学1等地に設けられますが、入場チケットが必要。1マス4人までで税込み8,000円。確保されるのは394マスです。
富士まつりの詳細はウェブサイトにアップされています。
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/fujijikan/enjoy/kb719c00000006jt.html
(※)アップした写真は、7月1日付の『広報ふじ』と共に各世帯に配布された『富士まつり特集』のチラシからの抜粋です。
【富士まつりとは…、得手勝手な考察】
さて、富士まつりは、年間を通しても富士市を代表するイベント。多くの市民が、それを認めていますが、ローカル紙の記者としての取材や、市議(今年4月末で退任)の立場での状況把握から「いろいろあったなぁ〜」、そんな思いを抱き、さらに「これから、どう変わっていくのか…」、そんな思いも…。
今年の久々の屋外でのフル開催を前に、これまでの取材や視察などを通して富士まつりの変遷を振り返ってみました。公費を投入している官民一体の夏の一大イベント、それなりの成果を期待して…。
富士まつりのルーツは、1966年(昭和41年)の2市1町合併前に旧富士市が田子の浦港を会場に行っていた花火大会とされ、合併後、しばらくの間は旧富士市、旧吉原市、旧鷹岡町の商店街通りを会場に音楽パレードや踊り行進などを行うなど分散して開催。
その後、市中央部に位置する市庁舎前を通過し、市内を東西に結ぶ青葉通りが開通したことや中央公園が整備されたことなどから現在地での開催となり、花火大会と並ぶまつりの目玉とするかぐや姫コンテストや、踊り行進用に都はるみが歌う『富士ばやし』に続いて『富士サンバ』も登場しています。
この当時、まつり開催目的は「合併後の市民の一体感」とされていました。
しかし、まつり会場の一本化に伴ってまつりの規模も肥大化、同時に「なんでも、かんでも」といったまつり内容に参加団体から「負担が大きすぎる」、さらに、開催目的の一つであった「市民の一体感」については、地区単位でまちづくり協議会が主催しての『梅まつり』や『桜まつり』などのイベントが相次いで登場したこともあって、その目的が希薄化。
その結果として、まつりから子ども神輿や神輿の競演、かぐや姫絵巻などが撤退しています。
現在は…といえば、基本的に「この指止まれ方式」で開催。長く指摘されていた「公費を投入する以上、観光振興にも結び付けるべき」については花火大会を劇場型体感ショーにグレードアップして観光業者にも売り込みを図るなどしています。
さらに周辺の駐車場不足に対しては、ふじさんめっせやジャトコの協力を得て駐車場スペースを拡大。これに会場往復の無料のシャトルバスも運行しています。
多分…ですが、今後も富士まつりは、多少の変容があっても大きく変わることはないだろうと思っています。
疫病退散など今では伝統という言葉に置き換えられる、それなりの開催根拠を有するまつりと違って富士まつりは新興まつり。多くの意見や期待、さらに受け止め方があるからです。
そうした中、準備に追われ、まつり当日も事故防止を図っての安全確保に奔走する実行委事務局の熱意と労苦をしっかりと受け止めていきたい、と思っています。
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